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迷宮物語 ~剣の王~  作者: 飛狼
序章 『死者の迷宮』
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 伯爵家にエドワードが誕生して、三年の月日が過ぎ去ろうとしていた。アルフレッド伯爵や腹心のハデスが不安に感じていた『四皇』も、今のところは影も形も姿を見せていない。そして、領民もエドワードの無事な成長に安心したのか、伯爵家の領内は平和裏へいわりに時が過ぎていたのである。

 しかし、アレクの周囲では微妙な変化が起きていた。

 今までは城館の中で、いつもアレクが中心だった。それがエドワードが誕生してからは、身の回りの世話をする者たちの視線は冷淡なものへと変わり、両親である伯爵やリリスもエドワードにばかり構ってるようにアレクには感じられてしまうのだ。生まれた当初こそ新しい家族が増えたと喜んでいたものの、それが今では面白くないのである。もっとも、伯爵やリリスは相変わらずアレクを溺愛しているのだが、そこはやはりエドワードもまだ三歳。ようやく言葉を覚え始め自我じがらしきものも芽生めばえる、ぞくに悪魔の三歳とも言われる第一次反抗期。ある意味、もっとも手間のかかる年齢でもあるのだ。普通の貴族家であれば、乳母や専属の侍女が付けられ面倒を見るのが通例であるが、アレクとエドワードは特殊な子供。この二人、アレクは貴族家でうとまれる『み子』であり、エドワードは後に『英雄』と呼ばれるかも知れない子供でもあるのだ。館付きの侍女に世話をさせても、危なっかしくて全てを任せる訳にもいかない。そんな訳で、伯爵やリリスもつい、聞き分けの良いアレクよりエドワードへと目を向けてしまうのである。

 だが、まだ十歳のアレクには、そんな大人の事情など知るはずもなく、ましてやそこまで気が回るはずもない。ただ、初めて胸の内に生じた感情、嫉妬しっとらしき負の感情に困惑こんわくしてしまうのだ。しかし、まだ子供のアレクでは、嫉妬しっとなる言葉すら知らない。だから、「面白くない」と一言つぶやき、胸が苦しくなる想いを持て余してしまうのだった。

 この日も朝からエドワードの機嫌が悪く、三歳児らしい反抗的な態度を見せ「やっ、やっ」と、何を言っても拒否をするので、両親や侍女たち周囲の者がほとほと困り果てていた。

 その様子をアレクは横目に眺め、


 ――僕が小さかった頃は、もっと素直だったはずだ。


 と、胸中を苛立いらだたせていた。だから、必死になってエドワードをあやす両親から目をそむけ、そっと部屋から抜け出すのだった。もっとも、アレクも三歳の頃の事など忘れてしまっているのだが。

 とにかく、部屋から抜け出たアレクは、ムスっとした表情でブツブツと文句を言いつつ、館の廊下を歩いていた。が、突然、廊下脇に飾られる置物の陰へと隠れた。というのも、館の長い廊下の先に、こちらに向かって歩いて来る二つの人影を見つけたからだ。それは、いつも見慣れた侍女の衣装いしょうに身を包んだ女性が二人。アレクとしては、せっかく抜け出してきたばかりなのに、見付かればまた連れ戻されてしまうと考え、二人が通り過ぎる間、息をひそめていた。だが、何を思ったのか、侍女二人はちょうど置物の前で立ち話を始めてしまったのである。


 ――何も、ここで……。


 あまりの間の悪さに、胸の内で不満を漏らしながら、アレクは物陰からそっとうかがう。


 ――あっ!


