GHOSTSONGWRITER
主人公の職は全て架空のものです。
GHOSTSONGWRITER
白い紙を睨み、何か浮かんでこないか唇を噛んで腕を組んでいる。
もういっそのこと、適当にキレーな言葉を並べて済ましてしまおうか。
でもきっと川崎さん、黙っては居ないだろう。
それに…。
それでもいいかもしれない、もうこんな仕事やめて…
ああ、また考えが脱線する。
それにしてもキーワードが
「HAPPY」だけなのはきつい。
せめてもう少し使い古されていない言葉にして欲しいものなのだが、そうもいっていられない。
とにかく、何か書かなければ。
「HAPPY」から浮かぶ頭の中のイメージを、白い紙に書き殴る。
「できたのか、小原。」
コーヒー片手に川崎さんが、こっちを向く。
「ええ、一応。さっきのよりは良いんじゃないんですか?」
「そうじゃなくっちゃ困る。何のためのお前だ。」
「そりゃそうですね。」書き殴って、吟味して整えて書き直してできた一枚の紙を彼に渡す。
私は、作詞家、だ。
といっても、一般に言うメジャーな作詞家ではない。
作詞・作曲またはそのいずれかにアーティストの名前が入るのも珍しくない現代。
自分で作れる人は良い。
しっかり自分で波をつかんで何の問題もなくこの波に乗っていく人も、沢山いる。
波に乗っていけない人は、脱落していく。
私も裏方としてこの世界に身をおいている中で、そういう人は星の数ほど見てきた。
問題なのは、波に乗れていないけれど音楽業界にも進出させたい、若手タレントのような場合だ。
そんなふうに、演技やトークの力はあっても、セリフ無しで自分の言葉を使って表現するということが
全く出来ない…そういう人間も、また多々いる。
そんな時、私にお声がかかるというわけだ。
タレントの代わりに私が詞を書き、タレント名義で世に送り出す…。
それが、私の仕事。
ちなみに
「さっきの」というのはタレントが試しに書いてきた歌詞のことだ。
うん、まぁ
「HAPPY」を押して固めたような、歌詞、だった。
川崎さんは私の渡した紙を見つめ、時折コーヒーを口へ運ぶ。
「まぁまぁ、だな。」
ま、これでいいだろう。この子の音楽的面は先方もそれほど期待して無いようだし。
そういうと、川崎さんは私の渡した紙を持って行ってしまった。
「お疲れ様でした〜。」
こっちが必死でひねり出した歌詞を見てまぁまぁと言った上に
「お疲れ」の一言も無い
上司に向かって、聞こえないと分かってはいても一応労いの言葉をかけて、
私はさっさと出社した。
会社は、居心地が悪いから。
私は今でこそこんな裏方の仕事をしているが、前までは普通の、メジャーな作詞家だった。
この会社お抱えの。
でも私は、あるトラブルでクビを余儀なくされた。
そうして辞めた後に職に困っていた私を、ゴーストソングライターとしてこっそり雇ってくれたのが、
他でもない川崎さんなのだ。
こっそり、といっても世間と言うのは知って欲しくないことに限って瞬く間に広がって行く。
私が元
「オモテ」作詞家で、今は
「ウラ」作詞家であることは社内では周知になっていた。
そして誰も傷モノの作詞家なんて、好きではない。
そんなわけで、会社と言うものは私にとって非常に居心地が悪い場所なのだ。
仕方ないんだけど。自業自得だから。
昼は暑いけど、夜になると薄い長袖一枚くらい欲しくなる。
外に出ると、半袖から出た腕が冷えた。
翌日夜に出勤すると、川崎さんが待っていた。
「小原。」
「あ、こんばんは。」
川崎さんがオフィスの前で待っていた時点であんまり良いことが起こらないとわかっていつつも、
とりあえず挨拶。
「昨日の歌詞な、ボツだそうだ。」
ほらね。
「まぁまぁ、だったんじゃないんですか?」
皮肉る私にかまわず、いや、それがな、川崎さんは眉間に指を当てて言う。
