4話
リビング兼ダイニングルームになっている大部屋は思ったより小さかった。
照明は少し暗くされており、飴色のアンティークで統一されたインテリアのセンスのよさも相まって、リンや刻の部屋よりも落ち着いた雰囲気を感じさせる。
こちらに気づき、にこにこしながら刻達を迎えるジュリアの他に、大きな長テーブルに料理を並べるエプロン姿の女と、それを手伝う外国人の少年がいた。
リンは優雅な動きで椅子に腰かけると、刻に彼らを紹介する。
「居候その二のハルと、料理人の椿だ」
まず、やたら綺麗な顔をした金髪の少年が、幼さが残る笑顔で握手を求めてきた。
「ジュリアの双子の弟デ、ハロルド・サンダースって言いマス。気軽にハルと呼んでくださいネ」
どうやら彼は姉と違ってあまり日本が得意ではないらしい。とは言え、ジュリアより随分と落ち着いた雰囲気を持っている。顔の輪郭をふちどるカールした金糸の髪は、御伽話に出てくる王子を連想させるが、長いまつげと血色の良い唇は少女のようにも見える。親しみやすい容姿のジュリアと比べて、どこか人間離れした美しさがあった。
一方、若妻のような出で立ちの女は、遠慮がちにペコリと頭を下げる。
「せ、瀬名椿と申します……」
姿勢の良いモデル体型の長身と、気の強そうな切れ長の目をしたクール美人。その外見の印象に反して声がひどく弱々しい。おまけに、今にも泣き出しそうなほど情けない表情をしている。年齢は刻よりも数コ上に見えた。
「祖父の後任を勤める予定の真城刻です。しばらく見習いとしてお世話になります」
お世辞にも愛想がいいとは言えない無表情で、刻はふたりに丁寧なお辞儀をする。
その様子を見たリンがむっつり顔で不満を漏らした。
「おい、何だその礼儀正しい振る舞いは。私への態度とずいぶん違うではないか」
「アンタが普通に話せって言ったんだろ。これが俺の普通だ」
「むぅ……」
返す言葉が出てこないのか、一世紀半も年下の少年を恨めしげに睨むリン。そんな年配の『少女』の視線を軽く受け流しながら、刻は新しく紹介されたふたりを見る。
椿と言う女の方は頼りなさそうだが、ハルも彼女もリンやジュリアに比べればはるかにまともそうである。屋敷にきて以来、はじめてホっとできた気がした。
「さて、せっかくの食事が冷める前に食べるとしよう。刻、お前も早く席に着け」
「え? 俺も一緒に食事していいのか」
高飛車だと思っていた主人の意外なひと言に驚く刻。その疑問に、椿のおっとりとした声が答える。
「本来なら使用人と主人の食事は別にするものですが、リン様がそれでは私の負担になるとおっしゃったので」
「皆のご飯、一度に済んだら椿ちゃんもラクチンだもんね!一緒に食べれば楽しいし!」
「へぇ。いいところもあるんだな」
ジュリアの補足に、刻はボソリと言って席に座った。全員でいただきますをして、いざ料理を口に運ぼうとした瞬間――。
「箸を置け!!」
とつぜんリンが怒鳴った。彼女はいつのまにか鼻に近づけていた皿を置き、神妙な顔で言う。
「食ったら死ぬぞ」
「は……!?」
場違いなセリフに、刻は一瞬我が耳を疑った。
「どういうことだよ」
まさか料理に毒でも入っているのか? と料理を作った椿の方を見やるが、彼女は勢いよく首をぶんぶんと横に振って否定している。
「わ、私ではありません!」
「……? じゃあ、一体誰がこんな」
状況が読めずに戸惑う刻。そこへ、ふうと呆れたような吐息が耳に入る。
「まったくお前と言う子は。また魔法薬の新作を料理に入れたな? 服用量を間違えれば危険なモノなんだぞ。匂いで分かってよかったが……」
厳しい口調で嗜めるリンの視線の先は、彼女のはす向かいに座る異国の美少年だった。
そう、さっきまでまともだと信じていた、まるで天使のような容姿の――。
「すみまセン、つい」
「もー、駄目だよぅハル。せっかく椿ちゃんが作ってくれたのに食べれなくしちゃうなんて!」
「お気遣いありがとうございます、ジュリアさん。でも何か論点違いませんか?」
日常茶飯事だと言わんばかりの三人の落ち着いたやり取り。ひとり硬直する刻に気付いたリンが詫びる。
「すまんな。ハルのイタズラ好きには私も手を焼いておる」
「これ、イタズラなのか? 笑えないレベルなんだけど」
むしろ、サスペンスドラマの展開である。ふと刻の頭に、ある言葉がよぎった。
『お前は二、三度、命の危険があるようだな』