 思わず声がもれそうになるのを、慌てて手のひらで口をふさいだ。片方の女性が、いつも小言をもらう侍女頭のエレノアだったからだ。エレノアは神民ティタンではなく一般の領民ではあるが、代々一族で伯爵家につかえ、侍女としても経験豊かな初老の女性。しかし、もうひとりは、アレクの見知らぬまだ若い女性だった。歳も、アレクより少し上程度に見える。まだ若いからか、少し丸顔でちょっぴり目尻の下がった可愛らしい感じの赤毛の娘だった。

 その娘に興味を覚え聞き耳を立てると、彼女たちの声が聞こえてきた。


「良いですか、これから行く場所には伯爵様は勿論、奥方のリリス様も若様方も――」


「あっ! 祝福されしエドワード様も! 会うのが楽しみぃ!」


 侍女頭のエレノアが話している途中で、思わずといった様子で奇声をあげる赤毛の娘。


「これっ! まだ私が話してる最中ですよ」


「あ、はぁぁい」


「本当にもう……メアリーさえ体を壊して休みさえしなければ……あなたを連れて来る事もなかったのに……」


 娘のあまりにも軽い受け答えに、エレノアが不安をにじませた声と共に、ため息をもらす。その前では赤毛の娘が頭を下げ、エレノアから見えない所でぺろりと舌を出していた。

 それらの光景を、アレクは物陰から、呆れた様子で眺めていたのである。エレノアはいつも、貴族らしく振る舞うようにと、うるさ小言こごとを並べ立てる。しかも、それが長いのだ。だからアレクは苦手に感じ、可能な限りエレノアの目に止まらぬようにしていたほどだ。今も練達れんたつ弓士きゅうしが矢継ぎ早に矢を放つが如く、エレノアの小言が流暢りゅうちょうに次々と放たれているのだが、それを、この赤毛の娘はのらりくらりと軽い調子で受け流していく。その事に、アレクは心底驚いていた。

 しかし、話が礼儀作法などに及ぶと、このは新しい侍女かなと納得し興味が薄れた。それと同時に、


 ――いつものエレノアなら、ここからが長い。


 と、うんざりとするアレクだった。

 この若い娘の名前はソフィーナ。年齢はアレクよりひとつ上の十一歳と、まだ子供といってもよい年頃。良く言えば物怖ものおじしない明るい性格。悪く言えば、周りの空気を読まない少し痛い性格。そして、エレノアの遠縁にあたる娘でもあった。

 伯爵家の城館で働く侍女たちは、大別してふたつに分かれる。伯爵の家族が住み暮らす宮室と呼ばれる奥の一画で働く奥向きの侍女たち。それと、一般の兵士が警戒し、領内運営にたずさわる文官たちが忙しく行き来する実務を行う一画、そこで働く表向きの侍女とにである。ソフィーナはエレノアの一族ではあるが、城館で働き出してまだ日も浅い見習い侍女。普段は、表向きの侍女として働いていた。しかし今日は、奥向きの侍女がひとり病で寝込んだとの話だった。人手が足りなくなり、伯爵家の方々に不自由をさせては大変だと考えたエレノア。そこで急遽きゅうきょ、信用の置ける者をとソフィーナを表から奥へと回したのである。しかし、ここまで連れて来たものの、あまりの無作法振りにエレノアは頭を抱え、めまいを覚えるほどであったのだ。

 そして、アレクは生まれてから今まで、宮室と呼ばれる一画からほとんど出たことがなかった。だから、ソフィーナを見知らぬ娘だと思っていたのである。


「――良いですか、まずは伯爵様にきちんと挨拶して――」


 アレクの隠れる置物の前では、未だにエレノアの小言が続いていた。


 ――本当に長いよ、エレノアは。


 廊下に飾られていたのは、甲冑騎士をかたどった実物大の置物。その金属の冷たい感触が、両親やエドワードに対してたかぶっていたアレクの感情を、いつの間にかましていた。だから、段々と隠れているのが馬鹿らしくなってきていたのである。


 ――もういいや。


 と、物陰から出ようとした時、アレクの足がピタリと止まった。彼女たち二人の会話の中に、アレクの名前が出てきたからである。


「それと言っておきますが、アレク様の前では言ってはいけない禁句があります」


「あぁ、『忌み子』の噂の事ですね」


「これっ! 軽々しく言ってはなりません! 本当にこのはもう……」


 また深くため息を吐き出すエレノア。しかめた表情で、やれやれと顔を左右に振る仕草に、不安の色がありありと読み取れる。そんなエレノアの様子に気付かないのか、ソフィーナが言葉を続ける。


「でも、その噂って本当なのですか?」


「……ほ、本当のわけがありません。アレク様も立派な神民ティタン――」


 その後、エレノアが長い間立ち止まっていた事に気付き、ようやく二人はまた歩き始める。遠ざかる二人の声を聞きながら、アレクはそれでも、その場から動けないでいた。


 ――忌み子?


