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迷宮物語 ~剣の王~  作者: 飛狼
序章 『死者の迷宮』
3/3

3

少し長いです。


 アレクの弟にあたるエドワードが誕生してから五年目となるこの年、伯爵領内は騒然そうぜんとしていた。しかしそれは、悪い意味ではなく良い意味でさわがしかったのである。


「今年の『聖霊祝福の儀』は盛大なものとなりそうだね」

「そりゃそうだ、なんといってもエドワード様は、大神オーディン様に愛されてるお子様だから」

「これでモーロック家も、この領都も安泰あんたいですな」


 などと、領内に暮らす人々がうわさしあっているのだ。そして、あと一月ひとつきと迫った『聖霊祝福の儀』に、その表情を輝かせていたのである。領民たちにしても、七年前にアレクのためにり行われた『聖霊祝福の儀』からたんを発した、エドワードが誕生するまでの二年に渡る騒動そうどうは、まだ記憶に新しい。その心情は、お祭り騒ぎへの期待が半分、残りの半分は、これでようやく安堵あんどできるといったところであろうか。

 そんな領民たちだけでなく、いや、それ以上に伯爵家の城館内では大いにあわただしい。今度こそは七年前のような失敗はできないのだから。

 アルフレッド伯爵は、時には苛烈かれつに政治的な判断をくだす事もあるが、臣下へと向ける目はおおむね公平であり、下の者からはしたわれ意外と人気が高い。そのため、上は政庁に詰める閣僚から下は末端の小役人や一般の兵士まで、今回は必ず成功裡せいこうりに終わらせると意気盛んであった。それはもう、一年も前から準備に取り掛かる念のいれよう。領都は勿論もちろん、領内の各地へと派遣されている小役人や下っ端の兵士までもが、少しでも騒ぎがあれば即座にその根を断とうと目を光らせている。それ以外にも、他の貴族家への根回しから、本来であれば貴族家の『聖霊祝福の儀』に訪れる事のない、王家の使者を招く内約を取り付ける事まで成功していたのである。もっとも、王家の使者は、近年になり王家すら圧倒する伯爵家に脅威きょういを覚え、おもねる、或いは少しでも伯爵家の不利となる情報を探ろうとする内偵、その両方の感が強いのであるが。 

 とにかくそんな訳で、エドワードの『聖霊祝福の儀』は、エスパイア王国内でもここ数十年、まれに見るほどの大盛況なものになろうとしていた。

 そして、その『聖霊祝福の儀』まで、あと残すところ一ヶ月と迫ったこの頃。

 城館内でのあわただしさをよそに、アルフレッド伯爵はひとり思い悩んでいた。この日も、城館奥の宮室にある居間で、伯爵は家族とくつろいでいた。が、エドワードを膝に乗せてあやすリリスを眺めても、珍しく伯爵の表情は晴れない。そして、「はぁ」と深くため息をつきつつ、目の前のリリスへと話しかけるのである。


「……ところでリリィ、アレクの姿が見えないが……」


「そういえば……朝から見かけませんね」


「おいおい……」


 伯爵は非難するように、リリスに眼差まなざしを向けるが、その口調は力なく弱々しい。それは、アレクと顔を合わせるのが辛いからでもある。というのも、伯爵の悩みがそのアレクであるからだ。

 そして、その悩みとは――エドワードの『聖霊祝福の儀』を執り行うと共に、アレクから伯爵位の継承権を取り上げ、エドワードへとすげ替える。それは当然ともいえた。エドワードは三属性の魔法の技能スキルを持ち、しかもその内のひとつは聖属性。それに引き換えアレクは、未だに魔法の技能スキルがひとつも発現することがない、貴族家からうとまれ忌避きひされる『忌み子』。それどころか、才能がないのか後天的に発現する魔法以外の技能スキルすら皆無かいむなのである。通常この世界で生まれた者は十二、三歳の頃までに、それまでの経験に基づく、何某なにがしかの技能スキルが備わるというのにだ。

 だから、嫡子ちゃくしの交替は、ある意味当然の結果ともいえた。その事は既に、伯爵家では決定事項となっていたが――要するに、伯爵家の嫡子ちゃくしをアレクからエドワードへと替えることを、当の本人であるアレクには、まだ伝えていないのだ。まさか、そのような重要な話を他の者に任せる訳にもいかず、さりとて伯爵も伝えようとするのだが、そのたびにアレクが受ける衝撃の重さを思いやり躊躇ちゅうちょしてしまう。時には果断な伯爵も、我が子アレクに対してはまことに情けなく優柔不断になってしまうのである。それに引き換え母親のリリスは、自信に満ちた晴々とした表情を浮かべていた。


「リリィ、お前は心配ではないのか」


 と、伯爵が不満をもらしても、


「このエディもアレクも、私がお腹を痛めて生んだ子たち――」


 と、膝元で甘えるエドワードに慈愛じあいに満ちた眼差まなざしを向ける。

 母親にとって子供とはある意味、我が身から分かれた分身のような存在。例え何があっても、親子の縁は切っても切れぬと信じているものだ。

 この時のリリスもまた、例えアレクが事の顛末てんまつを知り、恨みに思って両親から心が離れようとも、いつかは自分の元へと必ず戻って来てくれると確信していた。それに、それだけの愛情をも注いで育ててきたとの自負もある。それが、今の態度に表れていた。まさに、母は強しである。

 だから、


「――きっと、大丈夫ですよ」


 と、満面の笑みで締めくくる。しかし、父親というものは、母親ほどには確信をもてないものだ。しかも、今回の件では、ついに魔法の技能スキル、ひいては『み子』についても話さなければいけないかも知れない。その事を考え、伯爵は気が重くなるのである。

 目の前では、自分にも関係する話が頭の上で飛びっているのを知ってか知らずか、リリスの膝の上に座るエドワードが、今にも眠たそうに眼をとろ~んとさせていた。それを眺め、伯爵はまた深く長くため息を吐き出すのであった。 

