五章七節
「試験は順調か?」
「ちょっと見せてみろ」と卯龍は与羽の答えを待たずに、彼女が向かう机の書き物を全て手に取った。
ぱらぱらと速読してすぐにつき返す。その眉間には浅くしわが寄っていた。
「……これは、ちょっとまずい。このままでもギリギリ合格できるだろうが、本当にギリギリだ」
砦で仕事の引継ぎをするときに会った辰海は焦っているようだったし、竜月も不安そうだった。その理由を理解して、卯龍は自分の懐から紙と筆を出すと、さらさらと書きはじめた。
「与羽ちゃんがこの内容でやりたいのなら、俺が書き留めた書物と資料を一通り見てくれ。たぶん、役に立つことが書いてある。あと、中州城下町の特産品だが、これは与羽ちゃんらしい内容ですごくいいと思う。が、特産品と言うのは食べ物だけじゃない。大通りの薬師本家近くの小道を入ったとこに、『雨花』と言う雑貨屋があるのを知っているか? 城下町の女の子や若い女性に人気なかわいらしい庶民向けの装飾品や小物を扱うお店なんだが、そこに行けば何か手掛かりがあるかもな。あと――」
「卯龍さん、私は人の助言を求めず、自分の力で――」
「与羽ちゃん、官吏が一人で仕事をすることはない。絶対に誰かと組んで一緒にやるんだ。わからないことを補いあいながら。辰海や絡柳は良く俺に師事しに来るし、俺も月日大臣や紫陽大臣はじめ、他の大臣や官吏、武官や商家の世話になる。人に助けを求めるのも、大事な官吏の仕事だ。一人で悩むな。お前には、たくさんの仲間がいるだろう?」
その言葉に、辰海や絡柳、大斗、共に学問所で学んだ仲間や城でよくあいさつを交わす官吏の顔がたくさん浮かぶ。
しかし、彼らに気安く頼ってもいいのだろうか。与羽は今まで、たくさんの人に愛され、甘やかさせて育ってきた自覚がある。だからこそ、今まで自分をかわいがってくれた人々に官吏になっても頼り続けることには気が引けた。それでは、官吏になる前の自分と何も変わらないのではないか、と。
「官吏になったら、自分が困っても、誰か他の人から助けの手を差し伸べてくれることはまれだ。自分から助けを求めないとすぐに潰れてしまうぞ」
与羽の内心を察してのことなのか、卯龍はさらに言葉を紡ぐ。
「乱舞や辰海は、厳しいことを言ったか?」
「……はい」
「そうか。それなら俺は、与羽ちゃんには甘々に接することにする」
「それは――」
「甘くさせろ」
荒く厳しい口調で言われて、与羽はびくりと肩を跳ね上げた。
「声を荒げて申し訳ない」
しかし、すぐに卯龍の言葉はやさしいものに戻った。
「これは、与羽ちゃんが生まれる前から決めていたことなんだ。俺は翔舞ほど情深くはなれないし、父親のように思ってくれとも言わない。それでも、少しでも、あいつのために尽くしたい。乱舞や与羽を少しでも幸せに、安全に、穏やかに暮らさせてあげたい」
想いの形は違うかもしれないが、辰海が与羽を想うように、卯龍も亡くしてしまった親友を強く想い続けているのだ。いつも隙無く、完璧に振舞っている最上位の大臣の弱さを見た気がして、与羽は反論の言葉を飲み込んだ。
「父様は――」
「あいつは、俺にとって、強烈な光を放つ太陽のような奴だったさ」
与羽のつぶやくような言葉に、卯龍は遠い目をして答える。しかし、それだけ言って黙ってしまった。悲しみと後悔の見えるその横顔を、与羽は静かに見つめた。
――辰海にこんな顔をさせたくない……。
ふとなぜかそんな思考が脳裏をよぎった。歳や髪の色、背丈は違えど、吊り上がった目や通った鼻筋、薄い唇など、この親子が良く似た面差しをしているからかもしれない。




