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迷宮物語 ~剣の王~  作者: 飛狼
序章 『死者の迷宮』
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1


 ――はあ、はあ、何故こうなった。


 まだ十代半ばだろうか、顔立ちにまだあどけなさの残る黒髪の少年。その少年が息を弾ませ、ダンジョン内の通路を駆け抜けていた。静かな通路内には、少年が発する荒い息遣いと彼がまとう革鎧や剣帯がカチャカチャとこすれる音が響くだけだった。少年は時折、何かを恐れるかのように後ろを振り返る。


 ――馬鹿な……なぜ……。


 何度も何度も後ろを確認し、少年はもう一度、胸の内で悪態混じりの呟きを漏らした。それに答えるのは、静寂に包まれる通路に響く足元から聞こえる靴音だけだ。

 少年は途中にあった十字路を右に左へと折れ、曲がり角を通り過ぎる度に後ろを振り返っていた。背後から迫る何者から逃れるかのように、胸中で生じる恐怖に顔を歪めて……。

 どれぐらい全力で走ったのだろうか。

 最後は力尽きた少年が、通路奥にある大広間らしき場所に飛び込むと、倒れこむようにして片隅で座り込んだ。


 ――はぁ、はぁ、ここまで来れば……。


 弾む息を整え、いま走って来た背後に見える通路の暗闇を見つめた。周囲の壁は、四角い石をブロック状に積み上げただけの殺風景な石壁。表面にこびりついたヒカリゴケのほのかな光が、辛うじて広間や今通り過ぎてきた通路内に明りを投げ掛けていた。薄暗がりの中、少年は腰にぶら下げていたはずのランプを手探るが、どうやら慌てて逃げる時にリュックと共に置いてきてしまったようだった。その事に気付き「ちっ」と舌打ちし、その他の手持ちの道具を確かめる。しかしあるのは、背にう長剣と腰の剣帯にぶら下がる小剣のみ。火を起こすための火打石も、飲み水を溜めていた皮袋さえもリュックと共に置いてきた事が分かり、その表情をくもらせた。


 ――どうしよう……。


 少年は周囲の闇を見渡し、途方にくれるしかなかった。リュックの中には、方位を知るためのコンパスやロープ。それ以外にも、携行食など迷宮の探索に必要な、様々な道具が入っていた。それらを、危急とはいえ全て放り出して逃げてきてしまったのだ。


「まぁ、それも仕方ない。命あっての物種だから」


 なげいてばかりもいられない。ここはまだ迷宮内なのだからと、胸中に生じた恐怖を端へと押しやり自分に言い聞かせるように呟く少年。が、しかし、少年がホッとしたのも束の間、今度は広間の前方から「カッカッカッ」と、何か固い物を打ち鳴らすような乾いた音が響いてきたのだ。


「えっ……まさか……」


 前方を見詰める少年が、思わず上擦うわずった声で呟き絶句した。

 それもそのはずで――広間の薄闇の中から現れた者は、金糸銀糸でまれた豪華なローブをまとい、頭には黄金の冠まで載っている。だが、人ではありえない。いや、以前は人ではあったのだ。魔術を極めた邪悪な魔導士が、死してなおアンデットと化し凶悪なモンスターへと変化したリッチ。その姿は、動く骸骨である。しかも、身に着けている衣装や頭の上に載る王冠から推測されるのは、探索者たちから『死者の王』とも呼ばれ恐れられるアンデット系モンスター最上位種のリッチロードだったからだ。そのうえ、そのリッチロードの後ろには、かしずくように十体ほどのスケルトンソルジャーの姿も。


「なんで……迷宮の低層に、こんなやつらが現れるんだよ」


 しかもそれだけではなかった。なげく少年の背後にある通路からも、カチャカチャと甲高い音を響かせ三体のスケルトンナイトが姿を現したのだ。


「……嘘だろう」


 ――もう振り切ったと思ったのに、なんでだよう……


 そのスケルトンナイトこそが、迷宮内で少年を追い回していたモンスターだった。少年ではかなうはずもなく、相手をしようものならそれこそ瞬殺されてしまう事だろう。それが三体も現れたのだ、少年が必死になって逃げ回っていたのも頷ける。