 しかし、この両親の心配はただの取り越し苦労、案ずるより産むが易しだったのである。というのも、アレクはこの時期すでに、嫡子ちゃくしをすげ替える件も『み子』の意味すら知っていたのであるから。確かに隠されていた秘事、事実を知った時には、アレクも大変な衝撃を受けた。それは両親が思っている以上にだ。十歳の頃に全てを知り、この二年の間に「何故、僕が」とふさぎ込んだ事もあった。産んだ両親を恨み、後から産まれた弟のエドワードを憎んだこともあった。だが、両親が気付かない間にアレクは、それら全ての想いを乗り越えていたのだ。両親から注がれる愛情もそうだが、アレクには支えてくれる大きな存在がいたからでもある。その存在が嫡子交替や忌み子の情報をもたらし、その上でアレクの性根がねじ曲がるのを防いでくれた。そう、それが生涯の友ともなる二人の友人だった。

 そして今日も――


「おぉい、お待たせぇ!」


「若様ぁ、おっそいよぉ」


 情熱的で華やかな甘い香りが漂う薔薇園ばらえんへと、意気揚々(いきようよう)と駆けていくアレク。それを出迎えるのは、ソフィーナとロイの二人。ソフィーナはほおふくらませ、丸顔をさらに丸くして口を尖らせる。その横ではロイがしわくちゃの顔に、にぱぁといつもの珍妙な笑みを浮かべていた。


「ごめんごめん、抜け出てくるのに時間がかかって……って、ソフィはよく抜けてこれたね」


「……だぁはははは、まぁねぇ」


 笑いながらソフィーナが視線をらした。いかにもサボってますと言いたげな分かりやすい反応に、アレクが苦笑いを浮かべた。

 ロイはこの庭園で働く庭師の見習い。なんとでも理由が付けられるが、ソフィーナは城館の表向きの侍女見習い。そうそう抜け出して庭園へと向かうのは難しいはずなのにと、アレクは首をひねるしかない。


 ――今は、皆が忙しいみたいだし、僕たち子供に構ってるひまなんてないか。


 と、アレクはひとり納得する。だが実際は、アレクたちは知らなかったが、周りの大人たちは黙認していただけだった。忙しいのも確かではあるのだが――ソフィーナは、館の侍女の全てを統括する侍女頭エレノアの縁戚えんせき。ある程度は自由に動けるうえに、周りの侍女が、何かと面倒――忌み子と噂のアレクを押し付けていたのだ。もっとも、ソフィーナ自身は押し付けられていることに気付いてもいないのだが。そしてロイにしても、会ってる相手がアレクだと知れると、伯爵家の下僕げぼくである庭師たちが文句を付ける訳もなく、逆に遠慮しているほどであった。


「それで今日はこの庭師くんがって……あ、その前に若様へ報告があったんだっけ」


「ん、何?」


 三人が出会ってから、すでに二年がつ。その間、アレクは頻繁ひんぱんに城館奥から抜け出し、この庭園でソフィーナとロイの二人と顔を合わせていた。少し人見知りだったロイも、今ではすっかりとアレクたちと打ち解けていた。ソフィーナは侍女らしい落ち着きがないのは相変わらずで、アレクが「僕たちの前では堅苦しいのはなしで」と願ったからではあるが、はすっぱな言葉遣いもいまだ直らず、他の人の前では大丈夫だろうかとアレクが心配になるほどだった。

 嬉しそうに話すソフィーナを眺めつつ、アレクは(かたわ)らのロイへと目を向けるが、何も知らされていないのか肩をすくめていた。そして、ソフィーナが、二人の目の前でほこらしげに胸を張った。


「へへ、じゃじゃーん、アタイもついに技能スキルを修得……んぐんぐ」


 話の途中で、焦ったロイが慌ててソフィーナの口をふさぐも、三人の中で一番小さいロイはすぐに振り払われてしまう。


「ちょっとぉ、なにすんのよぉ!」


 口を尖らせて憤慨ふんがいするソフィーナ。しかし、地面に転がるロイも負けてはいない。


「だ、ダメだよソフィ! 若様に技能スキルの話は!」


「あ……」


 ようやくロイがなぜ焦ったのか思いあたったソフィーナは、自分の頭を「馬鹿馬鹿、アタイの馬鹿」と言いつつポカポカ殴っていた。その後、そろ〜りとアレクへ顔を向ける。


「……若様は気にしてないよね。大丈夫だよね」


「うん、もう僕は乗り越えたから……」


 アレクの返事に、ホッとした様子を見せるソフィーナだったが、ロイはまだ納得していなかった。


「若様が、気にしてない訳ないだろう。本当にソフィは……」


「な、何よぉ、庭師くん。だいたい、人の価値なんて技能スキルでなんか決まんないわよ!」


「ばっか、また……それにオイラが言ってるのは、そういう事じゃないだろう。ソフィの口の軽さを――」


「庭師くん、うるさぁい!」


 と、ロイとソフィーナの二人は普段は仲が良いのに、何故かアレクの事となると直ぐにいがみ合う。

 そして、アレクはというと、


「あぁ、分かったから、僕は気にしてないから」


 と、二人の間に入りなだめて収めるのが役割だった。これが三人のいつもの日常。


 けっぴろげで物事にとらわれず、思ったことをぐに口にして行動に移す猪突猛進型のソフィーナ。いつも先走ってアレクとロイを困惑させる。それにひきかえロイは、常に熟慮じゅくりょして先を読み行動しようとする冷静沈着型。少し考え過ぎるところがあり、ソフィーナを苛々(いらいら)とさせることもしばしばだ。そして、そんな二人をまとめるアレクは、育ちのせいか普段はのんびりとしているが、芯には熱き想いを抱える温厚篤実おんこうとくじつ型。甘やかされて育ったためか、少々優柔不断ではあるが。

 互いの足りない部分を補いあう、まことに均衡きんこうのとれた三人組だった。何かと周囲が騒がしく、アレクにとってはわずらわしいこの時期、二人と顔を合わせている時だけが心から楽しいと思える一時ひとときだった。いわば、時に落ち込みささくれ立つ感情を、平静へと戻すための一服の清涼剤。ソフィーナとロイの二人は、かけがえのない友人となっていたのである。


 まだいがみ合う二人をなだめるため、アレクはソフィーナへと話を振る。 


「それで技能スキルって、どんなの?」


 それは、どうせ侍女として働いているのだから、裁縫さいほうとか、何か家事に関する技能スキルだろうと思って、軽く考えてアレクは尋ねたのだ。が、ソフィーナの答えは予想とは大きく違っていた。

