六章八節
「何が絡柳先輩をそこまで駆り立てたんですかね……?」
「何なんだろうな。官吏としてやりたいことはあったし、今もたくさんある。だが、なぜ生家と縁を切ってまで官吏になりたかったのか、それが今となってはわからない」
「だた……」と絡柳が遠い目をする。
「俺は官吏になりたかった。なんでか知らないが、その気持ちは幼いころから強くあったんだ」
「与羽がいれば、『それじゃ、それはきっと龍神様の思し召しですね』とでも言いそうですね」
淡い笑みを浮かべて言う辰海に、絡柳は怪訝な顔をした。「何を非現実的なことを」とでも思っているのかもしれない。
「僕は意外と信心深い方ですよ」
そんな絡柳に辰海はさらりと補足を入れておく。
「そうか……」
そう頷いて、絡柳は遠い目をした。
「俺が準吏になって銀工町に行くまでの間、少しだけ中州城で働いたんだ。あのとき乱舞に会っていなかったら、さすがの俺でも官吏になるのを諦めていたかもな……。銀工町に着いて、向こうの官吏にあいさつをした瞬間、俺が提出した銀工町の都市計画書を目の前で破り捨てられたからな。俺は使用人家出身で生家と縁も切っているが、若干だが仕えていた家の加護がある。向こうの官吏はそれが気に入らなかったんだ。有名文官家『月日』が背後についている坊ちゃんのお守りなんかやるやつはここにはいないから、今すぐ荷物をまとめて帰れって調子でな。中州城でも地方でも出自で疎まれて――。全く、使用人家出身で文官なんて目指すもんじゃないぞ」
絡柳は苦い笑みを浮かべている。当時は相当苦労したに違いない。
「今でこそ大半の人間を黙り込ませるだけの地位を手に入れて、少しはやりやすくなったが……。全く、悪口を言う暇があったら、少しでも仕事を片付けてほしいもんだ」
「僕は、絡柳先輩を意外と尊敬していますよ」
「『意外と』ってな……」
辰海の言葉に絡柳は笑みを深めた。苦いものから少し愉快そうな笑みになる。
「正直な話、絡柳先輩を良く知るまでは、余裕で蹴落とせる相手だと思っていました。僕には誰よりも強い文官筆頭『古狐』の加護があるので」
「……お前、案外攻撃的な言い回しをするな」
ややあきれた調子で言いつつも、絡柳の楽しそうな笑みは消えていない。
「そうですか? ……たぶん、近くに与羽がいない確信があるからですね」
与羽相手にはできるだけやさしい言葉を選ぶが、それ以外の相手にさほど配慮する必要はない。それが辰海の持論だ。
「でも、絡柳先輩は能力もあるのでしょうが、それ以上に努力家で中州を良くすることに情熱的で、たぶん絡柳先輩には、文官家出身の僕には見えない中州の悪いところがいっぱい見えているんだと思うんです。そして、それを改善するために、力を尽くそうとしている。本当にすごいと思います」
絡柳は感情むらが少なく、常に淡々と正確に仕事をこなしつつも、心の内にはさらに中州を良くしたいという強い思いが燃えている。彼の底知れない情熱と果てしない努力は、とても尊敬している。
「……そう言ってもらえると、うれしいな」
少し照れたように笑う絡柳は新鮮だ。
「でも、僕も負けません。与羽が文官になると言うことは、与羽に僕の働くさまを見られると言うことです。与羽に無様な姿は見せられませんから」
「それは、恐ろしい。いや、頼もしいと言うべきか」
今まで与羽を第一に行動しつつも、辰海はそのあたりの文官と比べれば優秀な業績を上げてきた。辰海の能力の全てが官吏としての仕事に注がれた時、どれほどの力が発揮されるのか、見ものだ。
「武官準吏も持っていますが、本気で文官をやるなら上級武官に上げておかないといけないので、武術にも励まないといけませんね」
戦時は、指揮系統が武官中心に変わる。武官位を持っていない上級文官には、遠くの都市への避難命令が出されるので、戦の時にも城下町に残り、国のために尽くせるよう上級文官の中には武官位を持つ者も少なくない。
「大斗が喜びそうだ」
「ここはいいですね。強い武官がたくさん詰めているので、稽古相手には困りません。ですが、欲を言えば、絡柳先輩にも相手をしていただきたかったり――」
絡柳の武官位は十九位。上級武官の中でもかなり上位の実力者だ。
「構わないぞ。ちょうど、暇をしているしな」