 少年が更に表情を歪め悲嘆ひたんにくれながら、迫り来るモンスターに目を向けていると、 


「カッカッカッ」


 リッチロードのくぼんだ眼窩がんかの奥でほのかにともる赤い炎が揺れ、き出しの歯が乾いた音を鳴らした。すると、少年を囲むように周りにいたスケルトンナイトやソルジャーも、唱和するかのように歯を打ち合わせて「カタカタ」と音を鳴らす。その様子は、まるで少年の事を嘲笑あざわらっているかのようだった。


 ――まさか、こいつら


 少年も、ようやく気付いたのである。自分が狩りの獲物の如く、この場所へと追い込まれた事に。そして、逃れられない死を思い絶望感に包まれたのであった。


 少年の名はアレクサンダー。まだ駆け出しの探索者だった。いや、駆け出しというのもおこがましい。この『死者の迷宮』と呼ばれるダンジョンどころか、世界に数多く存在するダンジョンと呼ばれる地下迷宮に足を踏み入れたのも今日が初めて。本当の意味での初心者だった。昨日、探索者協会に迷宮探索者としての登録をすませ簡単な講習だけを受け、次の日には初のダンジョンへと潜ったのである。当然、最初からソロで挑もうとなどと浅はかな考えもなく、『美食倶楽部』と名乗る集団クラン内のチームに参加してのことだった。ダンジョン内にて、レア食材を採取するのを主目的とした、少々ふざけた名前の集団クランだったが、中堅から上級までの探索者をようする、アレッポの都市にある協会内でも実力は折り紙付きの集団クランでもあったのである。

 まだ初心者のアレクが、そんな有名な集団クランに入団できるわけもなかったのだが、ちょうどアレクが登録したその日に『美食倶楽部』の抱える荷役の人夫にんぷに欠員が出たとかで、急遽きゅうきょ、協会に人夫の斡旋あっせんを頼みに来ていたのだ。それに自ら志願したのがアレクだった。

 荷役人夫にやくにんぷとは、いわゆる迷宮内で採取される様々な品を運ぶ荷物持ちの労働者のことであるが、魔物が蔓延はびこる危険な迷宮内の仕事にしては人気が高い。特に、有名な集団クランでの荷役の仕事は。探索者に成り立ての初心者が、雇ってもらおうと募集があるたびに殺到するからであった。一回の荷運びで配当される高額の金額もさることながら、運良く目に止まる事が出来れば、集団クランへのスカウトもあり得るからだ。もっとも、当のアレク自身はそこまで考えていた訳ではないが。というより、その前に探索者協会の仕組みも理解できているとは言い難い状況。そもそもが、世間しらずに育ったため、世の中の仕組みすら満足に把握はあくしていないアレクであるのだ。今回も探索者の一員としてではないが、初の迷宮にワクワクと興奮していた。それに、探索といっても低層での調査採取と聞き、ちょっとした肩慣らし程度の軽い気持ちで志願したのであった。

 しかし、迷宮に入ってしばらくった頃に、最後尾を歩いていたアレクはチームからはぐれてしまった。いや、はぐれたといっては語弊ごへいがあるかも知れない。最後尾にいたアレクだけが、転送トラップによって別の場所に送られてしまったのである。

 『死者の迷宮』は五十層に及ぶ地下迷宮。十層までは低層迷宮と呼ばれ、比較的低レベルの魔物しか現れず、もっぱら初級探索者の経験を積むための狩場となっていた。当然、転送トラップなどの高レベルのトラップも、今までは存在していなかった。だから、『美食倶楽部』に所属する中堅探索者も、迂闊うかつにも油断して見過ごしてしまっていたのだ。そして、その転送トラップに、アレクが引っ掛かってしまい、どことも知れない場所へと飛ばされてしまったのである。ところが、探索者としては初心者のアレクは、転送トラップで飛ばされたことすら気付いていなかった。ただ単に、自分の不注意でチームからはぐれてしまったと思い込んでいた。そこへスケルトンナイトが現れ、アレクは追い回されるはめになったのだが、その間、他の探索者や魔物に出会うこともなかった。それを不思議に思う余裕もなく、それ以前に不審を覚えるほどの経験もなかったのである。

 そうここは、このダンジョンでも特別な場所。アレクは、未だ低層を彷徨さまよっていると思っているが、実際は違っていた。この場所は『死者の迷宮』の最下層、最奥の間に迷い込んでいることに気付いていなかったのだ。

 ともあれ講習中だったアレクに運良く声が掛かり――いや、この状況では運悪くであるが、登録した次の日にはダンジョンへと最短で潜ることとなり、最悪の状況へとおちいっていたのであった。


