五章六節
そんな調子で、一日一日と年の瀬が近づいてくる。
与羽は必要な本を取りに行くことすら竜月の力を借りず、自分で足を運ぶ。何とか墨をすったり、筆を洗ったり、紙を用意したりするくらいはやらせてもらったが、今の与羽はとにかく自分でやらなくてはならないと言う気持ちが強いようだ。
それでも、与羽は自分ひとりの力で、中州城下町の特産品を考えだし、「周辺国とのこれからの貿易の在り方について」と言う表題の提案書を書き、苦手と言いつつも三回に一回くらいの頻度で朝議の議事録を取りに行っている。
竜月の目から見ると、無理をしているのがありありとわかるが、官吏への道をちゃんと上っている。喜ぶべきなのか、心配するべきなのかわからない。朝議で顔を合わせているはずの辰海が手や口を出してこないと言うことはまだ大丈夫なのだろうか、と考えているうちに辰海は絡柳とともに南の砦に行ってしまった。
いよいよ今の与羽を支えられるのが竜月ひとりになってしまった不安と焦燥感。使用人としてよく鍛えられていたおかげで、与羽の世話だけは滞りなくこなせているのが幸いだ。
そんな竜月に助け舟が出されたのが、年の瀬も迫ったころ――。
「今、与羽ちゃんと話せるか?」
日が暮れ、女官の控えの間で明日の与羽の着物の準備をしていた竜月に低い声がかけられた。
「だ、旦那様!」
旅装束に身を包んだ白髪の男性に竜月は慌てて最敬礼を示す。竜月の声が甲高く大きかったからか、彼は自分の唇に人差し指を当てて、静かにするよう促した。
「お帰りになられていたのですね」
「昼過ぎごろにな」
慌てて声を小さくして言う竜月に彼はうなずいた。
四十代と言う年に見合わない真っ白な髪をもつこの男性は、古狐卯龍。この国最上位の大臣だ。
前線の砦から、新年行事のために絡柳たちと交代で城下町に帰ってくると言う話は聞いていたが、突然の来訪に竜月は驚いていた。
「与羽ちゃんの様子はどうだ?」
隣室の与羽に聞こえないようにするためか、卯龍は抑えた声でそう尋ねる。
「……あまり、よろしくはありません。無理をなさっているようです」
竜月は素直に答えた。
「そうか……」
竜月の不安そうな困り顔に、卯龍も同じような表情で返した。
「今、与羽ちゃんと話せるか?」
そして、先ほどと同じ問いをした。
「もちろんです」
与羽を父替わりとして育ててきた彼ならば、この状況を打開できるかもしれない。そんな希望が見えて、竜月は強くうなずいた。
「ご主人様」と与羽の居室へ呼びかけて、卯龍の来訪を告げる。
「ありがとう。あと、悪いが、一応人払いを頼む」
「はい」
竜月はうなづいて、近くを人が通りかからないよう見張るために廊下に出た。
「聞いたぞ、与羽ちゃん。文官になるんだってな」
それと入れ替わりに、卯龍が与羽のいる部屋の敷居をまたいだ。
「卯龍さん。お帰りなさい」
与羽はそれをにっこりほほ笑んで歓迎した。しかし、その裏には疲労がありありと見えた。竜月が全力を尽くしたであろう化粧でも、与羽の目の下に浮かぶくまが隠しきれていない。