 聞きなれない言葉に困惑していた。意味は分からなくとも、その禍々(まがまが)しい響きに不安になる。

 子供は時として、思っている以上に大人の感情には敏感である。エレノアは否定こそしていたものの、その動揺していた様子から、アレクは真実の匂いをぎ取っていたのである。


 ――僕は皆とは……かあ様やとう様とは違うのか? 普通ではないのか?


 アレクも、さすがに十歳にもなると、自分の置かれている奇妙な状況に気付く程度の知恵はつく。まず、伯爵家の城館にある奥まった一角から、ひとりでは出してもらえない。それに、外の事を誰も教えてくれないのだ。アレクが尋ねても、当たり障りのない答えが返ってくるだけ。それが、常に何かを誤魔化してるように感じていたアレクだった。

 だから、いつもなら居間に行って魔法絵画でも眺めてひまを潰すのだが、この日は違った。

 ちなみに、魔法絵画とは絵の中の情景が、まるで生きているかのように動き出す絵画である。伯爵家にはそんな魔法絵画が沢山あり、アレクはその中でも神代の神話を描いた『神魔大戦』と呼ばれる絵画が大好きで、一日中でも眺めていられるのだ。特に、大神オーディンと堕天使だてんしルクスファーとの迫力ある戦いの動きからは、目を離せないでいたのである。

 しかしこの日のアレクは、先ほど聞いた『忌み子』との言葉が頭の中にこびりつき、あてもなくふらふらと歩き回っていた。

 気が付くと、いつの間にか、城館奥の一画である宮室から外へと踏み出していた。当然の如く、出入り口には警戒をする兵士たちもいた。だが、彼らは外から中へと侵入する者には厳しい目を向けているが、意外と中から外へと向かう者には甘いのである。アレクは上手く兵士の監視の目をかいくぐり、いつしか城館に付随する庭園の中をさまよっていた。そこは以前、母親のリリスと共に何度か訪れていた場所。アレクは知らず知らずの内に、その時の楽しい思い出を、母の姿を追い求めていたのかも知れない。


 さて、この城館に付随する庭園だが、伯爵家の威勢を示すかのように、かなり広大な面積を有していた。近隣の貴族家には、『伯爵家の聖薔薇園』と呼ばれ、つとに有名なのである。その呼び名のとおり様々な色の薔薇ばらが華麗に咲き誇る見事な薔薇園。元々は、アレクの名の由来ともなった、中興の祖でもあるアレクサンダーが相当な花好きだとの話で、当主自らが庭に薔薇ばらを植えたのが始まりだと言われていた。春には盛大な茶会などももよおされ、訪れた人がその美しさに、思わず「ほぅ」とため息をもらすほどの見事な薔薇園でもあった。もっとも兵士や騎士たち、特に剛情で有名な武人でもあるハデスなどは、いばらの鋭い刺が敵の侵入をはばむと別の意味でめ称えているのであるが。


 しかし、この時は薔薇が咲く暖かい季節にはまだ早く、ようやく寒さも緩んだ少し肌寒さを感じる時期でもある。未だ薔薇の花弁は青いつぼみのまま、庭園の中には新緑の匂いが立ちこめていた。

 若々しい新芽の香りが鼻腔びこうをくすぐり、アレクの沈みがちになる心をやわらげ、心地よい気分へと引き立ててくれた。が、アレクの足は自然と庭園の中心かられ、フラフラ端へと向かって行く。それは――この庭園はかなりの広さがあり、管理するにもそれなりの大変さがともなう。そのため、常日頃から多くの庭師たちが、手入れを行うために立ち働いていた。その庭師たちの目がわずらわしく、逃れるためでもあった。

 そして、それをアレクが発見したのは偶然だった。

 庭園は、人の背丈を越えるほどの高さのいばらが緑の壁となり、まるで迷路のように曲がりくねり遊歩道を形成する。そこをとぼとぼとうつむき加減に歩いていると、緑の壁の足元にちょっとした隙間を見つけたのだ。その隙間は、アレクの頭が辛うじて入るかと思われる、本当に小さな小さなものだった。その場にしゃがみ込んで覗き込むと、


 ――おぉ! これは……!