 カタカタと音を鳴らして笑うアンデッドたちに囲まれ、迷宮自体を軽く考えていたアレクは、早くも後悔と慚愧ざんきの念に体を震わせる。と同時に、


 ――僕はこんな場所で倒れるわけにはいかない。


 と、悔しさと不屈の闘争心が湧き上がってくるのを感じていた。


「僕は半端者はんぱものだけど、これでもモーロック家の一員。お前らのような魔物に負けるもんか!」


 恐怖に震え強張る体を叱咤しったし、アレクは腰の小剣を抜き放つ。だが、幾ら気持ちを奮い立たせても、どうにもならない事はあるのだ。

 そして、今が、そうであった。

 カタカタと音を鳴らしていたリッチロードが、スッと右手を伸ばすと、五本の指先に青白い炎がゆらりと出現する。その五つの炎が渦巻くようにして、アレクに迫って来る。

 広範囲へと広がる炎をかわすことは不可能。しかも、リッチロードが放つ魔法の炎を、アレクが持つ剣では迎撃することもできない。もはやアレクは風前の灯火ともしび、絶体絶命であった。


 ――くそ、くそ、くそ! 僕がこんな所で……。


 死を目前にして、アレクの脳裏のうりに様々な想いが浮かび過ぎ去っていく。それは人が死に際して、生前の出来事が走馬灯そうまとうのようによぎっていくかの如くであった。


                      ◇


 アレクことアレクサンダーの生家であるモーロック家は、エスパイア王国内でも豊かで広大な領地を持つ大貴族。神代より連綿れんめんと受け継ぐ貴族家であり、過去には王家へととつぎ、妃となった娘をも輩出したこともある由緒ゆいしょただしき伯爵家でもあった。アレクは、その伯爵家の嫡子ちゃくしとしてせいを受けたのである。幼い頃より周囲の者から祝福され、何不自由なく育ったアレクであったが、年齢が長ずるにつれ少々――いや、かなり大きな問題が生じた。というのも、この『アトランタ』と呼ばれる世界は、技能スキルによって支配される世界でもあったからだ。

 技能スキルには、成長と共に後から修得する後天的ものと、生まれ時からすでに持っている先天的なものとの二つに大別される。その中でも特に、貴族たちに重要視されるのが、先天的に持っている技能スキルなのである。

 アレクが生まれた時、父でありモーロック家の当主でもあったアルフレッド伯爵は、領地内で『神聖教』の教会をたばねるラスキー司教を招いた。それは、神に仕える神職のみが修得することができる技能スキル『聖霊視』でもって、まだ産まれたばかりのアレクをてもらうためであった。

 しかしその結果は――


「そ、それで司教どの、いかがであろうか?」


 笑顔を浮かべ尋ねるのは、アレクの父親でもあるアルフレッド伯爵。表情こそ、にこやかではあるが、はやる心が抑えられないのか、その口調は少々性急なものであった。そして、その伯爵の傍らではアレクの母親であるリリスも、かたずをのみ様子をうかがっていた。この両親二人は、次に発せられる司教の言葉に期待を寄せ、いまにも顔を輝かせんばかりであった。司教の言葉が、伯爵家に更なる繁栄と幸せをもたらすものだと、間違っても疑う事はなかったのである。

 だが次の瞬間、揺り籠の中で眠るアレクに眼差まなざしを向けていたラスキー司教が、そのまぶたを閉じ沈痛な面持ちで首を振った。


「……伯爵様には……まことに申し上げにくい事ではありますが……ご子息アレクサンダー様には、ご期待に沿うような技能スキルは備わっていないかと思われます」


「なっ! そ、そんな馬鹿な!」


 アレクの両親は、司教の予想外の言葉に驚きの声をあげると、思わず顔を見合わせて絶句する。


「……間違いでは……」


 取りすがるようにして訴えかけるリリスに、無情にも司教が「残念ながら」ともう一度、首を振った。

 アルフレッド伯爵は、「おぉ」と呻き声を漏らし天を仰ぐ。リリスに至っては、人前であるにも関わらず、その場で大声をあげて泣き崩れるのであった。


 何故、これほどの大騒ぎになるのか?

