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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第肆話:桃源郷インスタント
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桃源郷インスタント(其の弐)

 翌日になって、珊は台場町の隅々まで捜索を行い、辻斬りの足取りをつかめずにいた。

 夜遅くに人を斬るという辻斬りは、その痕跡を残していなかった。目撃した者もおらず、さりとて斬られた者はすでに口を利くことができない。

 だが、情報というものは、直接的に調べることができなくとも、その周囲を洗い出すことで推測ができるものだった。珊は聞き込みを繰り返して、ある場所を突き止める。


「……怪しいと言えば、怪しいでござるが」


 それはある医者の住居であった。和蘭から流入しているのは、何も兵器などだけではない。南蛮に伝わる学問もまたその対象である。それらを総称して蘭学と呼んでいた。

 その中身とは天文学であったり、地理学であったり、数学であったりする。そしてその中でもとりわけ実用的であったのは医学だったと言えよう。全国の藩からその医術を学ぼうと優秀な学者や有望な若者がやってきている。つい最近、江戸では西洋風の病院が開院し、将来的には天草・島原との戦いの最前線へと建てることも予定しているという。

 だがそれゆえに、危惧されていることもあった。

 より密に南蛮の学問に触れることによる、異郷への興味。そして基督キリスト教への興味心。改宗し、幕府への叛意を持つのではないかと。

 この台場町に多くの公儀隠密が潜んでいるのは、そういった事情もある。有用な知識に触れているうちに、そちら側に取り込まれることを恐れているのだ。

 件の医院は、確かに和蘭の医学を取り扱うものであった。一方でそこでは中国より伝わっている医学……すなわち東洋医学も用いられており、それは古来より日ノ本でも用いられていたものであった。その両者の融合について考えているのだとか聞いている。

 それだけで決めつけることなどはできやしないが、疑いのあるものを調べずに放置する方が空恐ろしく感じられる。珊はその医院に忍び込んだ。


「と言っても、何の変哲のない医院でござるな」


 中を見てみれば、作りは寺院に近いだろうか。中央に大きな部屋に、囲むように小さな部屋があった。診察などを行う場と住居を分けているのだ。そこに怪しい場所などない。

 であれば、と珊は屋根に登ってその背後を見た。そこにあるのは蔵である。医術には多くの道具を必要とした。薬草や種などの素材とて必要だろう。

 しかし、それにしてもその倉庫は大きすぎるように思えた。果たして大量のものを保存する必要があるのか。専門でない珊では判断をしかねるが、疑念を感じたならばその直感を信じ、調べる必要がある。

 空を見上げた。夕暮れによって空は橙に染まっている。思い浮かべたのは風津の姿であった。彼はきちんと食事をしているだろうか、寝ているだろうか、仕事をしているだろうか。不思議と女性関係のことを考えることはなかった。

 ずいぶんと絆されたものだ、と苦笑する。

 珊はその蔵へと忍び寄った。正面から入れるわけもなく、屋根に登り格子窓を破って中に入り込む。二階部分はいたってよく見る蔵であった。大きな箱が無数に積まれている。


「失礼、拝借仕るでござるよ」


 そう言って箱のうちいくつかを開ける。最初に開けた箱の中にはよくわからぬ機器が詰め込まれていた。どのように使うかも皆目見当がつかない。次いで開けた箱には、同様に機材が入っている。

 どうやらあまり使われていないらしく、埃が積もっていた。珊の身体は絡繰であり、呼吸をしていないから咳き込むことはなかった。この身体の便利な点である。

 そして三つ目の箱を開ける。それは奇妙であった。


「絡繰の、腕……?」


 材料と言えばそうだろう。しかし、それはその医院の活動からは逸脱しているように思えた。

 失われた腕の代わりに使う研究もされているとは聞くが、同時にまったく上手くいっていないとも聞いていた。

 それもそのはずで、絡繰の動力は魂とその力である。それは皆が平等に持っているものでありながら、知覚することができる者など一握りだ。ゆえに、鬼の力などを用いて動力としている。力そのもの確保はできよう、しかし人が力を持つのは難しいのである。