 途端に目を輝かせるアレク。

 そこに、向こう側へと繋がる小さな緑のトンネルを発見したからだ。

 興味を引くものを見付けた時、悩みなど簡単に吹き飛ぶのは、ある意味子供の特権でもある。そして、男の子がこのような場所を見つけた場合にとる行動もただひとつ。アレクも当然のように、緑のトンネルの向こう側を目指す。地面をうように進むと、身に付けている貴族らしい綺麗な衣服は、たちまち泥だらけになるが、子供のアレクはそんな事を気にする訳もない。そして、しばらく進むと、唐突に広い空間へと飛び出た。広いといっても、まだ子供のアレクにとってではあるが。

 そこは、数人の大人が輪になって座れる程度の広さ。き出しの地面に、周囲は緑の壁に囲まれた何もない空間。入り口も入ってきたトンネル以外はない。ご丁寧に、張り出した枝が屋根となり、緑葉の隙間から柔らかな陽射しが降り注ぐ。完全に外界から閉ざされた隔絶かくぜつした空間だった。しかし、本当に何もない。これが大人であれば、拍子抜けしてがっかりと項垂うなだれるところだが、アレクは違った。


 ――ここは、僕だけの秘密の場所。


 と、琥珀色した瞳を更に輝かせるのである。

 むせ返るように新緑の香りが漂う空間の中で、アレクはひとりひざを抱える。こうして誰からも邪魔されず、一人っきりでどこかに篭もるのは初めてのことだったのだ。それが嬉しくもあり、少し寂しさも覚えるアレクだった。しかし、興奮も冷め落ち着いてくると、やはり思い浮かんでくるのは自分の秘密である。父親も母親も、大人たちが何かを隠していると思ってしまう。


 ――忌み子かぁ……。


 言葉の意味を悶々(もんもん)と考えていたその時――突然、入ってきたトンネルから、にゅっと、大きなはさみの刃先が突き出された。 


 ――えっ!


 ギョッとなり驚き体をすくませるアレク。その見つめる先で――アレクは知らなかったが、そのはさみは庭園で邪魔な枝などを剪定せんていするための鋏。そして、その後から続いて現れるのは――灰色の髪と真っ黒に日焼けした顔を泥だらけに汚した少年。見るからに粗末な衣服をまとうその体格は、アレクを更に一回り小さくしたものだった。

 その少年が、


「ここはオイラの……」


 後に続く「場所」との言葉を途中で飲み込んだ。それは目の前でひざを抱える少年が、明らかに身分が高そうに見えたからだ。

 アレクも何か言おうとしたが、途中でクスリと笑ってしまう。何故なら、突然現れた少年の顔が――少年とは思えぬ、何かでクシャリと圧し潰したようなシワだらけ顔が、泥だらけなのと相俟あいまって、まるで野性の猿なのである。その顔の中に配される、まん丸ととしたどんぐりまなこを大きく見開き、口もまなこに比例するかのように、あんぐりと大きく開けられていた。

 そのあまりにも珍妙な様子に、アレクは思わず笑ってしまったのである。

 そして、現れた奇妙な少年に興味を覚えて話しかける。


「僕の名前はアレクサンダー。でも、皆はアレクと呼ぶんだ。それで、君の名前は?」


 しかし、少年はアレクと聞いて、更に大きく口を開けて驚いた。それはもう、顎が外れるかと思うほどに。そこで、アレクが遂に大声で笑い出したのだ。途端に、後ずさって慌てて逃げ出そうとする少年。