 アレクの問いに、ソフィーナはにやにやと嬉しそうに笑いながら返事する。


「えぇと、【体術】って技能スキル


「えっ……うそ!」

「戦闘系の技能スキル!?」


 アレクとロイの二人が、同時に驚きの声をあげた。


「そ、だから以前の倍ぐらい体の切れが良いのよぉ」


 そう言うと、ソフィーナが二人の目の前で素早く左右の拳を突き出し、その勢いのまま体をひねり鮮やかな右の回し蹴りを放った。ソフィーナの爪先がシュッと音を鳴らして、アレクたちの頭上を走り抜ける。その後に、ふぁさりと風になびく髪の毛。

 格闘系の派生技能でもある【体術】の技能スキルは、剣士や槍士等の戦闘職の基本ともなる技能スキル。そして、今ソフィーナが見せる体捌たいさばき、これこそが技能スキルを持つ者と持たざる者との差、越えられぬ壁でもあるのだ。持たざる者が数年の修練をて立つ場所に、持つ者は一足飛いっそくとびに数瞬で辿たどり着いてしまうのである。

 ソフィーナの切れのある動きに、


「おぉ……すげぇ……」


 と、またアレクとロイの二人から感嘆の声がもれた。しかし同時に、今度はアレクの胸の内に痛みにも似た感情がわきあがる。それは弟であるエドワードにも向けた覚えのある感情、羨望せんぼうそして嫉妬しっと。乗り越えたといっても、やはり実際に誰かが技能スキルを発現させたのを目の前にすると、「なぜ僕だけが」と、魔法どころかそれ以外の技能スキルさえ発現しない自分をなげき、感情が沸き立つのも無理はなかった。

 そのアレクの、微かな感情の揺らぎに、真っ先に気付いたのはロイだった。そして、呟く。


「若様……」


 二人の前では、まだソフィーナがはしゃぐように体を動かしている。ロイは、それを止めようとするも、アレクがその肩を掴んで制止した。そして、嬉しそうに動き回るソフィーナをちらりと眺めた後、ロイへと顔を向ける。


「もしかしてえた……?」


「……オイラ……」


 ロイには、アレクからかすかに吹き出す負のオーラがえていたのである。だから、なんと声をかけて良いか迷い、思わず言葉が詰まってしまうのだ。

 

 ロイが秘密にしていた『先見』の技能スキルの事を、二人に打ち明けたのは一年と少し前だった。その頃のアレクは、『忌み子』の意味を正確に把握はあくし、「僕は貴族家、神民ティタンから落ちこぼれた呪われた子」と、かなり落ち込んでいた時期でもあった。アレクのまばゆいばかりの金色こんじきのオーラが、黒く禍々(まがまが)しい負のオーラへと変わっていくのを見かねたロイが、思い余って「オイラには未来が分かる」と、『先見』の事も合わせ全てをアレクへ伝えたのである。そして、アレクは英雄にもなれる人物だとも断言した。だから自分は若様の役に立ちたいと、ロイは熱っぽく語ったのである。その時も、かたわらにいたソフィーナが「アタイにも分かる。若様は技能スキルなんか関係なく、アタイたちを越えていく人だ」と言い切った。もっとも、ロイの『先見』は『予言』の劣化版。なんとなく分かるといったあやふやなものでしかない。未来は流動的なもの、遠い未来になるほど不確かなものになってしまう。それでもロイは、アレクの本質を見抜き信じたのである。そして同じくソフィーナも。

 その時は、自分のことをあこがれをいだいて真正面から見つめてくる二人に、アレクも照れたように苦笑いを浮かべるしかなかった。だが、この時の二人の熱い想いが、アレクのねじれかけた性根を真っ直ぐに正したとも言えるだろう。

 その日を境にアレクは変わった。いや、変えようと思ったのだ。

 技能スキルが人の全てではないと。この『アトランタ』と呼ばれる世界を支配する技能スキルを否定し、技能スキル以外のもっと別の何か、例えば、人としての品性や善性といった精神のもとに根差す徳といったものを、高めようと誓ったのである。


 しわくちゃの顔に、いっそうしわを寄せて掛ける言葉を探すロイ。それに気付いたアレクが、微笑を浮かべて肩を叩く。


「僕は、もう大丈夫だから」


 アレクのその言葉には、ロイやソフィーナへの感謝の念が込められていた。そして、その想いを読み取った、いや、たロイの顔いっぱいに、にぱぁと笑みが広がるのだった。

 と、そこへ、


「何、なに、なにぃ」


 と、体を動かすことにきたソフィーナが、無邪気な笑顔のまま二人の話に割って入る。さすがのアレクも、これには苦笑いを浮かべるしかない。


「ホント、ソフィは場の雰囲気をみ取るとか出来ないよね。オイラ、呆れてしまうよ」


「なによぉ」


「まぁまぁ、ソフィも悪気があってじゃないから――」


 ソフィーナとロイがまた言い争いを始めそうになったので、アレクはまたしても慌てて二人をなだめるはめとなった。

 そして、アレクが言うように、ソフィーナも悪気があってやってる訳ではない。アレクやロイにも、そのことは十分に分かっているのだ。ソフィーナは、三人の中でも一番年上の十三歳。だが最年長といっても、まだまだ子供と言っても良い年頃である。技能スキル修得の嬉しさのあまり、他人に自慢したくなるのは至極当然の態度でもあったし、アレクやロイの気持ちをしっかりと思いやるほどには、まだ大人に成りきれていない。

 それにひきかえアレクとロイの二人は、年齢こそ十二、十一歳と下ではあるが――アレクは、ここ数年の周りの大人たちの微妙な変化や『忌み子』の問題に頭を悩ませ、ロイに至っては生まれた時に母に捨てられ、伯爵家へ下僕として引き取られている。ロイの場合はその間、周りの大人たちからの悪意にさらされ続け、生まれてから十一年は不遇をかこつ連続でもあった。そのうえ、それらを『先見』の技能スキルでもって、つぶさにてきたのである。そんな周りの事情が、何時いつまでも子供でいる事をゆるさなかったとも言えるだろう。だから、真っ先に大人への階段を登り始めたのはロイであり、次いでアレクと、三人の精神年齢は実年齢とは真逆といっても良いかも知れなかった。