 では、この医院はと言えば、東洋医学と和蘭医学の融合について研究しているという。絡繰を用いているとしても不思議ではない。しかし、台場町で研究の行われている学舎についてはほとんどすべて珊は知っているし、少なくともこの医院は該当しなかった。

 珊はこの医院には何かある、と確信をした。

 注意深く階下へと降りる。そこは蔵ではありえない光景が広がっていた。


「これは、牢でござるか?」


 木の格子がたくさん並んでいる。数はすべてで四つ。ひとつの区画に一人を入れるので精々だろう。

 しかしどれも頑丈であり、人では抜け出すことは敵わないだろう。まるで遊郭の女たちを道行く者に見せる張見世のようであった。


「お、おい、誰かいるのか!?」


 そのうちの一つから声がした。珊がそちらへ近づいていくと、中には男がいた。

 冴えない顔をしているが、一度見たら忘れられない男であった。


「荻原兼山殿でござるか! こんなところに囚われていたとは」

「俺を知ってるお前は、公儀の者か?」

「いかにも。いまは珊と名乗ってるゆえ、そう呼ぶがよいでござる」


 ああ、と頷いた荻原は、慌てた様子で言う。


「お、おい、まさかお前、俺を殺すつもりで来たんじゃないのか? 安心しろ、俺は何も喋ってはいない! いいや、むしろ、奴は俺の持ってる情報なんかに興味がないみたいなんだ」

「なんと、であれば奴らは何を狙って……?」

「それが……げほっげほっ」


 荻原は咳き込んだ。喉が詰まったなどのものではなく、明らかに体調を崩しているそれである。

 珊が気遣う様子を見せると、荻原は苦痛にゆがんだ顔をあげた。


「くそっ、時間がない。聞いてくれ。俺は毒を飲まされてる。そして、ここで仕事をさせられていた。断れば解毒剤をやらぬと。誰かに従うくらいなら死んでやるとも思ったんだけど、仕事の中身が他人の日記を作るなんて変なもので……あまりに珍妙なものだから、どうにかして生き延びてここのことを伝えようと思ったんだ」


 あっちを見ろ、と荻原は言う。珊が視線を向けた先には、蔵からさらに奥へと続く扉があった。


「あそこに奴らは入って、何かをしていた。俺が写した日記を持って行っていた。何をしているかまではわからなかったが……」

「委細承知したでござるよ」

「そこでこれからのことだけど、俺は外に出て、他の公儀に応援を求める。お前はここを調べてくれないか。できれば薬も見つけてくれれば御の字だが、贅沢は言わない。まずいと思ったら隠れて、ここの頭を追ってくれまいか」 

「その覚悟、しかと聞き届けた。しかし、待ってほしいでござる。拙者はいま、公儀を狙う辻斬りを追ってここまで来たでござるよ。おぬしもその辻斬りに狙われた者の一人と目されておる。このまま外に出れば、その辻斬りに斬られるのが落ちでござろう」


 そしてその辻斬りは、間違いなくこの医院と関係があるだろう。偶然の一致であるとは思えない。

 しばし思考を巡らせて、珊は荻原を出すしか道がないと結論を導いた。毒に冒される彼を抱えたままこの医院を調べるわけにはいかず、かと言って放置しているうちに決定的な証拠を消されてしまっては元も子もない。

 鍵を無理やりこじ開けて、荻原を外に出した。咳はひどいが、まだ歩けるようではあった。


「こちらからは二つ。ひとつは、岡崎正次を知らぬでござるか?」

「いや、俺は見てないな。まさか、彼も辻斬りに?」

「どうやらそのようでござる。海に捨てられてしまえば、見つけるのも困難でござるが……。あと一つ、風津という男を頼るとよいでござる。公儀ではござらぬが、腕は確かでござる」

