31話
「ねえ刻くん! リン様が言ってた最後の作戦って何なの? 早くしないとふたりとも死んじゃうよ!」
ジュリアは蒼白になって救助を催促してくるが、刻は返答に困っていた。
なぜなら――。
「リンが言ってたのは、ふたつ目の作戦が失敗した時、俺達は逃げろってことだけだ」
口にすると、ジュリアとハルはショックを受けたように固まった。
「逃げる……? リン様と椿ちゃんを見捨てて? それがリン様の言ってた最後の作戦なの!?」
泣きそうな顔で縋りついてくるジュリアに刻は頷き、憂いのため息をつく。
「どうせお前ら、最初からどっか行ってろっつってもごねるだろ。だからあいつは、最悪の事態になるまではこの場にいさせようとしたんだよ」
敵の魔力を奪うための薬を作っている時、リンは刻に『あの子達が嫌がっても無理やり連れ出してくれ』と言っていたのだった。
たしかにリンは正しいと思う。敵は魔女の中でも強い。ふつうの人間にはなすすべはないだろう。
頭ではそうだと分かっているし、逃げろと言われて一応了解した。
それでも刻は、この場から去るのをためらっていた。
論理的に正しいことができずにいたのだ。
「刻サンも逃げる気はないんデショ?」
ハルに図星をつかれ、刻は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……ああ」
答えつつ、言いわけっぽく続けた。
「俺たちの存在は敵に知られてないし、今すぐ逃げる必要は無いからな。ただし、むやみに飛び込んで行くのはなしだ。ちゃんと考えてからじゃないと動かない。それでいいか?」
「分かった!」
ジュリアの顔がパッと明るくなるが、ハルは「うーん」と首をひねる。
「考えるって、薬も武器もないしどうするノ?」
「えっとね……そうだ! エレナって人、悪魔にあうためだけに椿ちゃんを殺そうとしてるんだよね。だったら、悪魔のふりをして満足させてあげるのはどう!?」
「変装して出て行けってか? 無理に決まってんだろ馬鹿。仮装大会じゃねーんだよ」
能天気なジュリアの案を一蹴する刻。ハルはやる気がないのか、こんな時に愚痴をはじめる。
「馬鹿はバフォメットなんじゃナイ? いくら怒ってるからって、自分の手駒を減らすようなゲームを仕掛けたりすル? ふつウ」
刻はその言葉を聞いて、たしかに悪魔の魔女に対する扱いは想像以上に低いと思った。
『しもべ』であるから、当然といえば当然なのだが――。
「そうか……」
あることに気がつき、刻は無意識に呟いた。
悪魔崇拝派の魔女は『しもべ』だから、主である悪魔を自由に呼び出せない。
ましてや敵である独立派の魔女が呼び出すなど論外だろう。
でも、ふつうの人間は?
だいぶ前に小説で読んだことがある。ある男が願いを叶えるために悪魔と契約する話だ。
もし本のように、悪魔を呼び出せるとしたら……。
「刻くん!?」
刻は勢いよく立ちあがると、階段を数段駆け上がって厨房に出た。なるべく派手な音を立てないようにしながら、調理器具が入っている引き出しの中を順々に漁っていく。
目当てのものを見つけ、それを手にして階段まで戻ると、ハルとジュリアがものすごい勢いで非難してきた。
「刻くんまさか、そんな百均で売ってるようなもので戦うつもりなの!?」
「勘弁してヨ! こんな時にボケてる場合? チャッカマンで勝てるわけがないデショ」
「ちげーよ。お前らちょっとこっちこい」
刻はそう言うと、サンダース姉弟を連れて地下の書庫に入った。
着火ライターで壁掛けランプに火を灯す。オレンジ色の光がゆらめく中、奥へと進み、まだ整理し終わってない手つかずの棚を物色しはじめる。
独立派の魔女が悪魔関係の書物を持っているとは思えない。しかもそれが日本語で書かれている可能性はほとんどないだろう。
(……なのに何をやってるんだ? 俺は)
自らの行動に疑問を持ちつつ、並んだ本の背表紙を指と目で追う。
ハルとジュリアに手伝わせることも忘れて、刻はただひたすら悪魔について記された本を探していった。
いくつめかの棚の途中で、動きを止める。背表紙に何も書かれていない、真っ黒い本が目に入ったのだ。
妙な胸騒ぎを覚えながら、ひときわ異様は存在感を漂わせるその本を手に取る。表紙を確認するとそこには日本語で『悪魔辞典』の文字が――。
「あった……」
刻はその場に座り込んで本を開いた。呆けるように様子を見守っていたハルとジュリアが、そばに寄って上から覗き込む。
「悪魔辞典? バフォメットについて調べるノ?」
「そうだ」
パラパラとページをめくりながら答える刻を、ハルとジュリアは不思議そうな顔で見つめた。
「調べてどうする気なの? 刻くん」
「お前の言う通り、エレナを満足させるんだよ。……バフォメットを呼び出してな」
「ええっ!?」
ジュリアが素っ頓狂な声を上げた。ハルも目を皿のようにしている。
彼らが驚くのも無理はないだろう。刻自身、今自分がしていることを愚かだと思っているのだ。
敵の親玉を呼び出すなどまともじゃないが、今はこれ以外の方法は思いつかなかい。
バフォメットのページはすぐに見つかった。しかしそれらしき記述がない。
「召喚方法まではのってねーか……」
あきらめかけた時、ジュリアがページの下端を指差した。
「ねえこれ見て! 何か書いてあるよ」
「ほんとダ。んー、『呼び出し方はこちら! (→)』って書いてあるネ」
「なぞなぞ問題集みてーだな。本当に信用できんのかこの本」
仰々しい外見と反して、あまりに軽いノリの内容に信憑性を疑う刻。
それでも一応見ておこうと、ページをめくろうとして――手をとめた。バフォメットに関して羅列された説明文に、気になるところがあったのだ。
「なるほどな……。そういうことだったのか」
ひとり納得した様子の刻に、ジュリアが小首をかしげる。
「そういうことって、どういうことなの?」
「悪いけど、時間がないから今度な」
軽くあしらって、刻は今度こそ悪魔召喚の方法が記載されているページを開いた。