 しかし同時に、ソフィーナの天真爛漫てんしんらんまんな笑い声が、重く暗くなりがちだった二人の心情を吹き飛ばし、アレクとロイを救ってきたのも事実なのである。


 いつまでも言い争う二人に呆れたアレクは、もう技能スキルの話はいいよと、別の話題へと強引に切り替える。


「――それより、ロイも何か話があるんだよね」 


「あ、うん。オイラ、若様に見せたい場所があるんだ」


「見せたい場所?」


 うなずくロイが「ついてきて」と言い、先に立って歩き出す。アレクとソフィーナは顔を見合わせ首をひねり、その後に続く事となった。

 ロイが二人を案内したのは、庭園の外れにある一画。華やかに咲き誇る薔薇園の中をしばらく歩いていると、いつしか薔薇ばらの花は姿を消し、名も知れぬ樹木じゅもくがひっそりとたたずむ静かな木立の中へと迷い込んでいた。

 抜け出す以外、滅多めったに城館奥から出してもらえないアレクが、庭園の隅々まで全てを知っている訳がない。だから、


 ――庭園の中には、こんな場所もあったんだ。


 そんな事を考えつつ周りを見渡していた。と、アレクの前に、それは突然に現れた。


「あれは?」


「あそこに見えるのが、アレクのほこら!」


「えっ、僕の?」


 唐突に、自分の名前が出てきた事に驚くアレク。その様子に、してやったりと、にぱぁといつもの笑みを浮かべるロイだった。

 アレクたちの目前、木立の陰から突如現れたように見えたもの。それは、木立を抜けた先の中央に、ほこらと呼ぶには少々大きい小屋のようなものが建っていたのである。

 王国内でも、ついぞ見たこともない様式で建てられた、その建造物。四方を石造りの壁が囲み、木製の二つの傾斜面を持つ山形の屋根が載っかっていた。さらに、その屋根の上には平らな石が、うろこ状に並べられているのだ。正面には、重々しい格子模様の両開きの木製扉が二枚、左右に並んでいた。そして、その祠を異様に見せるのは、その手前で門のように立つもうひとつの木造の建造物。二本の円形柱の上に、二枚の水平材が渡されている。高さは、祠と同じぐらいか、少し低いかも知れない。見た目は扉を取り払った門のようなものにも見える。そこをくぐると、ほこらまで、一直線に石畳いしだたみが続いていた。簡素かんそではあるが、全てにおいておごそかな雰囲気のただよ摩訶まか不思議な建造物だった。

 ロイは『アレクの祠』と言ったが、当然この場にいるアレクのことではない。伯爵家から、モーロック家中興の祖とあがめられている、アレクと同じ名前の先祖のことである。

 ロイも詳しくは知らないのだが、この祠の存在を聞いたのは偶然だった。

 この庭園は、伯爵家の威勢いせいを示すかのように広大だ。その外れにあるほこらの存在は、長い年月の間に人々の記憶から失われていた。伯爵家も、全てが順風満帆じゅんぷうまんぱんに受け継がれてきた訳ではない。時には後継者問題で揺れ、血で血を洗う骨肉の争いをえんじた事もある。その際には、一族の間で粛正の嵐が吹き荒れたこともあった。そんな長い歳月の間に忘れ去られ、現当主であるアルフレッド伯爵さえほこらの存在を知らなかったのである。

 しかし、忘れていない人々もいた。それが何代にも渡って、下僕として伯爵家へと仕えていた庭師たち。その庭師の中に、皆から「モクじぃ」と呼ばれる年老いた庭師がいた。なんの事はない、「耄碌もうろくした爺様」を縮めて呼んでいるだけなのだが、伯爵家先々代の頃より庭師として働いているとの話だった。そのモクじぃが、アレクとロイの仲の良さを聞き及んで、ほこらの事を思い出し、「そういえば、若様と同じ名前の祠があったのぉ」と、ロイに教えたのである。そこでロイが面白い話を聞いたと思い、若様を誘って一緒に見に行こうと案内したのだった。


「へぇ……ご先祖さまのかぁ…………」


 ロイから自分の名前の由来ともなった先祖のほこらだと聞き、アレクは感慨かんがいもひとしおにほこらを眺めていた。


「あ、でも、モクじぃから聞いただけだから、オイラにも本当のことかまでは分かんないや」


 あまりにもアレクが感動するので、ロイがあせって否定するようなことを言った。しかし、二人の傍らで、手前にある円柱を「変なのぉ」と、ペタペタと触っていたソフィーナが、ロイの話に反応した。


「でもさぁ、もし昔の偉い人のものなら、もしかしてぇ、あの中にお宝とかあるかもよ!」


 そう言うが早いか、ソフィーナは歓声をあげて祠へと駆けていく。やはり、ソフィーナはまだまだ子供である。もしかしてお宝がと考えると、居ても立ってもいられなくなり思わず駆け出したのであった。


「あ、ソフィ……」


 後に続く「危険だよ」との言葉を飲み込むアレク。途中で、ここは庭園の中だった事に思い至り、危ないことは何もないかと苦笑いを浮かべた。その後、ロイと二人して肩をすくめると、ソフィーナの後を追いかけた。

 祠へと続く石畳を打つ三人の靴音が、静かな木立に「コツコツ」と響き渡たる。

 アレクとロイがほこらへと辿たどり着いた時には、すでにソフィーナは両開きの扉に手をかけ悪戦苦闘していた。


「なに、この扉ぁ! びくともしないわよ!」


 開けようと、いくら押しても引いても扉はぴくりとも動かないのだ。


「鍵は?」


「うぅん……でもぉ、どこも鍵が掛かってる様子もないけどぉ」


「あぁ、それなら魔法で封印されてるのかも」


 ロイとソフィーナが、そんな話をわしている後ろで、アレクは心ここに有らずといった様子で突っ立っていた。何故なら、さっきから――この祠の前に立った時から、しきりにザワザワと胸の内がざわつくのである。


 ――なんだろう、この感覚は。


「若様、どうかした?」


 不思議な感覚に困惑していたアレクに、いぶかしさを感じたロイが声をかけた。


「いや、なんでもないよ。屋根とか、見たこともない形だったから、びっくりしただけ……でも、開かないなら、これ以上はどうしようもないよね」


 ロイを安心させようと、微笑を浮かべるアレク。そして、まだあきらめきれないのか、扉の前でくやしがるソフィーナの背後からソッと手を伸ばし扉に触れた。

 と、その時、


 ギギィィ……。


 重々しい音を響かせ、扉がかすかに動いたのだ。


「えっ…………」


 思わず顔を見合わせる三人。そして、三人が同時に、また扉へと視線を向ける。すると確かに、左右の扉の間に僅かな隙間が開いていた。息を飲み言葉を失うアレクたち。そこで真っ先に声を出したのは、やはり、ソフィーナだった。