「なんでも、先方のイメージに合わないんだと。」
「イメージって…。」
「HAPPY。」
「はぁ…。」
「とにかく、気に入らないらしい。もう少し幸せな感じにして欲しいと。」
と言うや否や私に一枚の白い紙を渡し、川崎さんは踵を返した。
オフィスのドアを開けようとして、ああそれから、と川崎さんが振り向く。
「期限、今夜中だから。」
「…できるか!」
誰もいないオフィスで、悪態をつく。
結局、その日は非常食用に持ってきていた携帯ゼリーのみでオフィスに篭る事になった。
午後11時、出来上がった一枚の紙を持ち、川崎さんのいつも座っている席へと持っていく。
が、席に彼が居ない。あの、川崎さんはどこへ?と近くの人に聞くと、
「仮眠室で仮眠中じゃないんですか?」
私ではなくパソコンを見つめて、こう答えられた。
仮眠室へ行き、扉を開けると
「わゎっ」
川崎さんが立っていた。
「おお小原。出来たのか。すまん、少し寝てた。」
「や、大丈夫です…。」
さっきはああ悪態をついたものの、川崎さんは私の数倍も働いている。
恐らく丸一日寝ていても補いきれないくらい。
「どうだ、コーヒーでも。」
自販機から自分のコーヒーを取り出し、縦に勢い良く振る。
遠慮しときます、断ると、ああそうかお前はコーヒー飲めなかったんだよな、と川崎さんが返す。
「で、できたか?HAPPYな曲は。」
自販機前のベンチに座って、川崎さんはカチ、と缶を空ける。
「…出来ましたよ。お気に召すかどうかは分からないですけど。」
私は川崎さんの隣に少し間を空けて腰掛ける。
「まぁ、見せてみろよ。」
川崎さんの目が、じっと黙って歌詞を読んでいく。時々缶コーヒーを口へ運ぶ。
「…良いじゃないか、これなら先方も大丈夫だろう。二回目だし。」
二回目、と言うのを聞いて、ああ、と思う。
「私がウラの作詞家だから威張られただけ、なんですね。」
ははは、そう言うなよ。川崎さんが苦笑する。
最近はあまり無かったが、ちょくちょくそういうことがある。故意にボツにされるのだ。
作詞した人物が名前を出さずに歌詞を譲渡する、なんて普通はありえない。
だから、
「ははん、こいつは世間的に弱い立場にあるんだな。」と先方はすぐに気がつく。
そこにつけこまれて、一回目がボツになる。
そんな時は二回目を出すとすんなり通る。相手側は一回いびれば気が済むらしい。
二回目、ということは今回のダメ出しも、その類だろう。
「すいません…。」
「お前が気にしても始まらないよ。…しかし、お前は曲げないなぁ。」
「何を、ですか?」
「考え方だよ。歌詞は『詞』なんだからそれだけ読んでもきちんと作品で無けりゃ駄目だって、考え方。」
「あぁ…。」
「その考え方の所為で一度はクビになったってのに。」
「仕方ないですよ、書いてる内にその考えに沿っちゃうんですから。」
だから、テキトーに綺麗な言葉を並べられなくて、ここまで時間かかったんですから。
まぁなぁ、と川崎さんは缶を傍らに置く。
「いつだったけか、お前がクビになったの。」
「去年の…五月です。」
「そうか、もう一年経ったか…。」
はい、と相槌を打つ。
そう、私は去年、一度クビになった。
当時、何回か作詞をした曲がヒットして、自分で言うのも何だが期待の作詞家だった私は、目まぐるしく働いていた。
毎日毎日新しいメロディを聞いて、それに歌詞を付けて、提出してまた新しいメロディを聞いて…
その繰り返しで一日が過ぎていった。仮眠だけで一週間が過ぎたこともある。
そんな生活を一年ほど続けていたが、だんだんと体がついていかなくなってきていた。
それでも私の歌詞が皆に必要とされていることが純粋に嬉しかったから、やれるだけやろうと、した。
栄養ドリンクやサプリメントで鞭打って、飲めないコーヒーを眠気覚ましに飲んで。
ある日。
「小原さん、これ、今日の13時までにお願いしたいんですけど…。」