 それほど、貴族にとっては、技能スキルとは重要な事なのであったのだ。

 この世界にいては、技能スキルを持つ者と持たざる者の間では、越えられない壁が存在する。例えば、剣士のスキルを持つ者に、持たざる者は決して剣の技量で勝つことはかなわない。それは才能とかの問題でなく、時をればるほど両者の間にはそれほど大きな差が生じてしまうのである。そして、その技能スキルは、剣や槍といった戦闘面に限ったものばかりではない。文化、生活面といったあらゆる場所、場面に浸透し全てを左右するのである。パン職人の技能スキルを持つ者は、おのずとパン職人の道を選ぶといったように、その人の、人生の行く末すら決めてしまうのである。

 故に、『アトランタ』と呼ばれるこの世界が、技能スキルによって支配されているとも言われる所以ゆえんでもあるのだ。

 その中でも、貴族の地位にある者は、また特殊な事情があった。

 一般の民と貴族との間には、犯し難い厳然たる線引きが存在していた。それが、魔法を扱う技能スキルなのだ。魔法の技能スキルは強力であり、あらゆる技能スキル陵駕りょうがし、時には一軍に匹敵するほどの火力を誇る。しかし、決して後天的に修得することのできない技能スキルでもあるのだ。全ての魔法に関する技能スキルが、先天的に持って産まれるがため、その血統の中に技能スキルの源が潜むとも言われていた。そして、その魔法の技能スキルを持っている事こそが、貴族たりえる絶対の条件なのでもあった。故に、貴族は神に選ばれた民、神民ティタンとも呼ばれ皆からうやまわれる存在でもあるのだ。そしてそれは、世界に乱立する国家の垣根を越えた、『アトランタ』の世界を貫く絶対の不文律でもあったのだ。

 そのため、貴族家では一般の民の血統を下賎げせんの血と呼び、貴族家は貴族家とのみ婚姻を結び、己れたちの古き血統を守ろうとしていたのである。


 モーロック家でもその古き血統を守ってきたがため、アレクの誕生は衝撃を与え、一時期は下賎げせんの血を招き入れたのではと醜聞しゅうぶんが噂されることもあった。が、アレクが成長するにつれ、その容姿は――貴族らしく顎の線も細い端正な甘いマスクや、光の加減では金色にも見える少し黄色がかった琥珀色した瞳が、両親と酷似こくじしていることで、その噂も立ち消えとなった。しかし、ただ一点、両親ともに色鮮やかな金髪であるにも関わらず、成長と共にアレクの髪が黒く染まっていくことに、モーロック家ではまたしても騒然としたが、それも十五代前のモーロック家中興の祖と言われる当主が黒髪であった事で、ある種の先祖返りだとの話で落ち着いたのである。

 因みに、この当主の名前もアレクサンダー。アレクの名前は、このご先祖様から頂いた名前。ご先祖様にあやかり、アレクの時代にはモーロック家の更なる繁栄へとの、願いを込められて名付けられたのに皮肉なものである。

 とはいえ、問題が全て解決された訳ではない。アレクにはあるべきはずの魔法の技能スキルがないのであるから、モーロック家としては存続の危機でもあった。

 古き血統を固く守る貴族家といえど、過去にさかのぼればこのような事案はごくまれではあるが発生していた。その場合は、神に連なる高貴な血統を上手く継承できなかった半端者はんぱもの、或いは『み子』としてさげすまされうとまれる存在、唾棄だきすべき存在へと堕とされた。貴族家としては外聞がいぶんはばかられる事から、その子は密かに家臣へと下げ渡され臣民として扱われるのが通例であった。当主家に子が産まれたといった事実すら抹消されてしまうのである。中には酷い貴族家などになると、技能スキル無しが発覚した時点で、その赤子を亡き者とし、全てを無かった事にする貴族家もあるほどであったのだ。

 では、モーロック家ではというと。


「そんな、あんまりです。産まれたばかりのこの子に、なんの罪がありましょうか。この子が不憫ふびんでなりません」


 母親であるリリスが、我が子を哀れみ決して手離そうとしない。そのあげくに、


「これは何かの間違いです。大神オーディン様が、お間違いになったに違いありません。しばらくすれば、きっと技能スキルの発現があるはずです。だから、お願いします……」


 アルフレッド伯爵へ、涙ながらに訴えるのである。


「リリィよ、大神オーディン様へ不敬であるぞ……」


 伯爵はリリスをとがめるも、その口調は弱々しい。

 元々リリスは、領地内の下級貴族の出身。伯爵が領内を巡視中に見初みそめ、貴族には珍しく大恋愛の末に結婚したのである。当時は身分違いだからと周囲から猛反発をうけ、駆け落ち同然で強引に籍を入れたのだ。そして、未だに相思相愛の甘い関係が続き、一族の者や家臣が熱心に側室を置く事を進めても、かたくなに拒否し続けているのであった。

