五章三節
「竜月ちゃん、官吏になってくれるん?」
竜月は文官準吏だが、それは自分の教養の高さを証明するための道具の一つでしかなかったはずだ。
「その方が、ご主人さまのお役に立てそうですから。でも、あたしの一番のお仕事は、ご主人さまのお世話なので、文官になっても下級文官どまりかもしれないですぅ……」
竜月は、与羽の私的な日常生活だけでなく、官吏としての仕事まで支えてくれるつもりなのか。
「……ありがとう」
竜月の行動は過保護な気もするが、与羽を思っての行動は素直にうれしい。と言っても、自分の成長のために、竜月に頼ることはほとんどないだろうが……。
「とりあえず、今日は城下町の名産品制作の下調べをしてくるわ。夕方には帰ってくるから、お留守番よろしくね」
与羽は師走の寒さを防ぐために、厚い毛織物で頭から背を覆った。もちろんこれには、染めてしまった髪を目立たなくする目的もある。
「はい、いってらっしゃいませっ!」と言う竜月の声を背に自室を出た与羽。今日は今ある中州城下町の名産品やお土産品を見て回わるつもりだ。
長時間城下町をうろつくことになるので、無目的にあちらこちらを連れまわされるのを嫌う雷乱は置いていこう。そう思ったが、いつもなら与羽が外出しようとすると護衛としてやってくる雷乱が来ない。最近、城下町に下りることがあまりなかったので、今日も外出はしないだろうと思い昼寝でもしているのだろうか。
「ん? そう言えば、最近雷乱見たっけ?」
しかし、与羽はふと思い出した。与羽があまり人の立ち入らない城主一族の屋敷にこもって本ばかり読んでいたせいもあるだろうが、最近雷乱をあまり見ていない気がする。
与羽の足が自然と中州城の男性使用人が住まう離れへ向く。そこに雷乱が寝起きしている部屋もあるのだ。しかし、雷乱の部屋の前まで来て、名前を呼び掛けても返事がない。
「雷乱なら出ていますよ」
大きな声で何度も雷乱の名前を呼ぶ与羽に、通りかかった男性使用人が言う。
「どこに?」
「そこまではわかりません。けど、『武官になる』とか言っていましたから、どこかで勉強しているのかもしれませんね」
「武官!?」
与羽は思わず大声をあげてしまった。そんな話、全く聞いていない。
「あれ? ご存知ありませんでしたか? もしかして、わたし、言ってはいけないことを言ってしまいましたかね?」と男性は不安そうにしている。
「いえ、良いことが聞けました。ありがとうございます」
竜月なら何か知っているだろうか? そう思って自室へ戻りかけた与羽だったが、思い直して城下町の方へと向かう。今は、官吏になること、それが大事だ。
「でも、確かに、最近ほとんど雷乱に会ってなかったな……」
もはや彼の存在を忘れていたと言っても過言ではなかった。ここ数年ずっと自分を守って、数ヶ月前の長旅にも同行してくれていたにもかからわずだ。
自分のことに必死で、周りが全く見えていなかった。竜月は自分の世話をしてくれるのでよく会うが、辰海や絡柳や大斗や――、他の人々が今何をしているのかも全然把握できていない。だからと言って、それを確認する時間も惜しい。
思いつめ過ぎなのだろうか。焦りすぎなのだろうか。
でも、それくらいしないと満足いく結果での試験通過は難しい。
考えれば考えるほどはやる思考に与羽はいつしか小走りになっていた。