そう言っていたのは先程川崎さんの居所を聞いた人だった。この頃は、まだ相手を見て話す人だったらしい。
うんわかった、そこに置いといて、と笑顔で返して机に振り返ろうとした途端、頭に強い痛みが走った。
それから記憶が途切れ、私は気がついたら点滴を打たれて病院のベットに居た。
過労で倒れたとの事で、
「今日明日はゆっくり休んだほうがいいですよ。」
と医師は言った。
そうかやっぱり私は働きすぎなんだな、ここらでちょっと休んでも良いよね…。
とぼんやりと考えて、それから後にも先にも無いほど最高に熟睡した事を、今でも覚えている。
目が覚めると、池永さんという音楽プロデューサーがベットの脇に立っていた。
「あ、おはようございます…。」
「はは、今はもう昼だよ。」
確かに窓からは強い日差しが差し込んで、逆光になっていた池永さんからは、表情が見えなかった。
「どうしたんですか、お忙しいでしょうに。」
「敏腕作詞家が倒れて、見舞いに来るのがそんなに悪いか?」
いやそんな、と言いながら、『敏腕』と言う言葉に私は満更でもない、という顔をしていたのだろう。きっと。
「まぁゆっくり休んでいればいいとの事だから、今のうちにしっかり休んどけよ。」
「すいません、皆に迷惑をかけてしまって…。休んだらすぐに復帰しますから。」
みんなが私を待ってる。
「そうだそうだ、ちょうどいい休暇なんじゃないか?ああそれから…、これ渡しとく。」
差し出されたのは数枚の紙だった。
「何ですか、これ?」
「今週の新曲の歌詞だよ。お前が休んでる分、お前が前指導してた作詞家志望のやつらに書かせてみた。」
「は?」
「川崎はお前の名前は使わないほうがいいんじゃないかと言ってたけど、
お前は今の流れを止めたくないだろう?ああ、大丈夫だよ。
名義はちゃんと小原ユリで出るし、給料も貰えるから。口止め料も上乗せしてな。」
だから誰に何か聞かれても歌詞についてコメントできるように、目を通しておいてくれ。
「なにせお前は他社からも誘いが来るほどの敏腕作詞家だからな。
『作詞した覚えが無い』なんていわれたらこっちの信用に関わる。そうなったら大損害だ。」
「…。」
意味が分からず、黙っていると、
「じゃあそういうことで。」
池永さんは立ち去ろうとする。
「…ちょっと待ってください。」
掠れるような声だった。
「ん?」
逆光で黒い顔。表情は見えない。
「つまり、私が作曲していないものが私の名で世に出る、と…?」
「ああそうだよ。だからゆっくり休んでくれて大丈夫だ。」
「ということは…私は名前だけあれば、小原ユリって書いてあれば、
私が書いた詞じゃ無くてもいいんですか?」
まだ少し掠れていたが、語調はさっきよりもずっと強かった。
「小原。君も業界人だろう。こういうことが行われているのはわかっているはずだ。」
「でも…!」
まぁそういうことだから。
「ちょっ…。」
黒い顔は再び足を止めることなく、病室を出て行った。
しばらく途方にくれた後、私は公衆電話に駆け出した。
会社に電話をかける。
トゥルルル、と呼び出し音が鳴っている間、さっき渡された歌詞に目を通す。
意味が繋がらない英語と日本語の単語の羅列。
歌詞は『詞』なんだからそれだけ読んでも通るようにしなければ、歌詞じゃない。
なのに。
良く見てみると、下の方に『PVにダンスを多く使いたいので、リズム重視。英語で。
それ以外は何も注意することは無いです。』
ピッ
「小原です、川崎さんを。」
『あ、はい、ちょっとお待ちください…。』
しばらくして川崎さんが出た。
『おおどうした、体は大丈夫なのか?』
「どういうことですか、あなた方に必要なのは私の名前ですか、
しかもこの私名義の歌詞…。これじゃプロモの付属品…やめてください、今すぐ!」
『おいおい、ちょっと待て。落ち着け。大体それはもう…。』
もう?