 だから伯爵も、すがり付くリリスを無下にはねのける事が出来なかった。いや、それ以前に、愛するリリスとの間に初めて成した子供、可愛くないはずがない。だが貴族として、伯爵家の事を考えると、


 ――やはり、手離すしかないか。


 伯爵がわき上がる親心を切り捨て、苦渋くじゅうに満ちた決断を下そうとした時だった。

 二人の傍らで、揺りかごの中で眠っていたはずのアレクが目を覚まし、「ダァダァ」と小さな手を伯爵へ伸ばそうとしていた。

 途端に、我が子へのいとおしさに包まれ、表情を歪める伯爵。

  

「……五、五年だ。五年後の『聖霊祝福の儀』までに発現しなければ……」


 結局、伯爵はリリスに押しきられる形で、問題を先延ばしにしたのである。アレクが生まれた時に魔法の技能スキルが発現しなかった事は、モーロック家の主だった一部の者しか知らぬ秘事とされた。『神聖教』へも多額の寄付を行うことで、ラスキー司教の口を封じたのだ。

 しかしそれは、両親の我が子を思う情愛の現れであったのかも知れないが、後に当のアレクにとっては辛い運命を突き付けられる事になるのである。或いはこの時の伯爵の決断が、アレクの放逐ほうちくといった選択であったならば、後世の歴史は大きく変わっていたかも知れない。


 さて、『聖霊祝福の儀』だが、この世界では病気など様々な要因で、子供の死亡率は高い。特に五歳までは。そのため、子供が五歳になると親類縁者がつどい、成長とその後のすこやかな発育を願って祝するのであるが、それを称して『聖霊祝福の儀』と呼んでていた。一般の領民などは、夜どおしの宴会をもよおしたりするのであるが、貴族家では少々様子が違う。分けても領地持ちの貴族家では特別だ。一族の者や家臣、領民たちに次代の領主となる者のお披露目の場でもあるからだ。その際には、神に与えられたと言われる魔法を発動させ、神民ティタンの一員である事を示さなければならない。それこそが、大神オーディンにこの地を治めるのを認められたあかしであり、領民たちも安心して暮らしていけるからである。長い年月の間に形骸化けいがいかした儀式ではあるが、神代の頃より受け継がれる神聖な儀式でもあったのだ。


 そんな訳で、アレクが生まれて五年目になろうとしていた頃、アルフレッド伯爵の周囲はあわただしいものとなった。当然だ。未だアレクには、魔法の技能スキルが発現していないのであるから。


「伯爵様、もはやお覚悟をお決めなされ」


 渋面を作りさとすように迫るのは、アルフレッド伯爵の腹心であり、近衛の騎士を率いるハデス。伯爵家から騎士爵と領地をたまわれっきとした貴族である。茶色い髪を短く刈り込み、軍人畑らしいがっしりとした体格。角張ったあごの線と眉間に深く刻まれたしわが、頑固さを表していた。対する伯爵は対照的に、いかにも貴族らしく金色の髪が優雅になびき、細面で端整な顔立ちが優しげな風情ふぜいを漂わせる。共に、今年でちょうど三十になる同い年。ハデスの母親がアルフレッドの乳母であることから、二人は乳兄弟でもあった。


「うむ、分かっているが……」


「いえ、分かっておりませぬ。このままでは、若様のためにもならぬのですぞ」


「ええい、そのむさ苦しい顔を近付けるな!」


 のらりくらりと言い逃れる伯爵に、顔を真っ赤にし怒りを(あらわ)にしたハデスが、額をつき合わせんばかりに顔を寄せたのである。家臣ではあるが、幼い頃より兄弟同然の付き合い。二人きりの時は、ハデスも忌憚きたんなく意見を述べる。それも、伯爵家のためであるのだが。

 しかし、こうしてハデスが憤慨ふんがいするのも無理はなかった。ハデスもまた、アレクの秘密を打ち明けられたひとりでもあるからだ。ここ数年は、伯爵家のためにもアレクのためにもならないと、幾度も意見を具申しているのだが、伯爵は聞く耳を持たない。モーロック家中興の祖であるアレクサンダーの再来といわれ、何時もは聡明な伯爵が、この件に関してだけは口をにごして問題を先送りにするのである。ハデスにしてみれば、魔法の技能スキルが成長後に発現するなど聞いた事もない話。アレクを廃嫡とし、リリスとの間か、或いは側室を置いて早急に新たな子をもうけるしかない。それがかなわないのなら、一族の近い者から養子を迎えるのが、貴族家の正しいあり方だと考えていた。

