三章一節
中州城の奥――城主一族の屋敷の一室で与羽はこの日も机に向かっていた。
しかし、たくさんの書物は机のわきにすべてよけられ、目の前にあるのは紙一枚のみ。氏名、居住地、年齢、生年月日などなど、様々な項目が書かれたそれは官吏登用試験を受けるための応募用紙だ。すでに与羽が書かなくてはならない項目は書きおえ、墨が乾くのを待っている。
残りの空欄は、名字を持つ氏族ならば家長が、そうでない者ならば住む地域の長や官吏が登用試験参加を認める署名と花押を記入する欄が一つに応募者の身元保証人の記入欄が五つ。あとは試験を執り行う側の記入欄がいくつかだ。
中州城主一族は与羽と兄、祖父の三人しかいない。祖父は隠居の身で、兄である乱舞が城主の地位とともに家督も継いでいるので、参加承認は彼に書いてもらえばいい。
身元保証人は、参加者がれっきとした中州に居を構えるものか、官吏を志すのに不適切な個所がないかなどを他者が保証するものだ。
ここの五人を誰に署名してもらうか悩んでいた。誤りがあれば保証人も処罰の対象となるため、どこの馬の骨とも知らない相手の用紙に署名することはない。農村出身者などはこの署名集めに苦労することもあるらしい。
しかし、与羽の場合、出生も人となりも良く知られているので、頼めば誰でも安心して署名してくれるだろう。
「最善は卯龍さん」
与羽は口に出して整理する。中州最上位の大臣の署名がもらえれば、言うことはないだろう。しかし、彼は今南部の砦にいる。さすがにそこまで出向くわけにはいかない。
「古狐の次席は辰海か……」
家長がいないとなれば、その次は次期家長の長男――辰海だろう。
「乗り気はせんけど……」
辰海とは旅が終わって以降ろくに会うことさえしていない。遠目に姿を見ることはあっても、言葉を交わす距離まで近づくことはまれで、そうなっても短くあいさつや必要最低限の情報交換をするのみだった。
「けど、せっかくなら『古狐』の加護は欲しいよな……」
ここで署名を得た保証人は、与羽が官吏になった後も自分を支えてくれうる大事なつながりになるだろう。
「だから、文官筆頭古狐。あとは武官筆頭九鬼、か。そこの二家は決まり。先々代中州城主――じいちゃんにも書いてもらいたいよな。で、残り二つ……」
古狐、九鬼、舞行で中州の官吏はおさえた。あとは、もっと与羽らしいもの。城下町に密着した存在が良い。
「武農工商……。武は十分で、工はある程度『九鬼』でおさえられる。農家は……。あぁ、私の母様農民出身じゃん。母方の祖父……。死んだって話は聞かんけ、生きとんじゃろうけど……。あんまり会ったことないよなぁ。けど……、行ってみる、か? うん」
与羽の前で彼女の両親の話をするものはほとんどいない。
父は与羽が生まれる前の戦で行方不明となり、その十数年後死亡が確認された。夫が消えたために心身を病んだ母も与羽を生んで間もなく亡くなったという。
与羽が直接禁止したことはないが、彼女の前で両親の話は禁句と言うのが暗黙の了解で、特に城下町のはずれに暮らす母方の家族が話に上ることは全くと言っていいほどない。そのため、母方の親族と姫として見かけ、言葉を交わすことはあっても、孫として姪として会いに行ったことはない。しかし、これはちょうどいい機会なのかもしれない。与羽は迷いながらも、自分自身に深くうなずいてみせた。
「で、最後は商人。商家なら最大の赤銅」
これで保証人五家が決定した。




