六章四節
与羽は言われたとおりに、堂々と屋敷までの通路を歩いた。数歩後ろには与羽の筆記具を抱えた太一がついてきてくれる。
彼女の姿を見た人は、誰もが道を空けてくれた。「そんなにめかしこんでどうしたんだ?」と聞いてくる者もいない。書院で静かに筆を動かしていた乱舞でさえ、与羽を見て、何か大事な話があるのかと姿勢をただした。普段は「ちょっといい?」と直接兄に会いに行くところを、太一を使って様子伺いさせた点も、いつもと違う何かを感じたのだろう。
「どうしたの? 与羽」
乱舞が穏やかに尋ねる。
「正月行事の企画書についてなんだけど……」
与羽は率直に切り出した。
「あー……」
それだけで乱舞は何を言われるか察したらしい。
「他の大臣たちにも再三言ったけど、でも、僕は譲る気はないよ。これ以上今の中州に経済的負担はかけられない」
「でも、全く予算が取れないってわけじゃないでしょ? お正月くらいお祭り騒ぎしたいし、『見栄』ってのも大事だと思う」
「今の与羽のその格好も『見栄』?」
「え……?」
いきなり質問を返されて、与羽は戸惑った。
「いや、特に意味がないならそれでいいんだ。それに今の中州には、本当に予算がないんだよ」
「嘘」
まだまだ政治に疎い与羽だって知っている。中州は確かに小さい国だが、戦一つで貯蓄が枯渇するような貧しい国ではない。
「確かに、戦、その後の復興、旅、官吏登用試験。色々あったけど、戦はそう言うときのための積みたてと九鬼を筆頭とする武器職人連合との話し合いで長期間の『ツケ』を認めたおかげで、さほど財政を圧迫していないはず。他の出費も夏に予定されとった官吏登用試験や武術大会、秋の収穫祭、色々な行事を中止にしてその予算が回されたし、寄付もある。来年は天候が悪くなければ、戦場になった地域以外からの年貢は少し重くするんじゃろ? なんでそんなに財政が厳しいって言うんか、私にはわからん」
与羽は最近見た中州の収支報告書を思い出しながら言った。
「良く調べとるね」
乱舞はほほえんだ。
「でも、無理なもんは無理なんじゃよ。中州城主が言うんだから、官吏たちも素直にそれに従ってくれたら嬉しい。君だって文官になるんでしょ? それなら、僕の言うことを聞いてくれなくちゃ」
「それはそうじゃけど……」
与羽は口ごもった。「城主の決定は絶対だから、全員それに従え」と言われてしまえば、すべての官吏はうなずくしかない。たとえそれが理不尽な内容でも。
「でも、みんなは不審がっとる」
一瞬の迷いののち、与羽は反駁した。
「中州城主はやさしくて、官吏たちの意見もよく聞いてくれる人だった。それなのに、頑なに自分の意見だけを押し通そうとするのは、変」
「僕はこの国の主だよ? どうしても譲れないことだから、僕に従ってほしい」
「なんで? 何か理由があるなら、私か、古狐大臣か、水月大臣に言うべきだと思う」
「僕が信じられない?」
乱舞の声は冷たい。
「信じたい。信じたいけど、裏が読めないから、不安がある」
与羽の答えに、乱舞は大きなため息をついた。
「卯龍さんがちゃんと理由はあるから信じてくれ、って言ったらみんな信じるのに、僕が同じことを言っても信じてくれないんだ」
その声には寂しさが見えた。
「それは……」
「ねぇ、信じてくれない? 絶対に大丈夫だから」
弱気になった与羽に、乱舞が言葉を重ねる。
「…………。……やっぱり。ごめん、乱兄。信じられん」
その言葉は、与羽にとってひどく勇気がいるものだった。以前誰かから言われた、与羽と乱舞で意見が分かれ、国が分裂する構図が脳裏をよぎる。
「理由を教えてほしい。私は、乱兄と争いたくない。信じたい。でも、教えられない理由があるって言うのは……、やっぱり、気になるし――」
乱舞の怒りを買うかもしれないと、与羽の声は次第に小さくなっていった。