 それに、


 ――若様もまだ四歳。今ならまだ間に合う。


 と、モーロック家から放逐するなら、自分なりの意見を持つようになる物心がつく前が良い。心配であるなら自分が預かってもよいとさえハデスは思っていたのである。


「伯爵さま……いや、アル。これは同じ乳を飲んで育った友人としての忠告だ。あの子をさっさと廃嫡にしろ。それがあの子のためにもなる。なんなら俺が預かっても良い。このままだと、いくらモーロック家といえど、中央にこのことが知れるとまずいことになるぞ」


 ハデスの口調はぞんざいなものへと変わったが、逆にアルフレッドと伯爵家を真剣にうれいている心情がありありとその表情に浮かんでいた。

 モーロック家は、エスパイア王国の東部に根を張り勢力を広げる貴族家。今やその勢いは、エスパイア王家をしのぐほどの威勢を示していた。しかし、貴族家の間では『み子』と呼ばれ嫌われる子供を輩出したうえ、その子を未だに手元に置いている。その事が他家に知られれば、友誼ゆうぎを結び心を寄せる貴族家もモーロック家から離れ、勢力そのものが瓦解がかいする事だろう。それに領内の民からも、不安を覚え不信の声が上がるのは必定ひつじょうであった。

 ハデスはその事をも、憂慮ゆうりょしていたのである。

 しかし、それでも伯爵は冴えない表情を浮かべ、「うむうむ」と曖昧あいまいな返事を繰り返し、ハデスから視線をらした。

 伯爵にも分かってはいるのだ。アレクが生まれた時には、一度は廃嫡し、モーロック家からの放逐ほうちくをも考えたのである。だが、アレクが生まれてから四年、病弱であると理由をつけて極力人前に出さぬように館の中で育ててきた。その四年の間、最初はリリスに押しきられた形であったが、今では伯爵自身がすっかりと我が子に骨抜きになっていたのである。

 その事を十分に理解していたハデスが、それでも伯爵家のためと思い、声を荒げて伯爵へと迫る。


「アル! 決断するのだ!」


 と、その時、執務室の扉がカチャリと音を鳴らして開いた。

 伯爵とハデスは、人を遠ざけ執務室で密談をわしていた。その執務室に、おとないをげるノックもなしに足を踏み入れられるのは、この館ではただひとりしかいない。


父様ととさま、ケンカはメッなのです」


 舌足らずな口調で、トテトテと駆けて来るのは、今話題にしていたアレク本人だったのだ。くるりと巻いた癖毛の黒髪に、少し下ぶくれのほおをぷくりとふくらませるアレク。下から見上げるようにクリッとしたつぶらな瞳を、伯爵へと向けてくるのである。その愛らしさ足るや、まるで地上に舞い降りた天使である。

 そのアレクの後ろからは、


「これアレク、待ちなさい。お父様はまだお仕事中ですよ」


 と、追い掛けるように伯爵夫人のリリスも現れた。白を基調としたワンピースに、細身の体と金色の髪が良くえ、こちらも、その美しさたるやまるで女神のように見えた。

 二人の女神と天使の登場に、たちまち相好そうごうを崩す伯爵。


「おぉ、アレクではないか。父は争っていた訳ではないぞ。お仕事の話で、少し意見を論じておっただけだ」


「ホントウに?」


 少し首を傾げるアレクを、リリスが「すみません」と頭を下げつつ後ろから抱き上げ、申し訳なさそうに少し表情を曇らせた。

 伯爵はリリスとアレクの様子を眺め、だらしなく頬を緩めると、目を細めて答える。


「本当だとも。のぅ、ハデスよ」


 とつぜん話を振られたハデスが「うぐっ」と、言葉を詰まらせた。そんなハデスを、アレクがクリクリっと瞳を動かし見詰めた。


「ま、まことございます、若様」


 と、ひきつり強張った笑みを浮かべ、ハデスは答えるのであった。

 万事がこの調子。結局のところ、この五年目に行う儀式『聖霊祝福の儀』も、病気を理由に主役であるはずのアレクが不在のまま敢行かんこうされた。腹心のハデスは反対したのだが、伯爵は我が子可愛さで押し通したのだ。