「えぇと……若様と同じ名前の祠だからぁ?」


「……そ、そんな訳ないよ。ソフィが力任せに引っ張っていたから、きっとゆるんでいたんだよ」


「そうねぇ、きっとそうだわ!」


 そんなことを言いつつ、にこりと笑ったソフィーナが扉の取っ手を掴む。


「あ、ソフィ、駄目……!」


 ロイが突然、大声で叫んだ。それは、ロイの持つ『先見』が、何かを感じたような気がしたからだ。が、すでに遅かった。逆に、ロイの声にビクリと反応したソフィーナが、左右の扉を勢いよく開け放ってしまったのだ。

 途端に、激しくき込むソフィーナ。


「ケホッ、ちょっとぉ……ケホッケホッ、そんな大声を出すからぁ、ケホッ……びっくりするじゃない、ケホッ」


 カビ臭い匂いが辺りに漂う。と、同時に、一気に流れ込んだ外気が、祠の中にうずたかく積もっていたほこりを、周囲へとき散らしたのだ。当然である。長い歳月、この祠は密閉みっぺいされた状態だったのだから。


「あれ、おかしいな……」


 ほこらから離れた場所で、首をかしげるロイ。咄嗟とっさに、アレクとロイは祠から距離を取り、降りかかる難から逃れていた。

 しかし、ロイが感じていたものは、こんな子供のいたずら程度の災難ではなかった。もっと別の何か――だから、首をかしげるのである。


「もう、急に変な声を出すからぁ……別に、何もないじゃない。庭師くんの技能スキルも、あてにならないわねぇ」


 ひとりほこりまみれとなったソフィーナが、ロイに向かって不満を口にする。だが、その途中で、ちらりと祠の中に目を向け、「あっ!」と声をあげた。


「お宝よ! お宝が、あるわよぉ!」


 とたんに、歓声をあげて中へと飛び込むソフィーナ。アレクとロイが止める間もないありさま。


「ソフィ、何があるかも分からないのに」


 と、アレクとロイも慌てて後を追いかけ、ほこらの中へと飛び込む。そこでアレクたちが目にしたのは――そこには何もなかった。いや、有るにはあったが、お宝とは呼べないようなもの。さして広くもない、窓もなく密閉みっぺいされていた部屋の中央に、一本の古ぼけた剣が床に突き立っていた。そして、そのかたわらには一冊の本らしきものが転がっているだけだった。

 窓のない祠の中は、開け放たれた入り口から差し込む明かりがあるのみで薄暗い。ソフィーナは、外から剣らしきもの見掛けて、「お宝!」と叫んで飛び込んだのだが、近寄ってみればそれは大した装飾そうしょくもなされていない、ただの鉄剣。しかも、長い年月を放っておかれのだ、刀身は赤茶けた鉄錆てつさびおおわれ、とても使い物になるとは思えない。要は、なんの価値もないということだ。

 鉄錆てつさびまみれの鉄剣をしげしげと眺めたソフィーナが、「ちぇ、結局はお宝はなしかぁ」と、がっくりと肩を落とした。それでも、鉄剣のを握り締め引き抜こうとする。が、床板に切っ先がしっかりと食い込み、またしても扉の時と同じくピクリとも動かない。そこで、ソフィーナにはピーンとひらめくものがあった。


「若様ぁ、この剣をちょっと抜いてぇ」


「え、僕が……」


「うん、大丈夫だと思う。若様なら抜けるはず。だってぇ、ここは若様と同じ名前の祠だからぁ」


 それは、ソフィーナの女の勘ならぬ動物的な勘だった。


「はは、そんな馬鹿な、ここはご先祖さまの祠で、たまたま僕と同じ名前なだけで……あっ!」


 笑いながら剣の柄に手を伸ばすアレク。だが、柄を握った瞬間、するりと剣が抜けたのである。


「ほらぁ、アタイが言った通りでしょう」


 ソフィーナがはしゃいだ声をあげる。が、その声は、アレクには届いていなかった。剣が抜けた時に、アレクの体の中を何かが走り抜けたのだ。と、同時に、またしてもザワザワと胸の内がざわめく。それは、祠の前に立った時以上の騒がしさ。そのざわつきが大波となって、体の隅々へと広がっていく。その間、アレクの体は硬直したように動かない。

 そして、


《…………イカ…………》


 何かが、頭の中でささやいた。


 ――ん、なに?


 分かりそうで分からない。それがわずらわしく感じられて、アレクはそのささやきに意識を集中する。


《……ガ……シイカ……ラバ……シロ》


 それでも、そのささやきがなんと言っているか分からない。だから、もっと集中しようと――その時、誰かが背中を叩いた。


「若様ぁ、大丈夫なのぉ」


 その声で、ハッと我に返るアレク。目の前には心配そうな表情を浮かべるソフィーナの顔があった。

 突然、目がうつろになり呆然と立ち尽くすアレクの様子に、驚いたソフィーナが背中を軽く叩き声をかけたのだ。


「あれ、僕は何をしてたんだろう」


「何を言ってるの、ぼぉとして。本当に大丈夫?」


「ごめんごめん……えぇと、何かを考えてたんだけど、ははは」


 僅か数瞬ではあるが、アレクの記憶はストンと抜け落ちていたのである。

 苦笑いを浮かべるアレクが手元へと視線を落とすと、握り締めた鉄錆てつさびまみれの赤茶けた鉄剣が目にうつる。切っ先は、抜けた時に折れたのか少し欠けていた。刀身をおおっている鉄錆をちょっとこすると、たちまちボロボロと錆がこそげ落ちていく。しかし、落としても落としても、鉄錆は刀身の中にまで侵食していた。どうやら、完全に芯まで腐食しているようだった。