「あ、待って。ごめんごめん、気分を害したのなら謝るから」


 アレクも慌てて少年を引き止める。

 今ままで、大切に育てられてはいたが、ある意味では宮室に軟禁されていた状態。周りにいた人たちも両親も含めて、全てが大人の人たち。同年齢の子供と話すること自体が、これが初めてだったのだ。だから、緊張しつつも「少し話そうよ」と少年を引き止め手招くのである。

 一瞬、躊躇ちゅうちょした後に、少年は穴があくかと思えるほど、ジッとアレクを見詰めた。そして、小さく頷いたのだった。


「それで、君の名は?」


「……オ、オイラの名前は……ロ、ロイ」


 ロイと名乗る少年は、アレクの前に座ると伏し目がちにチラリチラリとうかがう。


「もしかして、ここは君の場所だった?」


 頷きかけたロイだったが、途中で慌てて首を振る。


「良いんだよ、安心して。確かにこの庭園はとう様のものだけど、だからといって君からこの場所を取り上げる積もりはないから。ただ……これからは、僕もここを使わせて欲しい」


 途端にロイが、にぱぁと笑顔を浮かべた。それがまた珍妙で、アレクもつられて笑ってしまう。そして、アレクが笑っている間、ロイもまたチラリチラリとまぶしげにアレクを窺うのだ。それがアレクには恥ずかしくて、


「ちょっと、そんなに僕を見詰めないでよ。そんなに、僕は変かな」


 すると、あせったロイがブンブンと首を左右に振る。その様子がまたおかしくて笑いかけるが、その途中で、ふと、アレクの脳裏に浮かぶものがあった。それが『忌み子』の言葉。このロイと名乗る少年のさっきからの態度に、もしかたらこのロイも自分の秘密を知っているのではないかと考えたのだ。

 だから、


「ロイは『忌み子』の意味を知ってる?」


 と、アレクは尋ねたのだが、その瞬間に表情を強張らせて、体を固まらせるロイ。その様子が、いかにも知ってますと語っていた。


「僕は自分のことを知らないんだ。だから知りたいし、正直に話して欲しいんだよ」


 真剣な表情を浮かべるアレクに、びっくりして逃げ出そうとするロイ。が、その肩をがっちりと掴んで、アレクは逃さない。しばらくその状態が続くも、遂に根負けしたロイがポツリポツリと話し出した。


「……神様から嫌われてるって……近付くと……不幸になる呪われた子供だって……皆が言ってた」


 実際はロイも、詳しく知ってる訳でなかった。周りにいた大人たちが噂していたことを、そのまま伝えたのである。しかし、アレクには、それで十分だった。


 ――そうか、やっぱり僕は皆から嫌われているのか。


 そんな想像はしていたが、他人からはっきりと聞かされると、アレクもやはり衝撃を受けてしまう。たちまち、やるせない気分に包まれ表情を歪めるアレク。

 だが、その時、今度はロイが必死な形相で言葉を続ける。


「でも、若様は偉いから……」


 そこには、どこか確信めいた真摯しんしさが含まれていた。だから、アレクも「ん?」と見詰め返し、受け答えしてしまう。


「確かに、父様は伯爵で偉いけど、僕はそんなに偉くないよ」


「違う、伯爵さまも偉いけど、若様はもっともっと偉く…………なる!」


「え、なる?」


 ロイの言葉は、まるでアレクの未来を見通すかのように断定的だった。だから、思わず聞き返すアレク。

 そう、見えていたのだ、ロイには。アレクから放たれる、あふれんばかり輝くオーラが。そして、笑顔のたびはじけ、周囲に振りかれるオーラのきらめきを。

 ロイは特殊な技能スキルの持ち主だったのである。その技能スキルとは『先見』。神職にく者がごくまれに授かるといわれる未来を見通す『予言』の技能スキル。そこまでの能力ではないが、人からにじみ出るオーラを通して、ある程度はその人の本質を、将来を視ることが出きるのである。いわば、『予言』の劣化版のような技能スキル。その『先見』の技能スキルが、ロイにせるのである。アレクのたぐいまれなる将来を……。


