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五章九節

「なんでお前たちは、そうやって俺たちの善意を無下にする?」


 卯龍が、言葉を荒げた。


「なんで、幸せになって欲しいと言う俺たちの願いを無視する? せっかく、幸せになれる世界を用意したのに、なんで、あえて苦しい道を選ぶ? 俺たちが、苦労して、お前たちが穏やかに暮らせる世界を作ったのに、なんでお前たちまで苦しむ?」


 卯龍の問いは、きっと与羽の父親――翔舞に向けられたものなのだろう。

 父の死因は知っている。戦中に、川に流された「見ず知らずの敵国の兵」を助けるために、流れの激しい川に身を投げたのだ。その兵は助かったが、翔舞は亡くなってしまった。敵を助けて死ぬなんてばからしい。そう思う人は少なくないが、それをやってしまうのが、翔舞と言う男だったのだそうだ。


「私は、そこがどんなに居心地のいい空間でも、籠に入れられたくはないんです」


 与羽は父と会ったことがないが、「与羽」と言う名前は父がくれたものだそうだ。「羽を与えられた姫」で「与羽」。与羽は、父親から自由に飛び回る翼をもらった。


「お前は、外の飛び方を知らない」


「卯龍さんが、私を大事に育ててくれたのは知っていますし、心から感謝しています。卯龍さんが望むように、戦や人の悪意に触れず、誰よりも私を想ってくれる優しい人と結ばれて、親しい友と遊んで、野山を駆け巡って――。そう言う生活も、本当に素敵だと思います」


 卯龍が用意してくれた籠は、幸せの詰まった非常にすばらしいものだ。非の打ち所がない。この籠の中で、不安も悩みも恐怖もなく、穏やかに生きたいという願望もある。


「でも、私は汗をかいて、悩んで、苦しんで。それでもまっすぐ前を向いて進む人々に気付いてしまいました。それを知っているのに、自分だけ悩みも苦労もなく生きるのは間違っている。と、思います」


「苦しんで、つらい思いをしても、官吏になるって言うのか?」


「……はい」


「今のままだと、与羽ちゃんは下級文官どまりだぞ。しかも、数年のうちに心を壊してしまう。俺はそう言う官吏を何人も見てきた」


「それでも……」


 何も知らないふりをして守られるくらいなら、壊れるまで自分の足で歩んだ方がましだと思えてしまう。


「申し訳ありません。私は、私なんです。自分の生き方は、自分で決めたい。たとえ苦しくても、明日恐ろしい鷹に羽をもがれるのだとしても、私は、自分で自分の選んだ空を飛びたいんです」


「お前たちは、本当に、わがままだ」


 そう言う卯龍の目には憎しみすら見えた。


「だが、やはり……、それが城主一族の気質なのか……」


 卯龍はそうつぶやいた。卯龍の手が、ひと房だけ染めずに残していた与羽の髪に振れる。きっと今、同じ色の髪を持つ友のことを考えているのだろう。


 しばらくそうしたのち、卯龍は「はぁ」と小さく息をついた。その目にもう憎しみはない。ただただ、深い悲しみだけが残っていた。


「惑わせるようなことを言って悪かった。俺も、君が立派な官吏になることを心から願っている」


 卯龍はまっすぐ与羽を見て言った。


「途中言いかけたことだが、朝議の議事録の取り方ももう少し改善できる。辰海の書斎に毎回の議事録が残っているから、それを見てもいいぞ。辰海の書斎にあるものは、全部使って良いそうだ。辰海から許可はとっている。俺が書き出して渡した書物もほとんど古狐の書庫か辰海の書斎にあるはずだ。古狐の屋敷にはいつでも入れるように門番に言づけておく」


 それだけ助言をして、卯龍は踵を返した。そのままいつもと変わらぬ堂々としたしぐさで歩み去っていく。

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