「その剣は、もう駄目ねぇ」


 アレクの手元をのぞき込んでいたソフィーナが呟く。


「……うん」


 曖昧あいまいな答えを返すアレク。返事はしたものの、何故だか剣を手離す気になれないのだ。

 そこへ、二人が騒いでいる間、やけに静かだったロイの声が届く。


「ちょっと、これ見て!」


 アレクとソフィーナの二人が、その声にうながされてロイのそばへと集まった。


 二人が鉄剣を間に挟んでわいわいと騒いでいる間に、ロイはかたわらに置かれていた本を手に取り中身を調べていた。といっても、エスパイア王国内では一般の民の識字率はさほどに高くはない。アレクは貴族として、ソフィーナも伯爵家の侍女として働くために、それなりの教育を受け、ある程度は文字の読み書きができる。だが、ロイは五歳の頃より伯爵家の下僕として従っているため、まともな教育を受けたことがないのだ。だから文字の読み書きは、まったくと言っていいほど出来なかった。そのことが逆に、二人が鉄剣へと興味を覚えるのと違って、ロイは傍らに置かれていた本へと興味をかれたのである。

 だが、この本も鉄剣同様に、長い年月で劣化もいちじるしく、茶褐色の染みが全体に広がっていた。しかも、じている部分の損傷は激しく、触るだけで全てがほどけてばらばらになりそうだった。

 ロイはその本をそっと持ち上げ、ゆっくりと慎重にめくり中身を確かめる。すると、おやっといった様子でロイの片眉が持ち上がった。本に記されている文字が、明らかに異質な文字だったからだ。さすがにロイも、意味は知らなくても自国の文字を見た事もあるし、ある程度の形ぐらいは知っている。だから、本に記された文字が、この辺りで使われているものから掛け離れている事に驚いたのである。

 異文化、それもかなり遠国の文字かも知れないとロイが思ったとき、本に挟まれていた一枚の紙がハラリと落ちていった。慌てたロイが、その手のひらサイズの紙を拾い上げる途中で、驚きの声と共に二人を呼び寄せのだ。何故なら、ちらりと眺めたその紙に、まるで現実の光景を切り取ったかのような絵がえがかれていたからだ。


 ソフィーナとアレクが、ロイの手元にある絵を覗き込み、 


「凄ぉい、まるで絵の中で生きてるみたい……今にも動き出しそう」


「これも、魔法絵画なのかな?」


 と、あまりの現実感のある絵に二人して驚いていた。特にアレクは、ひまな時には伯爵家が所蔵する魔法絵画を日がな一日眺め、幼い頃はいつか自分もえがいてみたいと思っていただけに興味津々(きょうみしんしん)なのである。

 その絵とは――何処どこかの門柱の前に立つ三人の黒髪の男女。真ん中に立つ男性は、アレクたちとさほど歳が変わらないかに見える少年。騎士が式典のおりにまと詰襟つめえりの礼服らしきものを身につけているが、何故か上下共に真っ黒。その少年は、少し緊張した笑みを浮かべていた。少年の両脇に立つ年配の男女は派手な衣服を身につけ、こちらは満面の笑みを浮かべていた。そして、三人の後ろにある石造りの門柱には異国の文字が大きく掘り込まれ、さらにその右の後方には軍事調練でも出来そうなほどの大きな広場。左の後方には、まるで城塞のような武骨で巨大な建造物が描かれていた。


「うぅん……後ろの景色はどこかの砦なのかな。もしかすると、異国の貴族家の子供が騎士団に入団する場面をえがいてるのかも知れないね」


 アレクがそう言うと、ソフィーナとロイも「そうかも」と、二人でそろって頷いていた。


「で、そっちの本は?」


「オイラには読めないから、さっぱり分からないや」


「ふぅん……アタイにも、ちょっと見せてぇ」


「本の痛みが酷いから、慎重に扱ってよ」


「ふん、それぐらいアタイにも分かってるわよぉ」


 少し乱暴に受け取ろうとしたソフィーナを、渡そうとしたロイがたしなめるも、反対にほおを膨らませ口を尖らせるソフィーナ。しかし直ぐに、その本が何か分かったかのように、得意気な顔へと変わった。


「あぁ、日記だよねぇ、この本は」


「え、そうなの?」


「だって、ほらぁ……ここを見てよぉ。これって、日付だと思う」


 ソフィーナが指差す箇所は、書かれている文字の先頭部分。そこが、ページをめくるたびに、微妙に変わっていくのだ。確かに日付と言われれば、そう見えなくもない。


「でも、この文字って……北のローマン帝国でもないしぃ、南の連合都市国家のルーン文字でもないわね。いったいどこの国の文字なのかしらねぇ」


「おおぉお……」


 ソフィーナの意外に博識はくしきなところと、普段からは考えられない洞察力に、アレクとロイの二人が驚きの声をあげた。今日、一番驚いたといっても良いほどに。


「何よぉ、これでもアタイは侍女としての教育をきちんと受けてるのよ。大貴族の侍女ともなれば、他国の人に失礼にならないように言葉や文字も覚えないといけないしぃ、これぐらい出来て当たり前なのぉ」


「…………!」


 いや、その前に言葉遣いと礼儀作法をきちんと覚えようよと、アレクとロイはひそかに心の中でツッコミを入れるのだった。


「でさぁ、アタイは思うんだけど、ここが『アレクの祠』って呼ばれてるなら、この日記やその鉄剣も若様のご先祖さまの物だと思う。それにほらぁ、ここに描かれてる人たちって、若様と同じ黒髪だよぉ」


「あ、オイラもそう思う。それで、この真ん中の男の子が、アレクサンダーさまに間違いないと思うけど」


「この人が――」


 思わず、絵の中央で緊張している少年に見入ってしまうアレク。確かに、この伯爵領内では、黒髪の人は珍しい。というか、アレク以外には皆無である。それに、二人に言われると、アレクも不思議とそんな風に思えてくる。

 