「…………。なあ、もしかして占いの結果に出てきた、俺が二、三回死にかけるって――コイツのせいじゃねーか?」
いきなり指をさされ、ハルがきょとんと碧眼をまばたく。ややあって、リンが上品な和装と不釣合いの豪快な笑い声を上げた。
「お前も心配性だな。私がすべて阻止すると言ったであろう、安心しろ」
「できるか。結局アンタの近くにいるより、この家を出ていった方がよっぽど安全だろ」
「兄さんそりゃ酷いですヨ。全部をボクの所為にしないでくださイ」
「誰が兄さんだ」
「そうだぞ刻。死にかける原因のすべてがハルとは限らん」
「他に何度も死にそうになる理由なんて思いつかねーよ。リン、アンタも居候の躾けくらいちゃんとしろよな」
「そうは言っても子供の面倒を見るのは苦手なのだ。説教は英次にまかせていたしな」
「いい歳した女が、ガキ相手に何情けないこと……」
「年齢など関係ないであろう!」
「ガキじゃないデス。今年で十四歳になりまシター」
「「お前は黙ってろ!」」
だんだん語気が強くなってきたリンと刻が同時に一喝するが、ハルはさして悪びれる様子もなくアメリカンなジェスチャーで「やれやれ」と返す。
反抗期の子を持つ夫婦のようなやり取りをオロオロと見ていた椿が、たまりかねた様子で席を立った。なぜか自分が叱られているかのごとく、目に涙を滲ませながら。
「あ、あのっ、私何か新しいもの作ってきますから、少しお待ちくださいっ」
「待って椿ちゃん! 私も手伝う!」
ジュリアが、その場から逃げるように去って行く椿を追う。
「じゃあボクも……」
さらにその後を続こうとするハルの襟首を、リンが勢いよく掴んで止めた。
「お前は自分の部屋で反省してろ。今日はメシ抜きだ」
「はーイ、了解しましター」
ぴしゃりと言われ、屋敷の問題児はやる気のない返事をして大部屋を出ていく。
静かになったところで、リンのため息が響いた。
「まったく。ハルには困ったものだ」
ぼやく主人を、刻は呆れ顔で見つめる。
「だったら、何であんな悪ガキを居候させてんだよ」
「手に余ったあの子らの両親に頼まれて預かったのだ。ふたりの母親が私の知り合いの魔女で、無下に断れなかった」
面倒かけおって、と、彼女はさらに愚痴をこぼす。
それから数十分して、椿とジュリアが次々と料理を運んできた。
「おまたせしました。どうぞ召し上がってください」
一見フレンチのフルコースの様だが、よく見ると白い皿にそれぞれ乗っているのは洋風に盛りつけられた魚の天ぷらや寒天寄せ、野菜のお浸しなどである。非常に凝った工夫に刻は感心した。
「すごいな、短時間でこんなに作ったのか……」
「椿は料理の天才だかたな。これくらいは朝飯前だ」
リンが、自分が褒められたかのように胸を張る。
どうしてそんなに凄い料理人が、わざわざこの屋敷で働くことになったんだ……という疑問が頭からすぐ消えてしまうほど、目の前にならぶ料理の数々はたしかに素晴らしかった。
そして食事は仕切りなおし。
「ではいただくとしよう」
一同はリンの号令で料理を口に運ぶ。
「うまい……」
刻が最初に箸をつけたのはナスの揚げ浸し。とろけるような食感と、しっかり味のしみた甘めのダシがたまらない。
リンが鶏のつくねを器用に一口サイズにし、ジュリアはしいたけの天ぷらを無作法に箸で刺してほおばる。椿はそれぞれの様子を見て、嬉しそうに微笑んでいた。
そして今度こそ、夕食を無事に終えた一同であった。
約一名の問題児をのぞいて――。
「椿、今晩も格別に美味かったぞ。ハルの奴には後で握り飯でも持って行ってくれ。成長期に飯を抜いたせいで身長が伸びなかったら、あの女顔は洒落にならんからな」
「はい、分かりました。おむすびの具材は何がよろしいでしょうか?」
「あの子は辛いものが苦手だからな、明太子だのわさびだのは駄目だぞ。鮭とか昆布なら食えるはずだ」
「そうやって結局甘やかしてるから反省しないんじゃないか?」
刻のもっともな指摘を、耳が痛いとばかりにわざとらしい咳払いで無視するリン。
「そうだ刻、私についてこい。屋敷を案内してやろう」
彼女は上品に布巾で口もとを拭いて、話を逸らすように切りだした。
「は? 今からかよ」
「何か不満でもあるのか? 屋敷の主である私がわざわざ案内してやると言っているのだぞ。もっとありがたそうにできないのか」
「あーどーも。そりゃありがとうございますご主人様」
「分かればよいのだ。分かれば」