五章八節
「……大丈夫か?」
卯龍が与羽を見て、そう眉を垂らした。
「私は――」
卯龍を見ると、辰海を思い出す。辰海なら、この混乱しっぱなしの心を落ち着けてくれるだろうか。辰海に頼らないと決めたのに、頼りたいと強く思う自分がいる。何をしても許してくれる。やさしく寄り添ってくれる辰海が恋しい。
自分が何をしているのか。何をしたいのか。わからなくなりそうだ。
なぜ自分はこんなに迷いながら、官吏を目指しているのだろう。その先に、なにがあるのだろう。
「与羽ちゃん」
泣きそうな顔の与羽の名を、卯龍はやさしく呼んだ。
「官吏になるの、やめないか? うちにおいで。なにも辰海と結婚してうちに来てくれ、って言っているわけじゃない。子どもの時みたいに、うちの養子として古狐で静かに暮らさないか? おいしいものを食べて、きれいな着物を着て、お友達をたくさん呼んで、たわいもない話をして遊んで、穏やかに幸せに生きないか? そんなに苦しんで、迷いながら官吏を目指す必要はない。与羽ちゃんがいなくても、国は回る。与羽ちゃんは何も苦しまなくていいんだ」
それは、思いやりのこもったやさしい提案だ。辰海や乱舞や大斗、多くの人が口に出そうとして、飲み込んだ言葉。
「『私がいなくても、国は回る』……」
「そう。俺は今までたくさんの官吏を育ててきた。辰海は生まれた瞬間から、大臣にまで上り詰められるように教育してきた。絡柳や天雨や、他の若手官吏もそうだ。乱舞を支えられるように、守れるように、長い月日をかけて、たくさんのことを教えて育ててきた。でも、与羽ちゃんには正直そういう教育はしてない。城主一族としての最低限の教養や道徳は教えたが、それ以外は与羽ちゃんの好きなようにやってもらった。官吏になるには、あまり向いていないかもしれない。だから、そんなに悩んで、つらい思いをしてまで官吏になる必要はない」
「『向いていない』……」
卯龍の言葉はやさしいが、ところどころ胸に鋭く刺さる。
「俺も辰海も、きっと乱舞や翔舞も、君に苦しんでほしくない。君には、誰よりも幸せになって欲しい。迷う必要も、悲しむ必要も、苦しむ必要もない。笑顔でいてくれればそれでいい。俺たちが、絶対に君を守り切ってみせる」
なんなのだろう。卯龍の言葉は甘くてやさしい。しかし、それにうなずいてはいけないと言うことは、強く感じていた。と言うよりも、卯龍の言葉は――。
「それは、『父様を守り切れなかった代わりに』私を守りたい、と言うことですか?」
与羽の言葉に、卯龍がわずかに目を見開いた。今そこに与羽がいることに気付いたと言うように。
「私だって人間です。迷いもするし、悩みもします。笑顔でいられない時もあります」
卯龍の言葉はやさしいが、ひどく自分勝手に感じられた。




