6話
翌朝、刻は爆発音で目が覚めた。
「なっ……」
眠気眼で起き上がり、枕元を確認するとサイドテーブルに金属の破片が散らばっている。
文字盤らしき残骸を見つけて、ようやく爆発したのが目覚まし時計だと判別できた。
(危ねえ! 何でこんなもんが爆発したんだ?)
どんな不良品でも、普通は爆発などしない。答えはすぐに分かった。
「……ハルの仕業か」
昨日、彼の部屋を覗いた時に目覚まし時計をいじっているのを見た。きっと、これを作っていたのだろう。
うんざり顔で目頭を押さえ、刻は重い体を引きずりながら部屋を出る。 シャワーを浴びて大部屋に行くと、椿がひとり分の食事を並べていたところだった。こちらに気付くなり、彼女は笑顔で声をかけてくる。
「おはようございます、刻さん」
「……おはようございます」
「夕べはよく眠れましたか?」
椿の穏やかな声が耳を打つ。
結局、昨日は書庫から自室に戻った後なかなか寝付けなかった。ほとんど寝ていないせいでとてつもなく眠かったのだが、気を使われても面倒なので適当に合わせる。
「ええ、まあ。おかげさまで」
「それは良かったです! では朝食を召し上がってください。学校までお送りしますので」
「えっ、送る? そんなのいいですよ……悪いし」
刻は渋面を作りながらも丁重に断った。正直、一歩でも外に出たら屋敷の人間とは関わりたくない。それが本心だったからだ。
しかし椿も引かない。眉尻を下げて、首を横に振る。
「リン様のご命令なのです。『執事たるもの、少しでも無駄な時間を省いて私に仕えろ』と。ですので、今日から毎日私が送り迎えいたします」
「はぁ? ったく、プライベートもねーのかよ」
刻は軽く舌打ちをして、吐き捨てるように呟いた。独り言のつもりだったのだが――。
「すっ、すすすすすすすみません!!」
椿が土下座でもせんばかり勢いで頭を下げてきた。
「え」
あまりの必死な形相に、刻は思わず気圧される。
「い、いや、別に椿さんが謝ることじゃ……。悪いのはあのババアが……痛てッ!」
足元に痛みを感じて下を見ると、黒猫がこちらを睨み上げていた。どうやら肉きゅうで脛にパンチをされたらしい。
そう言えば、朝になれば猫の姿に戻ると言っていた。
「ってぇな。何すんだよ、リン」
「誰がババアだ!」
怒鳴りながら、目をつり上げるリン。もとが人間のせいか、動物が主役のアニメのように表情が分かりやすい。
「年寄りなんだからババアに違いないだろうが。昨日、本の整理しながら計算してみたけど、アンタ百六十八歳はいってたぞ」
「私は十六歳でこの体になってから歳など数えておらん。と言うかお前、仕事中にいったい何の計算してるのだ! まったく……デリバリーのかけらもない奴だな。そんなことでは一生嫁などとれんぞ」
「デリカシーだろ、無理に横文字つかうな。ありきたりなギャグのつもりか?」
「むぅ、まったくああ言えばこう言う。これだから最近の若者は!」
「その発言がすでにババアなんだよ」
腕を組んで見下ろす少年を、背中の毛を逆立てて威嚇する猫。その様子を見守る外見だけの年長者である椿は、やはりオロオロするばかりである。
「おっ落ち着いてください。ふたりとも……」
彼女はそう言うが、好戦的なのはリンの方だけだ。いたって涼しい顔の刻は部屋の隅に置かれた大時計で時間を確認すると、鞄を背負ってさっさと玄関の扉の前まで行った。
「とにかく、送り迎えなんていいから。じゃあな」
振り返りもせずに、豪華なつくりのドアノブに手をかけたその瞬間、
「気をつけるのだぞ」
その言葉は見送りの意味ではない何かを含んで、刻の背中に投げられた。
「あ?」
「ハルがお前の通学路に何を仕掛けたか分からん。気をつけろよ」
いつのまにか椿に抱かれているリンが、恩着せがましい口調で言う。
「通学の無駄な時間を省くために送り迎えをつけることにしたが、理由はもうひとつある。ハルの罠になれている彼女が同行することで、無用な怪我をせずに済むと思って配慮してやったたわけだ」
「…………」
イタズラではなく罠という表現は的確である。
毒殺未遂、目覚まし時計爆破事件。たしかにあの天使の顔をした悪魔が、次に何をしでかすか予想できない。
刻は掌に汗が滲むのを感じると、静かにドアノブから手を離した。
「えっと……。椿さん」
「は、はいっ!?」
いきなり低い声で名前を呼ばれた椿がビクッと姿勢を正す。
「帰りはひとりで大丈夫なんで、送りだけお願いします……とりあえず今日だけ」
ハルが何か仕掛けるとしても、どうせ最初だけだろう。
そう計算し、仏頂面のまま頼む刻。リンと椿が驚いたように顔を見合わせた。
「何だ。可愛いところもあるではないか」
生意気な執事見習いが思い通りに動いたのがよほど嬉しかったらしく、リンは満足そうに言った。
そんな大人げない主人を横目で見つつ、刻はふたたび玄関扉を開けて出て行こうとする。
「あ、すみません。ちょっとだけ待っててもらえますか?」
慌てて刻を引きとめた椿が大部屋に入って行き、十分くらいで戻ってきた。