 ――僕のご先祖で、名前の由来にもなったアレクサンダーさま……。


 そこで、ふと、アレクは思い出す。


「そういえば、昔、僕はとう様に、アレクサンダー様のことを聞いたことがある。なぜ、今までそのことを忘れていたのだろう」


「え、そうなの」


 アレクの言葉は最後には呟きへと変わり、返事をしたソフィーナとロイは、そんなアレクをびっくりしたように二人して見つめていた。


 アレクが自分の名前の由来ともなった、ご先祖様であるアレクサンダーのことを聞いたのは、まだ五歳を過ぎた頃だった。その時期は、伯爵領を含む王国東部全体が大いに揺れる騒動の真っ最中。誰もがアレクに向かって、まともに非難する訳ではなかったが――城館内につとめていた人たちの間では、どこの貴族家が伯爵家に反旗をひるがえしたなどと怒号が常に飛び交い、その騒動の一因でもあるアレクに向ける目は自然と冷淡で厳しいものへと変わっていった。そんな周りの大人たちの感情の変化を、アレクは幼いながらもひしひしと感じていた。だから、「僕が悪い子だから?」と考えてしまい、夜も眠れないほどに動揺していたのである。

 その日の夜も眠れず、アレクは不安になるあまり泣き出すと止まらなくなってしまった。それを見かねた両親が、かたわらに寄りい優しくあやすように話し掛けていたのである。


「どうしたの、アレク。周りには恐ろしいものなんて何もないわよ」


 母リリスの言葉に、その胸の中に顔をうずめて泣いていたアレクが、イヤイヤとするように首を振った。


「……違うよ……皆が怖い目をして、見つめてくるんだ……きっと僕が悪い子だから……嫌われてるんだよ」


 愚図つき言葉を詰まらせ話すアレクであったが、その内容に伯爵とリリスは、ハッと胸をつかれて見つめ合う。今回の騒動の事もアレクに関する秘事も全て、まだ幼いアレクに心配をさせまいと上手く隠している積もりであった。が、アレクは子供は子供なりに、城館内の雰囲気の変化を敏感に感じとっていたのである。その事に思い至り愕然がくぜんとさせられたのだ。

 そして今度は、少し慌てた伯爵が、アレクの背中をそっとさすりながら話し掛ける。


「アレクは何も悪くない。父さんや母さんにとっては、アレクは神様から遣わされた天使そのもの。皆はきっと何か勘違いしてるんだよ」


「……でも……」


「父さんもいるんだ、大丈夫だよ。それでも、もしアレクを傷つけようとする人たちがいたら、そいつら全部、父さんがやっつけてやる」


「……本当に」


「あぁ、本当だとも。たとえ、世界中の人が敵になったとしても、父さんと母さんだけはいつまでもアレクの味方だよ」


 ようやく母リリスの胸元から顔を上げたアレクだったが、そのまなこからは未だに涙があふれだしほおらしていた。あまりにも痛々しいアレクの姿に胸を痛めた伯爵は、何を思ったのか急に背筋を伸ばし居ずまいを正すと、


「アレク、よく聞きなさい。お前に少し、名前の由来ともなったご先祖さまのことを話してあげよう。そのご先祖さまの名前はお前と同じアレクサンダー様、モーロック家中興の祖とも呼ばれ――」


 と、今までの心配げな様子から打って変わって、おごそかに話し出したのである。


 さて、その伯爵家が中興の祖とあがめるアレクサンダーのことだが、元々は異国からエスパイア王国に流れてきた流浪人るろうにんだったと、モーロック家の家伝では語られている。当時は、世界にもまだまだ危険が満ち溢れていた開拓時代。人々は、自らの命すらかえりみず、あらゆる危険な場所へとおもむく流浪人を冒険者と呼び、世界中に数多く存在していたのだ。そんな冒険者たちは、隊商の護衛や、今では滅多に自然の中で姿を見せなくなった危険な魔獣の討伐などを行って、金銭を稼ぎ日々のかてとしていたのである。彼ら彼女ら冒険者には国も国境も関係なく、国を跨いで危険な仕事へと赴いていた。今でこそ貴族家以外に魔法の技能スキル持ちは滅多にいないが、当時の冒険者の中には無位無冠の魔法の技能スキル持ちは、それなりの数は存在していたのである。アレクサンダーもまた、そんな冒険者のひとりであったのだ。そして、それら冒険者を統括していたのが、現在の探索者協会の前身にあたる冒険者協会。当時の伯爵領内は凶悪な魔獣が蔓延はびこり、壊滅的な被害をこうむっていた。そこで、モーロック家はわらにもすがるおもいで協会に援助を求めたのだが、そこへ現れたのが武の天才と呼ばれていたアレクサンダーだったのである。膨大ぼうだいな魔力を有していた彼が扱う魔法の技能スキルは、山を削り、大地を穿うがち切り裂く凄まじい威力を発揮した。そして、またたく間に、領内から魔獣を駆逐くちくしたのである。その時のモーロック家の当主は、それはもう大変な喜びようで、アレクサンダーの事をいたく気に入り、是非にもひとり娘の婿へと願ったのである。最初は一冒険者に過ぎないからと固辞していたアレクサンダーであったが、再三に渡る懇願に、ついにモーロック家に骨を埋める覚悟をしたのである。こうして、冒険者だったアレクサンダーはモーロック家の一員となったのだが、アレクサンダーの才能は、膨大な魔力に裏打ちされた武に関するものだけではなかった。領内の運営、内政にもけ、その力を十二分に発揮したのである。現在、伯爵領の特産品として他国へも輸出し莫大な外貨を稼ぐ「天使の滴」と呼ばれる果実酒。このアドリアの実を原料とした果実酒を開発したのもアレクサンダーであった。これによって、疲弊ひへいしていた領内は数年後には息を吹き返したのである。それ以外にも様々な発明品を産み出し、領内をかつてないほどの発展へと導いた。それが、中興の祖と呼ばれる所以ゆえんでもあるのだ。


「――という訳で、アレクサンダー様は中興の祖と呼ばれるようになったのだが、父さんは派手な英雄譚よりも、彼の内政家としての手腕しゅわんの方を高く評価している。彼が領内を立て直さなければ、今もこうしてモーロック家は存続していたかどうかは怪しい。きっと歴史の中に埋もれていただろうなと、父さんは今も思っているのだよ」


 伯爵の話す英雄譚に、途中からは夢中になって聞いていたアレク。特に、魔獣を討伐するくだりでは、泣くのも忘れて目を輝かせていた。しかし、最後に父親が、内政で示した力量の方が優っていると言った事を、まだ子供のアレクではよく分からない。だから「……?」と、首を傾げるアレクだった。その様子を見た伯爵が、微笑を浮かべてこう言った。