 出来の悪い子ほど可愛いと昔からよく言われるが、伯爵もまたすっかりとリリスと共に我が子を溺愛していた。もはや、手離すとは考えられぬほどに。伯爵家及び領地の経営に、時には非情となり辣腕らつわんを振るってきたアルフレッドも、可愛い我が子には勝てなかったのである。

 しかし、それは伯爵家に大きな混乱を招く事となった。事情を知らない一族の者は勿論もちろん、家臣であるはずの貴族家も、儀式に招かれていた近隣の領主までもが不審を覚え騒ぎ出したのだ。その騒ぎは東部全体にまで波及する広がりをみせ、一般の兵士や領民たちまでもが不安に陥った。長い年月に形だけの儀式になったとはいえ、領地持ちの貴族家では神に統治を認めてもらう為の神聖なもの。ある意味では当然の結果ともいえた。

 その騒動の広がりは伯爵家の思惑おもわくを越え、一時は東部全体をも巻き込む乱にまで発展しかけたのだ。が、モーロック家にその人ありと知られ、豪勇の士としても名高い『炎槍のハデス』が四方に睨みを利かせることで、ようやく事なきを得たのである。ハデスは火属性魔法の技能スキルの使い手。彼の操る爆炎の魔法は、一軍をも焼き払うと皆に恐れられていたからだ。

 後に、ハデスは、


「この時ばかりは冷や汗をかかされた。なんといっても、相手が本来ならこちらの味方となるはずの連中ばかりだったからな」


 と、酒が入るたびに、ほれみたことかと愚痴ぐちをこぼし、伯爵を閉口へいこうさせる事となるのだが。

 何はともあれ騒ぎを収束させる事には成功したが、伯爵家にとっては厄介やっかいな火種がくすぶる事となってしまった。そして、アレクが六歳を過ぎた頃には、公然とある種の噂がささやかれるようになった。


 ――もしやすると、『み子』ではないのか?


 と、おおやけの場に一切姿を現さない、伯爵家の嫡子であるアレクを指して噂をするのである。伯爵家は躍起やっきになってその噂を打ち消そうとするが、足元の領都に住まう貴族家や領民が「このままでは、大神オーディンから天罰が下る」と、恐れているのであるから始末が悪い。またぞろ騒動が始まるのかと伯爵家も慌てるが、今度は足元の領民が中心であるから頭を抱えてしまう。

 だが、ここで伯爵家はある意味で転換期となり、好転へと変ずるある出来事が起きたのだ。それは、アレクにとっては幸か不幸か、新たな命が誕生したのである。

 アレクの母親の伯爵夫人リリスが懐妊したのだ。妊娠が発覚してから七ヶ月後、アレクが七歳になった頃に元気な赤子を出産すると事態は一変した。

 今回もラスキー司教に、新たに伯爵家に誕生した赤子をてもらったのだが、今回はしっかりと魔法の技能スキルが発現していたのである。しかも、三つの属性持ちでだ。通常はひとつであるところを三つもとは極めて珍しい。それこそ、神代の叙事詩じょじしで語られる英雄と同じであった。

 その三つの属性、ひとつは母親から受け継いだのか、水の属性。もうひとつは父親の伯爵から受け継いだ、風の属性。そして、最後の属性は神に祝福された者のみが与えられると言われる聖属性。

 ラスキー司教などは何度も確認し、これが本当であると知ると、驚きのあまり卒倒そっとうしかけたほどである。その後は慌てたように、『神聖教』の全てを統轄とうかつする大司教すら目指せる逸材だとたたえ、この子を教会に預ける気はないかと伯爵を掻き口説くも、当然の事ながら伯爵が頷くはずもない。それも当然だろう。神代の英雄に比する子が誕生し、モーロック家は将来の発展が約束されたようなもの。それなのに、何を好き好んで教会へと差し出すことができようか。しかも、この大変な時期にだ。神話の英雄にちなんでエドワードと名付けられたその子は、伯爵家で大切に育てられる事となった。

 そして、後にエディとの愛称で親しまれることになる、このエドワードの誕生は領内に劇的な変化をもたらした。今まで伯爵家に非難の目を向けていた領内の民も、エドワードの魔法属性の話が広まると諸手をあげて祝福したのである。


「伯爵家も、この地も大神オーディンに愛されている。伯爵家ばんざ~い、エドワード様ばんざ~い!」


 と、それはもう大変なお祭り騒ぎ。先に産まれていたアレクのことは忘れたのか無かった事にして、すでに次代の後継者はエドワードと決め付けているのだから現金なものである。

