一章六節
案内されたのは、入り口からほど近い座敷。急患が運ばれてきたときのためか、いろりには火が入れられ、そのうえで湯が沸いていた。
比呼はそのお湯で与羽のためにお茶の準備をはじめてくれた。
「凪が余計なこと聞いてごめんね」
まず比呼の口から出たのは、そんな謝罪だった。与羽の髪色のことだ。すぐに察せた。
聞かれるのには慣れたし、それに笑顔で答えることもできるようになった。それでも、心の底にたまった他国の人々が与羽を見たときの驚きや悲しみ、髪色をもとに戻せなかった無念が強く湧きあがるのは抑えられない。
比呼はかつての経験から、そんな与羽の嫌な気持ちを鋭く読み取ったのだろう。
「大丈夫」
与羽は首を横に振った。
「みんなが髪のこと聞きたがるのはわかるし、もう慣れた。むしろ、比呼が私を見て、全然驚きも何もしなかった方が不思議」
「なんだろう。髪色に気付かなかったわけじゃないけど、そんなことを気にするより与羽が来てくれたことがうれしかった、かな?」
比呼は中性的な顔に無邪気な笑みを浮かている。
「中州城に帰ってきたのに、与羽はほとんど城下町に下りてこないし、忘れられてるんじゃないかって不安だったんだからね」
「なんか、比呼。感情豊かになったな……」
おどけたように言う比呼に、与羽は思ったことを伝えた。
「そうかな? きっと与羽たちのおかげだよ。……それで? 与羽、旅はどうだった?」
比呼は雑談もほどほどに、自分から与羽の本題を探るように問いかけてくる。
本来ならば、順を追って話すべきなのだろうが、与羽は率直に一番聞きたかったことを口にした。
「比呼。『四ッ葉屋(よつばや)秋兵衛』って名前知らん?」
与羽がその名前を出した瞬間、先ほどまで陽気で明るかった比呼の表情が変わった。一瞬驚いたように目を見開いた直後、眉間にしわがより、細めた目の色が暗くなる。
「四ッ葉屋秋兵衛」
普段は中性的な印象を与える比呼が出した低い声に、与羽は思わず身をすくめた。
「比呼……?」
与羽の声に潜む怯えを察してか、比呼は淡く笑みを浮かべて見せた。
「大丈夫」
そううなずいてみせる。
「四ッ葉屋秋兵衛の表の顔は薬商人と貿易商。裏の顔は情報屋。得意先は華金王やその家族、宰相、大臣、あと昔の僕みたいな存在とか――。でも、心配しなくていいよ。辰海君や水月大臣と一緒にいたんだろう? 彼らがいればそうやすやすと中州に不利益になる情報を流すとは思えない」
「でも、私――」
「大丈夫だから」
あからさまに不安そうな表情になった与羽の頭に比呼は手を置いた。
「彼の前で中州の話とか城主の話とかした?」
「……たぶん、しとらん。あんまり――」
「僕の話は――?」
「それは絶対にしとらん」
「それなら本当に大丈夫だから。そんなに不安そうな顔しないで。彼は彼で自分の商売に忠実な人だから。だからこそ狡猾なんだけどね。良いと思った商品は、何としてでも仕入れようとするし、頭もまわる。たぶん、水月大臣や辰海君と同じくらいね。口のうまさならそれ以上かも。
彼が欲しかったのは、戦を終えて、中州が今どんな状態か。城主や大臣、上級官吏たちの関係。あと、音信不通の『僕』のこととかかな」
比呼は言いながら指を三本立ててみせた。それを一本一本折りつつ、与羽に言い聞かせるようにゆっくり話す。
「中州の状態は悪くない。今すぐまた華金が攻めてきても、対応できるだけの備えがある。城主やその周りについても、問題ないよね。みんな仲が良くて、一致団結して国を守ろうとしてる。だから、この二つに関しては、たとえ情報が漏れたとしても全く問題ない。『今の中州に攻め入る隙はありません』そういう情報が流れるだけだ。
僕のことは少し危険だけど、僕の話をしていないなら大丈夫。僕自身も下手な情報を華金に漏らさないように、気を使ってるしね」
「けど――」
「大丈夫」
不安そうに上目づかいで見てくる与羽に、比呼は力強くうなずいた。