「だからアレク、お前にはアレクサンダー様のようになってもらいたいと願って、同じに名前を名付けたのだよ」


「……よく分からないけど、僕もそのご先祖さまみたいになれるかな?」


「あぁ、なれるとも。そうだな……アレクが常に民を思う仁の心を忘れず、不正を憎む義の心を重んじ、いついかなる場合でも正義を貫くことが出来るなら、アレクもきっとご先祖様のようになれるさ」


「やっぱり、難しくてよく分からないや……でも、必ずそうするよ。そして、アレクサンダーさまみたいになってみせる」


「ふふ、そうだな、今は分からなくても良い。でも、大きくなった時に、父さんの言った事をちょっとでもいいから思い出して欲しい」


「うん、分かった!」


 さっきまで泣いていたアレクが、今はもう元気よく返事して笑っている。その姿が急に愛おしくなり、伯爵は思わずアレクの頭をぐりぐりとで擦るのであった。そして、そんな伯爵とアレクを、母親のリリスは微笑みを浮かべて見詰めていた。


 幼い頃の記憶を、はっきりと思い出したアレク。


 ――すっかり忘れていた。


 何故だろうと首をひねるも、それが今は一言一句、鮮明に思い出せるのである。アレクは不思議に思うが、一旦いったんその事は脇に置き、思い出した内容を、ソフィーナとロイにもまんで教えてあげた。


「へぇ、若様のご先祖様は異国の人だったのぉ」


 ソフィーナとロイが感心したように驚いていた。ソフィーナは冒険譚に目を輝かせ、ロイに至っては例のごとく、


「若様は、きっとそのご先祖さま以上の偉い人になれるよ」


 と、アレクの事を英雄のように持ち上げる。


「またロイは大袈裟に……でも、僕もご先祖さまに笑われないように、仁と義の心を忘れないようにするよ」


 そう言って、アレクは照れた笑いで二人に返すのであった。


 その後は結局、錆びた鉄剣と異国の文字で書かれた本以外は何も見あたらず、「もうそろそろ戻らないと」とのアレクの言葉で、今日の所はこれまでとなったのである。ソフィーナは、お宝と呼べる物が見つからなかった事を悔しがっていたが、最後には「今日は楽しかったね」と喜んでいた。

 ソフィーナも、元よりお宝が見付かったとしても、自分のものになるとか思っていた訳ではない。ここは伯爵家の庭園であり、探していた場所は『アレクの祠』であったのだから。ただ、その探す過程を、ちょっとした冒険を楽しんでいたのだ。

 だから去り際にソフィーナは、


「冒険者かぁ……今は探索者って言われてるんだっけ。でも、いつか三人で探索者になって、世界中を冒険できたら楽しいだろうなぁ」


 と、邪気のない笑顔をアレクに向けて言ったのだ。その笑顔が妙に印象的で、アレクの心の中に残るのだった。

 それは、ソフィーナの女の勘ならぬ動物的な勘が言わせた、アレクの将来を暗示するものだったのかも知れない。だが、この日のアレクには、その事を知るよしもなかったのである。



 その日、城館へとアレクが戻ると、伯爵が暗い表情を浮かべて待ち構えていた。咄嗟とっさに、抜け出していた事がバレたかとあせるも、伯爵は何も言わず奥の一室へとアレクを連れて行った。そこでも、伯爵はしばらくの間、押し黙ったまま何かを思い悩む様子を見せていた。れたアレクが、「とう様、何か?」と話しかけても「うむうむ」とうなるだけで、一向にらちがあかない。そして、顔を歪めようやく発した言葉が、「アレク、すまない」とだけ。しかし、それだけでアレクには、父親の伯爵が何を言おうとして悩んでいるのかをさっする事ができたのである。

 だから、


「父様、廃嫡はいちゃくの件の事なら僕はもう知っています。それに、『忌み子』と陰で呼ばれてる事も。僕はもう大丈夫ですから、どうか遠慮なさらずに、弟のエディを嫡子とお定め下さい。それが当然だと僕も思っていますし、今は心から弟を祝福したいとも思っています」


 と、大人びた口調ではっきりと言い切る。その表情には一切の迷いはなく、いっそ清々しささえ浮かんでいた。


「ア、アレク、お前は……知っていたのか……」


 思わず絶句する伯爵。そして、この数ヶ月の間、ひとり思い悩んでいた自分はなんだったのだと、がっくりと肩を落とし目の前の机に突っ伏すのであった。

 しかしその夜、寝所にて夫人のリリスと二人きりになった時に、


「アレクも、まだまだ子供だと思っていたのに、いつのまにか立派な男になっていた」


 と、嬉しさと淋しさの入り交じった複雑な表情で、しみじみともらした。それにリリスが、少し勝ち誇った様子で、にこりと笑って答える。


「私たちの子供なのですから当たり前です。だから言ったでしょう」


 それを聞いた伯爵は、少しの間ばつが悪そうにしていたが、次第しだいにそのほおは緩み、「そうだな」と呟いた後、最後には笑い声をあげるのだった。

 この夜、伯爵の寝所では夫婦の笑い声が、いつまでも絶えることなく続いていたのである。



 それからの一ヶ月、アレクの周りではこれといった変化もなく、アレク以外の伯爵家の人々は相変わらず忙しく動き回り、領民たちが徐々に期待を膨らませいく平和な日常が流れていった。そして、ついに、その日を迎えた。アレクの弟であるエドワードが五歳の誕生日を迎え、『聖霊祝福の儀』を執り行う当日が――その日は、早朝から領都の各所に配された魔砲が祝福の号砲を鳴らし、魔法兵たちが様々な属性の魔法を青空に向かって打ち上げた。火属性の燃え盛る橙色が、水属性の寒々とした淡青色が、雷属性の雷光の如き滅紫色が青空の下で絡み合い大輪の華を咲かせてエドワードを祝福する。

 この日は朝から領都の全てがお祝いムードに包まれ、誰もがその顔をほころばせていた。だが、この日、領都の民を恐怖の底へと叩き落とす悪夢が襲いかかることとなるのだが、誰がこの朝に、その事を予想していたであろうか。後に、この日のことは、『聖儀の日の悲劇』と語り継がれる事となるのだが……。

 アレクはこの時、十二歳。未だその悲劇が起こることを知らないでいた。そして、この日を境に、アレクの運命は大きく変わろうとしていた。


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