「先方に、持って行った?」
『ああ…。』
受話器が手から落ちるかと思った。あれは私の歌詞じゃないのに、
あれが世に出たら私以外の全ての人があれを私の歌詞だと言う。
嫌だ。
「持って行ったのは○○に二曲と、□□に三曲ですよね?」
受話器を握りなおして、聞いた。
『そうだが…。おい小原、もう諦めろ。気持ちは分かるし本当はすべきじゃないってこともわかってる。
でもお前の人気維持には、もう少し歌詞を出し続ける事が必要だ。何もするな。でないと』
ガチャン。
川崎さんの言葉を最後まで聞くことなく、私は電話を切った。そして各プロダクションに
電話を掛けた。
「もしもし、□□の小原ユリです。今日そちらに行った私の歌詞なんですけど…。」
だめだ、もし本当のことを言ったら、私のクビはおろか、会社全体の信用もガタ落ちする。
「私の書いた歌詞じゃありません。私は、こんなの書きません。」
私は本当に馬鹿だった。…でも後悔はしていない。
「あれから大変だったよなあ。」
ははは、本当に申し訳ないです…。
川崎さんが笑っている。私の事で一番迷惑をかけたのは、紛れも無く彼だ。
どんなに詫びても詫びきれない。
あの一本の電話の後、会社は苦情の電話が殺到した。
実際に私の名前のみが使われたのはあの数曲だけだったが、
今まで私が作詞したものも嘘なのではないかと疑いがかかった。
そして全員がこう結んだ。
「もう小原ユリには作詞を依頼しない。」
私は瞬く間にクビ、川崎さんも処分を受け、池永さんも川崎さんよりは軽いが処分を受けた。
それから、会社の信用を取り戻すため川崎さんは奔走した。
「すみませんでした…。」
私は川崎さんに謝ることしか出来なかった。
あんなに人に迷惑をかけておいて、妙にすっきりした部分があったのには、自己嫌悪に陥った。
今まで作詞以外に何も見ないで生きてきた私は、退院した後、しばらくはマンションに篭って
貯金で暮らしていた。音楽のない世界で、歌詞のない世界で。
しばらくして、マンションを引き払った。分譲マンションは、今の私には似合わない。
アパートに引っ越して、アルバイトを始めた。今では大分マシになったが、始めた当初は酷かった。
バイト先で流れているBGMを、騒音の中で聞き取ろうとしている自分にも、気がついていた。
そしてバイトだけでは徐々に生活が苦しくなってきた時、川崎さんから電話があった。
『新人タレント名義で、歌詞を書かないか。』
と。
皮肉なことだけど、私はこの仕事で生活している。
川崎さんや池永さんにも、これ以上の迷惑をかけられないし、
過去に人の迷惑を考えず自分勝手に行動してしまった私に、
自分の名前を名乗って作詞する資格はもうどこにも無い。
掌を返したように新人タレント名義で歌詞を書き始めた私に、周りの目は冷たい。
でもただ私は歌詞を書きたくなっただけだ。
「ほんとに、すみませんでした。」
また今更言っても意味無いけど。
ははは、良いよ。過ぎたことだ。
それに、その考え方が無くなったら、お前を雇う意味、無くなるしな。
川崎さんは笑うと、
「なぁ。」
「はい?」
「昔と今、どっちがいい?」
名前を必要とされ、目まぐるしく仕事が来て、人が認めてくれていた時期と、
中身だけを必要とされ、仕事もあまり来なくて、人が認めてくれない時期。
「…どっちでしょうね?」
「まだわからない…か。」
「でも、美味しいですよ。」
「ん?」
「現役の時は眠くなるから控えてたホットココア、今じゃ美味しく飲めます。」
そうか、それは良かったじゃないか。
川崎さんは笑って立ち上がる。じゃあ、これで先方には出しておくよ。
お願いします、私も立ち上がって礼をした。おう、と川崎さんが振り返らずに返す。
凝り固まった体をひねる。よし、オフィスに戻って荷物をまとめよう。とオフィスに向かって歩きだす。
ふ、と目に入る、自販機の二段目、
「あったか〜い」ココア。
…
ガチャン。
これ飲んでから、帰ろ。