 そもそもロイとは、本人は知らないことだが、ある下級貴族と街娼がいしょうとのあいだに誕生した子供であった。始末に困ったその街娼が、生まれてすぐに伯爵家が運営する孤児院へと売り飛ばしたのである。そうなのだ、元々が混じり物の血統。そのお陰なのか、魔法の技能スキルこそ発現しなかったが、特殊な技能スキルを先天的に持って生まれてきた、それが『先見』。五歳まで孤児院で育ち、その後は伯爵家へ下僕げぼくとして貰われて行ったのである。そして、下僕げぼくとはその家に隷属れいぞくする者たちでもあるのだ。要するに、領主家が運営する孤児院とは、ていの良い奴隷売買所。どこの国の大貴族でも行っている、この世界では当たり前のことなのでもある。そこで目端めはしく者を見付けると、幼い頃に運営する貴族家へと引き取られ、その貴族家への忠誠を叩き込れるのだ。いわば、滅多めったに裏切られぬように洗脳せんのうしているのである。ロイも五歳のときに引き取られ、庭師の見習いとして庭園で働いて四年。アレクのひとつ下の九歳となっていた。そして、自分の持つ技能スキルについては、ロイ自身も物心がつく頃には気付いてはいた。しかし、それを自分一人の胸の内に仕舞い込み秘匿ひとくしていたのである。周りの大人たちからは、明日の天気をよく的中させていたりしていたことから、勘の良い子ぐらいにしか思われていなかったのであった。それは技能スキルが知られると、それこそ馬車馬の如くこき使われるといった心配もあったのだが、それよりもロイには大望があったのだ。

 それは、


 ――いつか、世界中に名前が知られるぐらい有名な人物になりたい。


 と、子供らしい妄想をを思い描くのである。しかし、『先見』の技能スキル持ちであるのだから、あながち妄想だとも言いきれない。その可能性は限りなく低いが。

 そんな訳で、ロイはこの秘密の場所にくるたびに、今の閉塞へいそくされた境遇きょうぐうから抜け出し世界中を冒険する自分の姿を想像して楽しんでいた。そして、出会ったのである。アレクと、この秘密の場所で。初めてアレクを目にして衝撃だった。それが噂の『忌み子』と聞いて、更に二重の意味で衝撃を受けたのだ。しかし、その時には、すでに心は決まっていたのである。この人が真の主だと、自分をここから連れ出してくれる人だと覚ってもいた。

 だから、未だ目の前で首をかしげるアレクに向かって、突拍子もないことを言う。


「……連れてってください、オイラを」


 しかし、話の前後の見えないアレクは「ん?」と、さらに首をかしげてしまう。


「若様は空を駆け、天へと昇るにはどうするれば良いか、分かりますか?」


「えっ?」


 突然始めた訳の分からない話に困惑するアレク。そこでロイがまた、にぱぁと珍妙な笑顔を浮かべて答える。


「簡単ですよ。地に伏してる龍の背中に掴まってれば良いんですよ」


「へっ……」


 意味の分からない答えに、困惑の度合いを深めるアレク。と、そこへ新たな声が加わった。


「良っし、その話に、アタイものった」


「えっ!」


 アレクとロイが同時に驚きの声を発して振り向くと、トンネルの出口の所で赤毛の髪が揺れて「ウンウン」とうめいていた。


「ちょっとぉ、この穴……せますぎぃ」


 アレクとロイが見詰める先で、赤毛の物体がトンネルの途中で身体を引っ掛けて、ジタバタと暴れていた。その様子に面食らって戸惑うアレクが、おずおずといった調子で声を掛ける。