「それは、お前の男か?」

「なっ、そんなものでは!」


 珊は思わずうろたえる。他人に茶化されるのはどうにも苦手であった。

 しかし、荻原にまだ冗談を言うだけの余裕があることがわかって、安心感もあった。


「もちろん知っているとも。公儀で一人、風津なる赤髪の男を監視していると聞いていたけど、お前だったとはね。まあいい、頼らせてもらうよ」


 そう言って、荻原は正面から出て行く。その後ろ姿を見送るわけもなく、珊は隣の部屋へと向かったのだった。

 彼の提案はすなわち、荻原兼山の死を示していた。とてもではないが、公儀衆に応援を求め、部隊を整えてこの医院にやってくるまでに、荻原の命が保つとは思えなかった。

 捕らえられたそのときに死すべきであった彼は、生き恥を晒してでも伝えなければならないことがあったのだ。

 お互いが為すべきことを為さねばならない。死にゆく男を引き止める言葉を持たない珊は、荻原の覚悟に報いなければならなかった。

 重苦しい扉を開ける。ぎい、という音だけが響いた。


「なっ……なんでござるか、これは!?」


 そして、その部屋の光景は、珊の想像をはるかに超えていた。




     *      *      *




 風津は夕暮れに沈む台場町を眺めていた。

 昼間まであたりをふらついていた彼は、ある呉服屋の前に立っていた。道行く人が彼を一度は気に留めるものの、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに無視をしていく。それが風津にはむしろ、都合がよかった。

