二章七節
「橙条大臣だ。橙条大臣、彼のことはご存知ですね?」
見覚えのある家紋に比呼が記憶をたどりはじめる前に、絡柳がいち早くこの場にいる面々の紹介を行った。
「知ってる知ってる。女ならよかったのにと何百回も思った」
紹介された青年は、軽い口調で言う。
「中州の名ばかり大臣こと文官六位――橙条利桜だ。よろしく」
「『名ばかり大臣』?」
彼の浅い会釈に深い礼で返しつつも、比呼は首を傾げた。
「橙条はしょっちゅう律に反することをやったり、中州の国庫から勝手に大金を持ち出したりするから、それが問題視されたとき責任を負う人をあらかじめ決めてるんだ。ただ、優秀な人を失いたくはないから、あえて一番の無能に家督と大臣を押し付けていて、今の時代はその役目が俺にきてるってわけ」
「いつできたのかわからないくらい大昔からある橙条の変な慣習だな」
橙条大臣の説明に、絡柳も腕を組んで頷く。
「昔は本当に死罪になることもあったみたいだけど、今は城主や古狐大臣に怒られたり、月日大臣はじめ、月日系官吏にボコられたりするだけで、たんまり俸禄がもらえるからおいしい仕事だわ」
「本気でそう思っている橙条大臣の前向きさは、ぜひとも見習わせていただきたいですね」
「それで、絡柳ちゃ~ん、嫌いな俺を頼ってくるなんて何用よ?」
ため息をつく絡柳を、橙条大臣は肘でゴリゴリついている。絡柳はこの上なくうっとうしそうだ。
「嫌いではありませんよ。軽蔑しているだけです」
しびれを切らしたのか、橙条大臣の腕を乱暴に払って間合いを取る絡柳。
「橙条大臣、ここから先は極秘の相談ということでお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「女の子の秘密なら黙っておくけど、男の――」
「女性がらみのお話で――」
「聞かせてみなさい」
絡柳が確認をとってから、橙条大臣が了承するまでの時間はかなり短かった。「男の秘密はどうでもいい」と言いかけた橙条大臣を絡柳が、面倒そうな様子で「女性がらみの話」だと言おうとした、「女性」の単語を聞いた瞬間に橙条大臣の目の色が変わっていた。
絡柳はそんな彼に、心底あきれた目を向けたが、話を進めることにした。
「橙条大臣、中州に銀髪青眼の遊女はおりますか?」
「たぶん、かすみちゃんだね」
「『たぶん』と言うのは?」
「かすみちゃんはカラスの濡れ羽みたいなきれいな黒髪だけど、昔こっそり誰にも言わない約束で地の色じゃないってことだけ教えてもらったんだよね。元の髪色は聞いてないけど、目は青いからそうかなって」
比呼と絡柳がたがいに目を見かわした。彼女が四ッ葉屋秋兵衛の言った遊女なのか確証は持てないが、話を聞く価値はありそうだ。
「彼女に話をうかがいたいのです」
「おっ? 絡柳ちゃんも女遊びに――」
「もしかすると、彼女が中州に有益な華金の情報を握っているかもしれません」
絡柳は橙条大臣の軽口を遮った。
「ん~、確かにかすみちゃんは、華金方面から売られてきた遊女だって聞いたね。なに? さっそく会いに行く? 今城を出れば、ちょうどいいくらいの時間につくね。さっそく出よう。もちろん絡柳ちゃんの大臣権限で経費だよね? いやぁ、遊郭に入っていく絡柳ちゃんとか、本当に面白いなぁ。一生見られないものが見られる予感。いや、この際絡柳ちゃんも女遊びに目覚めたら――」
「わかりました。金は俺が出すので、できるだけ目立たないようにその遊女に会わせていただけませんか?」
絡柳はひどく疲れた様子で言う。
「おお!! 絡柳ちゃんのお金で女遊びができるとか、すごい自慢できそう!」
「もちろん口止め料もかねてです。誰にも言わないでください」
「お前もだぞ」と絡柳は黙って成り行きを見守っていた比呼を見た。
「わかってますよ」
比呼は淡い苦笑を浮かべて頷いた。