「えっとぉ……あなたは誰ですか?」


 アレクの声に反応した赤毛の物体が、抜け出すことを諦めたのか、ぴたりと動きを止めた。そして、ひょいと顔を上げると、すました表情でにこりと笑う。


「あ、アタイ……じゃなかった。私はソフィーナ、若様をお迎えに参りました。館では、若様のお姿が見えないと、大騒ぎですよ」


 今さら取り澄ましても台無しである。さっきまで、アレクとロイに恥ずかしい姿を見られていたのだから。そこで「あっ」と、アレクは思い出す。目の前にいるが、廊下で盗み見た新しい侍女だということに。そして、思わず苦笑を浮かべ、こう言うのだ。


「良いよ、無理して堅苦しい言葉で話さなくても。僕たちだけの時は、普段の通りに話してくれて構わないから」


 アレクには、今まで同年代の友達がいなかった。だから、嬉しいのである。今日は、二人も同じぐらいの年齢の子供と話せた事が。


「そう……じゃあ、今日からアタイの事もソフィと呼んでくれて良いわよ」


 しかし、すぐに遠慮なしに話し出すところが、ソフィーナの物怖じしない性格というか、やはり少し痛い女の子である。そんな二人の様子を、横から目を丸くして眺めるロイだった。



「で、さっきの話だけどさぁ」


 今ではすっかりと抜け出すことを諦めたソフィが、肘を突きその上にあごを乗せたくつろいだ姿で、アレクに話し掛けた。


「ん?」


「だからさあ、この子が言いたいのは若様が伏龍だってこと」


 ソフィがロイを指差し、さっきのよく分からない例え話の解説を始めたのである。


「え、僕が……」


「そ、だから、いつか若様が世の中に出て有名になった時、その傍らにいる者も有名になれるって話だろう。そうだよな、えっと……庭師? さん」


 ソフィが話を振ると、ロイが目を輝かせて頷いた。


「……僕がぁ……でも僕は皆から……」


「あぁ、あの『忌み子』の噂だろう」


 エレノアにあれほど注意されていたのにも関わらず、ソフィはあっさりと禁句を口にする。しかしすぐに、


「人の噂はあてにならないからねぇ。アタイは自分の目で見たものしか信じないよ」


 と、ばっさりと切り捨てた。そして、


「アタイもこの庭師? さんが言ったみたいに、若様は将来はひとかどの人物になると見た。だからさっきも、アタイもそれにのったって言ったんだよ」


 ソフィの場合は、ロイのように『先見』の技能スキルを持っているわけでもない。しかし、ソフィは女の勘――いや、彼女の場合は動物的な勘で、物事の本質を的確に見抜いただけである。


「二人は、本当にそう思ってるの?」


「あたりまえだよ! だから、アタイもこの子も一生若様に付いていくからね」


 アレクの問いかけに、顔を輝かせて頷く二人。と、その時、遠くから「若様ぁ~」「アレクさまぁ~」と、皆がアレクを探し回る声が聞こえてくる。


「げぇ、忘れてた。アタイも若様を探しに来てたんだっけ」


 途端に、あたふたと慌て出すソフィ。


「それにしても、ソフィはよくここを見つけられたね」


「子供に秘密基地はつきもんだから。小さな穴を見つけたら、その先にいるだろうと、すぐに見当がつくよって、ちょっとは抜け出すのを手伝ってよぉ!」


 と、やはり、女の勘ならぬ動物的な勘で見つけていたのだった。

 この後は、アレクとロイが引っ張っても抜けず、三人が大騒ぎしているところを発見されるのであった。


 こうして、アレクは得難い友二人と出会ったのだ。

 この二人こそが、後に『狂乱の美姫 ソフィ』と『希代の軍師 ロイ』と呼ばれ、アレクことアレクサンダーが大陸に覇を唱えんとした時も、常に傍らに付き従うこととなるのである。

 後世の歴史家は、この日の薔薇園での出来事を『聖薔薇園の出会い』、或いは『聖薔薇園の誓い』と称して、歴史書に記すのであった。


 そして、この日より二年後、アレクの弟であるエドワードが五歳となり『聖霊祝福の儀』を執り行う年に、運命の歯車が「カタリ」と音を鳴らして大きく回り出し、アレクを過酷な運命へと導く事となるのである。

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