 そしてようやく、目的の人物と出くわす。


「よう、お松だっけか」


 美貌が振り返った。彼女は少しだけ驚いた顔を浮かべたのちに、妖艶な笑顔へと切り替わった。


「昨日の夜にお会いしたかしら?」

「覚えてくれてたか」

「その赤い髪は忘れようがないもの。それに、お噂はかねがね。風津さん、でいいのよね?」

「おうともよ」


 歯を見せて風津は笑う。お松もまた微笑んで、風津を招いた。

 彼女は風津を連れて長屋の奥へと潜っていく。どうやらそこが彼女の家らしい。長屋はどれもこれもが似たり寄ったりの作りをしていて、あまり他人の家という感覚がない。

 家へとあげた彼女は、風津にお茶を出すと、ふうと息を吐いた。


「いいのか、こんな簡単に他人を上げちまってよ」

「あの子が親しくしてる人だもの、邪険にはしないわ」


 そんな面倒見の良さを見せるのだから、風津は少し参ってしまう。

 むしろ邪険にしていたのは珊のようだった。女忍者であるものの、色香の濃い者は苦手なのかもしれない。

 お言葉に甘えて茶を口に含んだ。にっこりとお松は笑った。


「それで、何の用?」

「うん? ああ、そうだったそうだった。いや、簡単なことよ。あんたに興味があってな」

「へえ、そう」


 そうして、彼女は風津の隣に並ぶ。赤く染まった頬がなまめかしい。

 少し視線を逸らしてみせると、彼女は風津の方に身を寄せた。


「それは、どんな用なの?」

「まあまあ、そんな急ぐことでもねえよ。なあに、俺は珊のこと……あの忍者娘のことを全然知らねえ。少し教えてもらおうと思ってな」


 風津がいうと、お松は少し視線を鋭くした。


「そんなことより、私のことを知りたくはない?」


 お松は帯を解いていく。しかし着物を完全に脱ぐわけではない。緩んだ胸元へ、風津の手が導かれた。

 おいおい、と思っても、頬から力が抜けてしまう。柔らかい感触が、大きさを告げていた。直に目にしたわけでもないのに、お松の裸身を思い浮かべてしまう。

 お松は風津の顎に手を当てた。そして視線を上にあげる。視線があった。そこからどうするのも勝手だ、と告げられているような気がした。

 風津は彼女を押し倒す。胸だけでなく脚までもが露わになった。きゃあと悲鳴をあげるも、嬉しそうな様子を見せる。


「急ぎすぎ。褥の用意もするけど」

「誘ったのはそっちだろう?」


 風津がそう言うも、お松はしっと指を風津の唇に当てた。そして少し突き放すと、腰を少し高くした。


「いいわよ、ほら」


 そう言って、彼女は待つ。今度は風津が視線を鋭くする。

 そしてぱっと離れると、自らの衣服を整えた。


「わりい、帰るわ」

「えっ……」

「なんかわかんねえけど、おめえじゃ勃たねえ」

「なっ、ななっ」


 風津の言葉に、お松は狼狽える。じゃあな、と言って風津は長屋をあとにする。

 外はすでに暗くなっていたが、構わなかった。月が台場町を囲む壁を越えて、光が差している。歩けないことはないだろう。

 

「ちくしょう、やっぱりそうだったか」


 一つの確信を得ていた。昨晩から感じていた違和感の正体を突き止める。それは恐らく、昨今の台場町で若返ったと噂される者たちに共通する物であり、風津の危惧していたことでもあった。


「何が若返りの鍼だ……そっちの方がまだましだぞ」


 そう愚痴を言いながら、風津は探した。珊をだった。

 彼女に会って告げなければならない。もし風津の予想が正しければ、辻斬りを追う彼女こそ知らなければならないことがある。

 すると、道の向こうから走ってくる人影があった。見るからに弱っていて、まともに歩けてすらいない。

 前に倒れこむのを、風津が支える。月明かりのみで顔色はよくわからなかったものの、唇が震えているのだけはわかった。


「おい、しっかりしろ」

「お、お前が風津か。俺は荻原兼山。珊ってやつを知ってるか!?」

「あいつの知り合いか?」

「そうだ、彼女からお前を頼れと言われた。頼む、俺の言うところまで連れて行ってくれ。公儀の者に応援を頼まなければならない」


 風津は、やはり、と心の中で納得した。案の定、まずいことに巻き込まれている。ただの辻斬り事件ではない。彼女はいま、敵の策に引きずり込まれているのだ。

 応援を頼むのが先か、珊の元へ行くのが先か、風津は少し迷った。しかし、それだけの暇も与えられることはなかった。

 周りを何者かが囲む。人の気配ではない。風津は集中する。その目は確かに捉えていた。自分の周りにいる絡繰の姿を。

 もはや人でないことを隠そうともしない、不自然な動きをしている。関節はねじれており、首も傾いている。


「なんで、なんでなんでなんで!」

「体が動かない。いいや、思い通りに動かない」

「早く帰らせてくれ、どうしてこんなことに!?」


 絡繰たちはそのようなことを口にする。どういうことだ、と風津が首をひねると、その顔が月光に照らされて見えるようになった。

 どれもこれもが、いま台場町で若返ったと噂される者たちであった。彼らは絡繰に自分の身体を置き換えることで、若返ったように見せているのであった。


「くそっ、気をつけてくれ、こいつらは生きている! なにせ俺が……」


 荻原がそう言った瞬間、手裏剣がとんでくる。風津はそれを刀の鞘で打ち払った。

 手裏剣を放ったのはお松であった。公儀隠密の身、やはり忍術や剣術に通じているようである。

 彼女の顔からは表情がごっそり抜け落ちていた。


「お松、こいつはどういうことだ」

「見ての通りよ。これが若返りの仕掛け。絡繰に代わりになってもらってるの。でもね、私たちは生きている」

「生きているだと。だが、てめえのその肉体に魂は宿っちゃいねえ」

「いかにも。私たちの本体はまだ生きている。意識のみを繋いで共有しているの。だけど、こっちの意識をあなたの剣で斬ったならば、本体も死ぬでしょうね。さて、あなたに斬れるかしら、私たちを」


 風津は目を見張る。彼女は知っているのだ。風津が人を斬れないことを。鬼のみを斬るとしている誓いのことを。

 自分のものではない意識で動く絡繰たち。しかし彼らを斬れば、その元となった者も死んでしまうのだと言う。

 まさに万事休すであった。

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