「さあ、行きましょう」
「……? はい」
何やら紙袋を持った彼女に促され、刻は短く返事をして玄関を抜けた。
「あ、あのう」
屋敷を出てからしばらくして、初めて沈黙を破ったのは、愛車のハンドルを握る椿だった。赤信号に引っ掛かり、静寂を気まずく感じたらしい。彼女は助手席に座る刻の顔を何度かチラチラと伺ってから、後部座席から紙袋を取り出す。
さっき彼女が取りに戻ったものだ。
誰かへの届けものだろうか……などとぼんやり見ていると、椿はそれを刻に差し出してきた。
「これ、お昼に召し上がってください」
「え、俺に?」
予想外なセリフに、刻は紙袋を受け取りながら間の抜けた声を漏らした。
「朝食、結局召し上がらなかったので……。さっきのサンドイッチをつめてみました。嫌いじゃなかったら」
椿が頬を染めて、うつむき加減に見上げてくる。あまりに謙虚な彼女を見ているうちに、刻は少し後ろめたい気分になった。
「すみません。せっかく朝メシ作ってくれたのに俺、手をつけもしないで」
そして自らの無神経さを詫びた。仕事とはいえ、自分のために朝食を作ってくれた椿への気づかいなど、朝の刻にはまったくなかったのだ。
ところが椿は彼の言葉を聞いて、何故かほっとしたような顔で微笑んだ。
「刻さん、優しいんですね」
「は?」
刻は訝しげに眉根を寄せる。まわりからそんな評価をされたのは一度もなかったからだ。むしろ、冷たいと非難されることの方が多い。中学の頃のあだ名など、『冷徹機械人間』である。
「ごめんなさい。実は私、刻さんがちょっと怖かったんです」
青信号に変わり、車を発進させる椿が視線を前方に戻して言う。
「ほら刻さんってクールっていうか、物怖じしない方だから……」
「ただ無愛想で無礼なだけでしょ。怖がられるのは当たり前ですよ」
言葉通りぶっきらぼうに返す刻。椿はだいぶ警戒心が和らいだらしく、前を向いたまま楽しそうに笑った。
「ふふ、そんなの。気にしない人だっていますよ。私が人の顔色を窺ってばかりなだけです」
「はあ」
それはちょっと否定できないと思い、刻は曖昧な返事をした。
「私の悪いクセなんです。気弱なせいで、人のいいところに気づく余裕がなかなかなくって……。刻さんが優しい人だってこと、今やっと分かりました」
「お世辞なら結構です」
何気なく放ったつもりのひと言だが、やはりどこかトゲのある言い方になってしまう。
それでも椿は微笑んだまま首を横に振った。
「いいえ、お世辞なんかじゃありませんよ。だって優しくなかったら、人の気持ちなんていつまでも無視したままですから。間違いに気がついて謝ったりしません」
「それは……どうも」
どう考えても自分が優しいとは思えない刻だったが、それでも彼女の恐怖感が薄れたのなら、あえて否定することもないだろうと、短く礼をするにとどめた。
「刻さんは刻さんのままでいいんですよ。飾らないところはあなたの長所です。貴方は気がついてないのでしょうけど」
刻の気持ちを見透かしたように告げる椿は、右手でハンドルを握ったまま、照れくさそうに頬を掻いた。
「なーんて偉そうですよね。でも、お姉さんからのアドバイスと思ってください」
「……はい」
しばらくして、車は学校から少し離れたショッピングモールに到着した。
「ここまででいいですか? 学校まで行ってしまうと目立っちゃうでしょうから」
刻は椿のさりげない気遣いに感謝した。
優しくて思いやりがあるのは彼女の方だ。自分とは大違いだと思いながら、腕の中にある紙袋に目を落とす。
「あの、これ。ありがとうございます」
それはやはり愛想のいい言い方ではなかったが、椿はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「サンドイッチは自信があるんですよ。リン様の好みで和食ばかり作ってますけど、もともと洋食が得意たったので」
「へえ」
刻は昨日の夕食のクオリティの高さを思い出し、その時に質問できなかったことを聞いてみることにした。
「専門外のものを作ってまで、何であの屋敷で働いてるんですか?」
怪しげな屋敷の主は猫で、しかも魔女という得体の知れない仕事をしている。いくら金をつまれても、よっぽどの理由がない限り腕のいい料理人が希望するような職場ではないはずだ。
だが、椿は躊躇なく答えた。
「リン様をお慕いしているからです」
「何でまた。俺から見たら偏屈で子供っぽい、面倒くさい奴なんですけど」
「はは、たしかに完璧なお人ではないですね。……でも、あの方は路頭に迷っていた私を拾ってくださいました。仕事を与えてくれただけじゃなく、居場所を作ってくれたんです」
「……椿さんみたいな優秀な料理人が路頭に迷うなんて、そんなことあるんですか?」
「優秀かは分かりませんけど、ちょっと昔トラブルがあって……。まあ、詳しい話はまた今度に。遅刻しちゃいますよ」
目を少し泳がせて、言葉を濁す椿。
刻は少し気になったものの、深く追求せずに「じゃあ」と軽く頭を下げて車を降りた。