 このエドワード誕生を祝福するお祭り騒ぎは、一ヶ月以上も続くほどのものとなった。領内の民は大変な喜びようだが、それは、それだけ不安に思っていた裏返しであったのかも知れないが――しかし、その騒ぎの最中、伯爵家の館の執務室では、伯爵と腹心のハデスが深刻な表情で額を付き合わせていた。彼らには、アレクの事も心配であるが、今はもっと気がかりな事があったのである。


「どうだ、ハデス。目を付けられると思うか」


「……三属性持ちになると、さすがに、今回ばかりは……しかも、聖属性持ち……」


 沈鬱ちんうつな様子で問い掛ける伯爵に、歯切れ悪く答えるハデス。

 

「アレクの時のように、逆の意味でエディの事は隠しておきたかったが……」


「それは仕方ないかと。アレク様の時と違って、今度はめでたい話ですから。人の口にも戸は立てられないでしょう」


 二人には懸念けねんに思う事があったのだ。その懸念とは四つの――いや、四人の存在といっても良いだろう。

 『アトランタ』には、幾つもの国が栄え、数多くの王が統治していた。だが、更にその上に君臨する存在があった。世界を東西南北の四つに分割して監視する存在。魔導を究め神に最も近い者たち。その力は星すら招き寄せ国をも滅ぼすと言われ、『四賢者』とも『四皇』とも呼ばれる者たち。しかし、『四皇』は人や国などの俗世には興味を持たず、あくまでも世界の真理を追究する者たちでもあった。いわば、君臨すれど統治はせずの立場を貫いていたのである。一般の民は『四皇』の存在は知っているが、所詮しょせんは雲の上の存在、詳細までは知らない。ある意味では、神を思うのと同じ感覚である。が、神民ティタン、特に国を治める王や領主にとっては、恐怖の対象でしかない。彼らの一声で全てがくつがえるのだから。

 そんな『四皇』が世俗に介入するのは、世界を揺るがす大乱が起きたときか、みずからが興味を覚えた事象が発生した時である。

 伯爵とハデスの二人は、三属性持ちのしかもそのひとつが聖属性のエドワードに、彼らが興味覚えるのではないかと恐れていた。伯爵にしても、彼らについては詳しくは知らない。しかし、少しでも機嫌をそこねると、伯爵家などぐに消し飛ぶ程度には分かっている積もりだった。


「とにかく、広まった噂は仕方ないが、これ以上の騒ぎは困る」


「はい……できる限りは抑えますが……」


「それと、アレクの事だが、当分はこのままでいこうと考えるが、どうだ」


「そうですな、今はあまり目立った動きをしない方が良いでしょうな」


 アレクの事とは、アレクを廃嫡とし、エドワードを後継者へとすげ替える動きのこと。一族や家臣の中でも、すでに廃嫡を考え動こうとしている者が多いのである。伯爵も、行く行くはエドワードへと伯爵位を譲り、アレクについてはモーロック家から分家させエドワードを支える形にするのが望ましいと考えていた。だが、それはまだ早いとも思っていた。エドワードは、まだ産まれたばかり。大切に育てる積もりであるが、この先、無事に育つとも限らない。それに何より、『四皇』がどう出るか気になって仕方ないのだ。だから、せめてエドワードの『聖霊祝福の儀』まで、アレクを嫡子のままにしておこうと、伯爵は前回の事もあるのでハデスに確認したのである。

 アレクの件に賛成しつつ、ハデスが窓へと目を向けると、伯爵もつられて外を眺めた。

 月の光が差し込む窓からは、領民たちの歓声が聞こえて来る。領都で暮らす人々が夜通しで祝杯をわし、その喧騒けんそうが館まで届いてくるのだ。我が子の誕生を祝しているだけに、伯爵も止めろとは言いづらい。

 外から聞こえて来る喧騒に耳をかたむけ、ハデスは浮かない表情を浮かべ、伯爵はそっとため息を吐き出すのであった。


 この時、アレクはまだ七歳。自分の立場も、おかれている状況も、まだ理解ができず、ただ弟が家族に加わったと無邪気に喜んでいたのである。

 そして、伯爵とハデスが恐れていた『四皇』は何の動きも示さず、二人の心配は杞憂きゆうに終わろうとしていた。この時には…………で、あるが。


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