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二章一節

 与羽(よう)の勉強漬けの日々が始まった。

 彼女が今いるのは、中州城主一族の屋敷にある自室だ。客間の一室を私室化しているので、こちらで過ごすことはあまり多くないものの、優秀な女官のおかげで常に過ごしやすく整えてある。


 使用人の控えの間、寝所、居間、書斎と用途の違う空間が四つ。

 この日も、与羽は抱えていた書物を書斎の床に置くと、一枚木の巨大な机に向かった。書斎だけでも普段過ごす客間と同じくらいの広さがある。気になった部分を書き留めるために手元の筆記具を確認して、持ってきた本の一冊を開く。


 中身は中州の地誌だ。中州の様々な地域の気候や名産品、祭事、著名人、出来事などを記してある。

 官吏を目指すならば、城下町以外の地域にも詳しくなくてはならない。


 持ってきた本にはほかにも法律書や過去三十年分の出納帳、地図、伝記、貿易記録、歴史書など多岐に渡る。

 とりあえず、古狐(ふるぎつね)から借りた歴史書以外は、中州城内からかき集めてきたものだ。より詳しい資料を求めるならば、それがある場所へ足を運ばなければならないが今はこれで十分だろう。


 中州城主一族の屋敷には限られた人しか立ち入らない。静かに勉学に励むにはもってこいだった。

 暖をとるための火桶の位置を何度か直したあとは書かれている内容に集中する。


 すでに数日かけて歴史を一通りおさらいした。歴史書には、中州全土のことが書かれているが、それをより詳しくひも解く意図もあって、今は地誌を開いている。その後は、法律を学びなおすつもりだ。過去のものは見ず、とりあえずは現在有効なものだけを押さえる。場合によっては紫陽家で裁判記録を見せてもらう必要があるかもしれない。そうなれば、こちらも歴史書と照らし合わせてみるのも面白いだろう。


「……いや、そこまでやったららちが明かんよな」


 一番良いのは、すでに文官試験を合格している者に助言をもらうことだろう。しかし、一番身近な文官――辰海(たつみ)は現在頼りにくい。学問所の同期では――。


「アメは漏日(もれひ)系だから避けた方が良いよな」


 アメは人事をつかさどる漏日系官吏の一人。官吏登用試験にも深くかかわっているはずなので、頼るのはずるをするようで気が引けた。


「ラメ……。ラメは漏日姓だけど月日系官吏だし――。今回の登用試験は漏日大臣と紫陽(しよう)大臣が当番よね。それなら、ラメで問題ないか……」


 とりあえず、今は自分で勉強。それで困ることがあったら、助言をもらいに行こう。与羽はそう決めて、再び地誌に目を落とした。


 整っていて読みやすい文字は、古狐系官吏が好んで使う書き方だ。

 それぞれの地域で独自に調査してまとめた地誌はたくさんあるが、これは古狐主導で全国一斉に同じ基準で情報を集めてまとめた地誌。かなり貴重で、精度も高い。

 欲しい資料はすべて最良のものがそろう与羽の環境はひどく恵まれていた。だからこそ、それをうまく使いこなし、躓くことなく試験に合格しなくてはならない。


 官吏登用試験は六次選考まである。一次は書類審査で二次は一般教養問題。ここまでは問題なく通過できるだろう。

 三次選考はより詳細な知識を問われ、なぜ官吏を志すのかその動機も重要になってくる。四次は実際の官吏の仕事に似せた思考問題。官吏としての対応力や判断力を求められる。五次試験は試験と言いつつも期限なしの実務なので、とりあえずは置いておく。


 城主や上級官吏の仕事を近くで見てきた与羽だが、彼らの判断や思考を完全に理解できるわけではない。なぜあの時その判断をしたのか、どのような思考をしたのか。そんなところまで考えながら、与羽は年末の寒さでかじかむ指で本をめくった。

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