七章六節
「それで? どの程度詰めてあるんだ?」
感謝と祝いの声がやっと途切れたころ合いを見計らって、卯龍は最上位の大臣として話を進めた。
「それはお前の息子がよーく考えてくれたぞ」
柊地司の言葉で卯龍の目が隣に座る辰海を向く。与羽の無茶の裏には辰海の入れ知恵があると知っているのだろう。卯龍の様子に驚きはない。
辰海は隠し持っていた紙の束を手に取って立ち上がった。
「城主や父上、大臣たちの了承が取れていないので、これはただの提案としてお考え下さい」
周りの官吏向けにそう前置きをして、辰海は説明を始めた。
「婚礼の儀は、今年の水無月(6月)初旬。梅雨入り前に執り行います」
ざわめきが広がった。官吏たちがささやきかわす内容は、予想よりも早いことを驚く声が多いようだ。
「中州の年中行事を鑑みて、余裕のありそうな時期を選びましたが、どうしても都合が合わない場合は神無月(10月)から霜月(11月)に移動させる可能性も考えています」
「けど、やっぱり婚礼は春や初夏の明るい時期にやりたいよなぁ? 翔舞の時も、桜が咲き乱れる春じゃったし」
柊地司が卯龍や官吏たちの反応を見るように声を張り上げる。
「婚礼の儀の責任者は、この場にいないところ申し訳ありませんが、水月絡柳大臣にお願いしたいと考えています」
再度広がり始めたざわめきを抑えるように、辰海はゆっくりとあたりを見渡した。
「古狐大臣には新郎方、紫陽大臣には新婦方の補佐をいただければと思います。もちろん、この話を提案した者の責任として、僕と与羽姫も携わります。婚儀の内容は、舞行様、翔舞様、柊地司のものを参照し、純中州流に執り行いますが、詳細を説明すると長くなりますし、今後の変更も多くあり得るので割愛致します。何かご質問は?」
辰海の問いかけに、すっと手が挙がった。主に上級下位から中級文官が座る二の間から。辰海はそちらを見て目を丸くした。
「それ、余興もかねて俺たちの婚儀も同時に行ってもいいの?」
「大斗先輩……」
想定外の乱入者に与羽も驚いた。文官が集まるこの場に、警護でもないのに武官の彼が混ざっていることにも、その発言の内容にも――。
「もちろんいいぞー。卯龍もそれに近いことしとったよなぁ? 城主とその側近が同時に結婚とは、めでたいめでたい」
唯一冷静だった柊地司は手を打ちながら大きくうなずいている。
「それならよかった」と大斗は満足そうだ。
庭がざわついている。年始議への参加義務のない準吏や下級官たちが、この内容をいち早く知り合いや家族に知らせようと移動を始めているのだ。
「中州の武官も城主たちの婚礼を大いに祝ってくれそうですね」
すでに冷静さを取り戻した辰海が、そう言って上級官の集まる一の間を見渡した。
「他に何かご質問や今のうちに知っておきたい点はございますか?」
一通り謁見の間を眺めて、誰も挙手していないのを確認したあと、辰海は隣にいる父を見た。卯龍は辰海と目が合った瞬間浅く顔を伏せ、小さく両手を上げてみせた。完全に説得しきった。辰海の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます。では、本件は水月大臣に引き継ぐとして、本来の年始議の議題に戻してください」
辰海の言葉を合図に、卯龍の近くまで下りていた与羽と乱舞がもと居た場所に戻る。
「銀の採掘量が当初の予定より少し増えたんはそういうことじゃけ、許してくれるよなぁ?」
唯一、柊地司は卯龍の隣に居座り続け、そう絡んでいる。
「把握した。だが、銀脈は有限だ。加工貿易やその他の交易で十分な利益を上げられそうな場合は、そちらで補填してほしい」
「それはもちろんだ。なぁ? 暁月地司」
柊地司が銀工町地域の長である暁月地司を見る。
「常葉や国官のおかげで、銀工町は戦の影響を全く受けませんでした。多少の無理は効きますよ」
老年近い小太りの地司は、いつも持ち歩いている分厚い帳面片手にそう請け負ってくれた。
「銀工町の治安と衛生状況の向上はどうなっている?」
「年始議前に提出した通りですよ。柊地司のように直前で書き換えるようなことはしていません。わたくしの口から聞きたいのであれば、まぁ、今まで通りと言っておきましょう」
「いったい何年かけるつもりだ?」
「改善したそばから人口が増えて崩壊していくんですよぉ。民衆の暮らしを現状維持で保ちつつ、経済を大きくしているんだから褒められるべきでは?」
暁月地司の声が媚びるように高くなる。何年もこうやって大臣たちの追及をかわしてきたのだろう。呆れたようにため息をつく官吏がちらほら見えた。
「あっ、でも、銀工町の治安を一気に向上させるいい案がありますよ」
「なんだ?」
真面目な顔に戻ってばさりと帳面を鳴らす暁月地司に、卯龍が首をかしげる。
「うちには水月絡柳という有能な地方官がいるはずなのですが、最近ずっと中州城に取られて困っているんですよね。彼がいれば二、三年で良くなる、かも」
「寝言は寝て言え」
この冷たいツッコミは月日大臣だ。漫才のような会話の応酬に官吏たちは笑みを浮かべている。
「わかりましたわかりました。ちゃんと真面目に話しますってぇ。大臣、地司がた、銀工町の地図はお持ちですか? 昨年は、丑寅五区の川沿いにある貧困地域の都市改革を行いました。満足な住処を持たない人々のために子八区に新造した集合住宅を与え、赤銅家の協力で草履や傘、反物などの作り方を教育したり、銀山と銀工町をつなぐ水路の川底を深くする工事を手伝ってもらうなどして、雇用を拡大しています。銀山から流れてきた土には銀や金、鉄の粒が混ざっていることがあるので、それを回収した物を買い取る仕組みも作りました。貧民は泥から光る砂粒を探すだけでカネが得られ、銀工は貴重な金属資源を回収できる。誰もが幸せになれる素晴らしい制度です!
今回の強制移住で、月見川が増水した際に流される危険がある地域の住民の移動は完了致しました。当初の予定よりも二年ほど遅れてしまったことはお詫び申し上げます。人口の増加速度が想定以上で――、いや言い訳は致しますまい。これでも、水月銀工九位――いえ、水月大臣の方がいいですよね。月日大臣そんな怖い顔で睨まないでくださいよぉ。これでも、水月大臣が見積もった増加幅の最大数に収まっていますから、わたくしの見立てに甘さがあったのでしょう。今年は――」
小言や軽口を叩きながら話し合えるのが、直接顔を合わせられる年始議の良い点なのだろう。時に真面目に、時に漫才のように、議論と冗談が交互にやり取りされていく。
些細な質問や疑問、普段かかわりがない地域との交流。良い一年になりそうだという期待を残して、四日にわたる年始議は終わりを迎えた。




