33話
「……どんな化け物が出てくるかと思ったら、意外とただのデカいおっさんなんだな」
無愛想な声が玄関ホールに響く。その少年はぼさぼさ頭を掻きながら、緩慢な動きで大部屋から出てきた。
「アンタを呼んだのは俺だよ」
「刻、お前……っ!」
驚きのあまり、リンは言葉を詰まらせる。
刻は階段近くまで移動すると傷だらけのリンを見て顔をしかめるが、すぐいつもの無表情に戻ってバフォメットと対峙する。
ふたりはリンから見て、ちょうど横向きに向かい合う形になった。こうして見ると、あらためてバフォメットの背の高さが分かる。
「悪魔との契約って、指名ができるんだな」
「……我を名指しした人間は貴様が初めてだがな」
刻の言葉に静かに答えるバフォメットだが、禍々しい空気と威圧感を放っている。
黒い礼服の悪魔は刻を値踏みするように眺めた後、嫌らしく口元を歪めた。
「面白いな、小僧。一介の人間が我の名を知っていることもだが、ずいぶんと肝が据わっているようだ」
「表情に出にくいタイプなんだよ」
ふたりの男の会話を聞きながら、リンは必死に状況をのみ込もうとしていた。
(刻の奴! よりによって悪魔を呼びだすなど、なぜそんな馬鹿な真似を)
考えられる可能性はひとつ。エレナの暴走を止めるための強行手段だ。
たしかに悪魔との再会を果たせばエレナの目的は達成される。しかしそれは、あまりに無謀で危険な行為だ。エレナが攻撃を止めても、悪魔自身が攻撃してきたら元も子もない。
その作戦は失敗だ。
(――いや、違う……)
彼はここまで常に冷静だった。もしかしたら別の考えがあるのかも知れない。
刻を信じてみよう――。
リンは口を挟まず見守ることにした。
「して小僧、貴様の望みは何だ」
バフォメットが押さえの利いた声で、刻に問いかけた。
「アンタはどんな願いでも叶えられるのか?」
「交渉次第だ。我は貴様ら人間の便利屋ではない。貴様が願いに見合った報酬をくれるなら何でも叶えてやるし、そうでないなら叶えることはできない」
「そりゃそうか」
刻はひるむことなく落ち着いた様子で話をする。
「じゃあ、単刀直入に要求から言うぞ。俺達はアンタの手下の魔女に迷惑してる。聞いた話によると、アンタが仲間同士で殺し合いさせてるんだろ? 今すぐそのくだらないゲームをやめさせてくれ。それと、二度とアンタの気まぐれに誰も付き合わなくていいように、今後は魔女を使うのをやめてほしい」
バフォメットは腕を組んだまま、頭一つ以上背の低い刻を見下ろし、
「ずいぶん大きく出たな」
かすかに笑った。
「貴様も我の名を知っているなら分かるはずだ。我が魔女の象徴とされていると」
「ああ、分かってる。でもそれは別に、アンタに課せられた使命ってわけじゃないって思うんだけど」
「ほう。それはどう言う意味だ?」
興味を示したような反応を見せるバフォメット。リンはそろそろエレナの邪魔が入る頃だと思ってそちらを見やるが、彼女は跪いたまま、うっとりとした目で悪魔を見つめていた。
(この娘、本当に重傷だな)
呆れを通り越してむしろ哀れに感じつつ、視線をふたりの男に戻す。
刻は淡々と自説を披露していた。
「独立派の魔女に戦争で負けてからのアンタの動きだよ。新しい手駒を増やすどころか減らすようなゲームを仕掛けて、百年以上もの間なりをひそめてた。それって、どう考えても魔女を使う必要がないからだろ? ほかにもっと大事なことがあったんだ。アンタに別の顔もあると分かって確信した」
「……別の顔だと?」
「そう、聞いたことあるだろ――『サタナキア』って名前」
刹那、バフォメットの肩がぴくりと動く。