六章七節
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中州最南端の砦は意外にもゆったりしていた。
毎日、華金方面に行っている密偵たちや、国境付近を守る森の民からの報告がいくつもあがってくるが、やることはそれをまとめて城に送ることくらいだ。戦後の華金国との停戦手続きは、卯龍がすでに全て行ってくれていた。華金の情報を集約する仕事自体は非常に責任が重く、万が一華金兵が再び中州へ攻めてくることも考えられる。戦後の不安定な国境を守る仕事は、絡柳のような官位の高い人間がやるべきことなのだが、実務が少なく、時間は持て余し気味だった。
「休暇をいただいたと考えるべきか……」
狭い執務室で脇息にもたれかかりながら絡柳がぼやく。
「たまにはこういうのもいいんじゃないでしょうか」
それにこたえる辰海も、壁に背を預け、足を前方に投げ出した姿勢で歴史書を読んでいる。師走の土壁は冷たいので、背と壁の間には分厚い綿入れがはさんであった。
「まぁ、人が少ないと言うのは、楽だな」
現在この砦にいる上級文官は絡柳と辰海のみ。あとは絡柳が中州城下町から連れてきた中級文官が三人と、地方文官が四人、文官見ならいの準吏が六人。上級武官が一人に中級武官が五人、地方武官が四十人ほど。地方官は中州城に務める官吏と同じ試験を合格したのち、準吏を経て地方官としての官位を与えられる。官位の付け方は、国官同様、一位二位……と順位をもつ上級官吏とそれ以外の官吏に分かれる。
この砦があるあたりは、「常葉」と呼ばれる地域で、常葉官吏は南の砦から中州城下町の南、そして華金山脈の南半分を守っている。主な仕事は国境警備と森の民集落の管理だ。その性質上、常葉官吏のほとんどは武官で、その質は城下町の武官に次ぐ。ここよりも山地に近い場所にあるこの地域の首府には、たくさんの武官が控えているはずだ。
「常葉官吏は森の民出身者が多いから、俺の出自でねちねち文句を言ってくるやつがいなくて助かる」
絡柳は庶民出身。城に勤めるの官吏――特に文官は、古くからある官吏の家系から出た者や、大きな商家、地方の豪族など「有名家」と言われる家庭出身者が非常に多い。そのどれにも含まれない絡柳は、中州城では異質な存在だ。保守層の人々は、今まで五家ある主要文官家と城主一族出身者、それらにかなり近い血縁を持つ者しか務めてこなかった大臣位に絡柳がいることが非常に気に入らないらしい。
「絡柳先輩は、地方の方がやりやすいんでしょうか?」
気が緩んでいるのか、愚痴っぽい絡柳に辰海は問いかけた。しかし絡柳は、目を閉じて、いかにも残念そうな顔で首を横に振って見せた。
「地域によりけりなんだろうが、俺が数年働いていた銀工町はひどかったな。中州官吏の嫌みの方が、品があって数倍マシだ」
銀工町は中州最大の交易都市。都市の規模は城下町と同じくらいだが、破竹の勢いで成長を続けており、そろそろ城下町を抜き去って中州最大の都市になるだろうと目されている。
「そうなんですか?」
辰海の耳にも、絡柳を悪く言う根も葉もない話が時々入ってくる。それを聞くだけでも気分が悪くなるのに、それよりも悪いと言うのか。
「俺が官吏登用試験を受けた時、銀工町が数年のうちに中州最大の都市になるだろうことを見越して、その際の都市拡大計画を作成して提出したんだ」
「僕も読んだことあります」
物を運搬するための街道や河川の位置、現在の都市の広がり方、地形、土地の歴史背景など様々な要因を考慮したうえで練られた、すばらしい計画だった。絡柳はその中で、新しく住みついた者が好き勝手に都市を広げれば、衛生面や治安面での悪影響が生じることを警告し、もしそうなってしまった場合の改善案まで用意していた。
しかし、人口が増え続ける銀工町で、その計画通りに都市制作が行われているかと言えば、全くそうなっておらず、繁栄を極めた大豪邸がある傍ら、都市のところどころには貧困層の住まう劣悪な環境の地域ができてしまっている。貧富の差が激しく、強いものがさらに富み、弱いものがさらに虐げられている。
「今見返せば穴も多いが、十三歳のガキが書いたにしては、なかなかだったろう?」
絡柳は得意げだ。
「はい。というか、あれ? 絡柳先輩が官吏登用試験を受けたのって、十三歳の時なんですか?」
官吏登用試験は満十二歳から受けられる。普通官吏を目指すものは、少しでも早くと十二歳になったその年に試験を受けるものだが……。
「そうだぞ。俺の生家は生粋の使用人家だからな。俺が使用人としての格上げではなく、本当に官吏になるつもりで試験を受けるとわかって、かなりもめたせいで遅れてしまった。最終的には、旦那様――月日大臣が俺の味方に付いてくれたのと、俺が家を出ることで試験を受けることができたけどな。だから、俺の登用試験の申込書には俺以外の『水月』の名前が一切ない。五人の身元保証人を集めるのもかなり苦労したんだぞ」
「それを聞くと、絡柳先輩は庶民出身なんだなって思いますね」
辰海は中州の筆頭文官家「古狐」の出身だ。幼いころから文官になることが運命づけられ、そのための教育を受けてきた。文官になることが当たり前で、その過程で苦労したことはほとんどない。




