四章一節
与羽は、官吏登用試験の申込用紙を大事に巻いて、城下町を歩く。
中州最大の商家「赤銅家」の署名は予想外にたやすく得られた。有名無名を問わず、代々官吏を輩出している一族のほとんどが赤銅家の加護を求めるので、慣れているのだと言う。
中州城に勤める上級官吏の半数以上の保証人欄に赤銅の名前があると言うから、驚きだ。
そして、与羽が次に向かうのは、武官筆頭家「九鬼」。
少し心が重い。先の嵐雨の乱でのお礼巡り。あの時、与羽は自分を心配してくれた大斗に冷淡な態度を取ってしまった。城下に戻ってから顔を合わせることは少なかったが、その時は以前と同じように振舞って、向こうもそうしてくれている。しかし、心には申し訳なさが残り続けていた。
九鬼家は、代々営んできた鍛冶屋とその隣、頭首の妻が営む八百屋の二件構えだ。与羽は八百屋の方に大斗を見つけて、そちらに歩み寄った。小さくつばを飲み込みながら。
「大斗先輩……」
「いらっしゃい。親父から話は聞いてるよ」
大斗はいつも通りの余裕に満ちた口調だ。
彼と少し離れた後ろで、若い女性と中年の女性が柿をむいている。若い女性は、この国の上級武官――一鬼華奈。大斗がことあるごとに彼女を口説いているのは、良く見知っていたが、嵐雨の乱以降かなり二人の距離が縮まっているようだ。中年の女性の方は、九鬼家当主の妻で大斗の母親、数子。華奈がやや危なっかしい手つきで柿をむくのを、はらはらしながら見ている。
「私……、その前に――」
他の人がいる前で謝るのは、非常に緊張する。大斗は、少し首をかしげて与羽を見ている。
「あの……、旅の時、色々と心配して、動いてくれて、ありがとうございました」
これを言うだけで口がカラカラだ。それでも、このあとちゃんと謝らなくては。
「それと、勝手なことをしたり、失礼なことを言ったり、本当にすみませんでした」
深く、頭を下げる。
「過ぎたことだし、別にいいけど――」
それに応える大斗の声は、いらだちがこもって不機嫌だ。
「俺、そう言う弱々しい態度嫌いなんだよね。知ってるでしょ?」
「……はい。すみません」
委縮する与羽。
頭の上で、大斗の舌打ちが聞こえた。大斗はそれ以上与羽に何の声もかけず、踵を返して店の奥へと向かう。おずおずを顔をあげた与羽の視線の先で、大斗が父親を呼ぶのが見えた。
すぐに店の奥にある屋敷に呼ばれて、与羽は九鬼親子と対面して座った。
「与羽ちゃん、よく来たね」と、九鬼家頭首北斗は歓迎してくれているが、その隣の大斗は無表情だ。それが、大斗が興味のない相手に見せる表情そのままで、与羽は顔をあげられずにいた。
「楽にしていいんだよ。九鬼は与羽ちゃんの味方だからね」
そんな与羽を見て、北斗がやさしく言ってくれる。乱舞や舞行がしたような、与羽を試す問答や心構えを語る気もないようだ。
「で、署名の件なんだけど、与羽ちゃんが来る前に大斗と話し合った。俺も五十近くなって、少しずつ体に無理がきはじめたから、そろそろ大斗に武官一位を譲ってもいいかと思いはじめたんだよな。すぐにではないけど、数年以内には。だから、これから衰えていく俺の署名よりも、先のある大斗の署名の方が良いんじゃないかと話し合って決めたんだ」
「いや――」
しかし、そこで大斗が父親の話に割り込んできた。
「やっぱり親父が署名してよ」
そう言う大斗の顔は相変わらず無表情で、興味なさげに与羽をじっと見つめている。




