六章十三節
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最後に向かうのは、九鬼の八百屋。雨花のある路地から大通りに出ればすぐそこだ。大通りの人波を縫って歩きながら、与羽は笑いが抑えられなかった。
何とか真顔を心がけて、八百屋の店主――数子にあいさつをして、店の奥を覗いた。大斗と華奈が座っている。華奈は与羽に気づいて手を振ってくれたが、大斗は一瞬与羽を見て顔を背けた。
「ふ……」
彼のひどく機嫌が悪そうな横顔に、与羽は笑みを抑えきれなかった。与羽が近づいてもかたくなにこちらを見ない。その様子がさらなる笑気を誘う。
「あはははは!」
とうとうこらえきれなくなった。
「なに?」
大斗が目だけで与羽を見る。そのそっけない態度と、低い声で凄まれるのもおもしろい。
「あはは、さっき町娘から聞いたんですよ。度胸を鍛えるために、あえて大斗先輩がいる時に八百屋でお買い物して、先輩と話すのを習慣にしてる子がいるって。先輩を見たらそれを思い出して、なんだかおかしくって……」
確かに大斗は強面で喧嘩っ早いが、町娘の度胸試しに使われるところを考えると本当に滑稽だ。
「夜の墓場とか、他にも度胸試しってあるわけじゃないですか。それと大斗先輩が同列なの、おもしろすぎません?」
口元がはしたなく緩むのを隠そうと、両手で口を覆った。うつむき気味になった与羽の頭に乗せられた重いものは大斗の手のひらだ。レースと髪の毛越しに彼の体温が伝わってくる。
「少しはマシになったの?」
「……どうでしょうか。不安はまだありますよ」
与羽は正直に答えた。
「姫という立場を使えば、できることはそれなりにあると気づきました。しかし、私個人では――」
先日乱舞を説得できたのも、雨花の装飾品を城下町の特産品として提案できるのも、与羽が城主一族出身の姫だからだ。与羽個人の能力ではない。出身という武器がなければ、なにもできない半端者だ。
「それ、分けて考える必要ある?」
大斗の声は不機嫌だが、与羽と口をきいてくれる程度には機嫌がいいらしい。
「身分がなければなにもできないなんて、無能じゃないですか」
「立場を使いこなせるのも能力の一つだと、あたしは思うわよ」
華奈も話に入ってきた。与羽の頭に乗っている大斗の手を、払いのけて、大斗と与羽の間に割り込んでくれる。
「ふふん? 嫉妬かい?」
少し嬉しそうに茶化したのは大斗だ。
「違うに決まってるでしょ」
華奈は煩わしそうに自分の腰に回された大斗の手を払った。
「あたしは今、大事な話をしてるの」
そう言って、与羽に向き直る。
「出身に囚われている人はたくさんいるわ。あたしもそうだし、大斗や文官の人たちもそう。でも、『家』は重荷だけじゃなくて、武器にもなるんじゃないかしら」
「華奈さんも大斗先輩も、家柄や官位に見合うだけの実力があるからそう言えるんだと思います」
大斗は怒るだろうが、与羽は正直に自分の考えを口にした。華奈は自分の顎に手を当てて、首を傾げた。しかし、その思案もほんの数秒だ。
「あたしの実力は、一鬼道場の師範や教育者としての功績が大きいから、家とは切っても切り離せないわ。武器が長刀だから武術大会ではそれなりの上位に入れるけど、刀で戦ったら下級武官にも負けるかもね。それと、大斗は確かに強いけど、九鬼じゃなかったら武官二位にはなってなかったと思うわよ。だって、性格が悪いもの」
「あ……」
「心外だな。与羽も納得したような顔するんじゃないよ」
大斗はあきれた様子で脱力した。
「でも、華奈のいうことはまったくその通りだよ。家柄と能力が見合わないって言うなら、絡柳なんかどうなるの? 能力だけで文官五位まで登りつめる奴がいるなら、家柄を利用して上級文官になるのもいいんじゃない? まぁ、俺はお前のこと無能だとは思わないけど」
「……ありがとう、ございます」
「城主一族に求められるのは、腕っ節の強さでも、頭の良さでもない。そして、お前は城主一族に必要な能力を持ってると思う。だから、それでいいんじゃない?」
「城主一族の強みって、自分で言うのは少し自惚れているような感じですけど、『人望』ってことですよね?」
与羽の周りには人が集まってくる。家柄の良い人、官位の高い人、困った時に助けてくれる人、一生懸命がんばる人――。たまに悪人も寄ってくるが、与羽と出会って改心したり、周りの人が追い払ってくれたりする。
「そう。口で説明するのは難しいけど、乱舞やお前は心にすっと入ってくる」
「大斗先輩が心って言うの、なんか似合わないですね」
与羽はまた笑った。今日はここ半年で一番笑っているかもしれない。
「鬼の心にも響くほど、お前たちはすごいってことだよ」
大斗はムッとしている。




