27話
――同日、夜九時。
すべての照明を落とした屋敷内は、暗闇に包まれている。
椿は息をひそめ、玄関ホールで侵入者を待っていた。敵が屋敷内に入ってきた瞬間を狙えるように、扉の死角に立つ。
キイ、と扉が開く音が響いた。
(きたっ……!)
全身の魔力を右腕に集めて、敵の懐に飛び込んでいく。
「っ……!」
しまったと思った時には遅かった。いつのまにか腕をつかまれ、背後からきつく抱き締めるような形で身動きを封じられていた。
「久しぶりね」
耳をくすぐる聞きなれた声に、震えが止まらない。
「エレナ……」
湧き上がる恐怖心を無理やり押し込めて、椿はエレナから無理やり離れて距離をとる。
薄暗い中でもはっきりと分かる、特徴ある容貌が目の前にあった。――不気味に赤く光る、ふたつの瞳。
警戒して構えの体制をとる椿に、エレナは心底楽しそうに笑った。そして壊れたカセットテープのように、異様な速さのテンポでまくしたてる。
「ふふ、はははは! アンタのすぐ怯えるところ、本当に可愛い。逃げるのだけは得意なのよね。いつだって逃げてた。人間を始末する命令を受けた時もそう。独立派魔女との戦争もそう。最終決戦の時もそう。……私はその日、バフォメット様の命で遠くにいたから助かった。でもアンタは違うのよね? 怖いから、誰も殺したくないから、そんな甘いこと考えてただ逃げただけよね」
「……私は、好きで悪魔崇拝派になったわけではありませんから」
「はっ、そんなことは言いわけにならないわ!」
瞬時に移動したエレナが、椿を床に押し倒す。上にのしかかり、矢継ぎ早に言葉を浴びせていく。
「バフォメット様は絶対的存在なのよ? どんな事情であれ、あの方から力をもらったら使命を果たさなければいけないの。バフォメット様のために何でもするって使命をね。アンタはその使命を放棄することしか考えてなかった……臆病なのは可愛いけど――」
唇の片端をつり上げるエレナ。
ふと、人格が変わったように殺意に満ちたまなざしを椿に向けた。
「すっごく虫唾が走るのよ、この出来そこないのクズが」
次の瞬間、エレナの両手が光りを帯びる。
「ううう、あああっ」
その手で脇腹を触られ、まるで強烈なスタンガンを押しつけられたような、バチバチと言う激しい痛みが襲った。
「安心して……。簡単には殺さないから」
優しく囁かれたその言葉に、椿は完全なる狂気を感じた。
(このままでは本当にやられてしまう……。リン様、早くお願いします!)
気を失いそうになるのをこらえて、椿は心の中で叫ぶ。
その時だった。
「なっ……。どうして、どうして魔法が使えないの……っ?」」
エレナが驚いた声を上げた。それと同時に、椿も激しい苦痛から解放される。
「魔力を、奪う秘薬、です」
息を整えながら、狼狽するエレナをどかしてよろよろと起き上がる。
「薬……!?」
「この部屋少し、くさくありませんか」
「…………!」
さっきまで優勢だった最凶の敵は、罠に嵌まったと気がついて愕然としていた。
罠――と言うか、作戦はこうだ。
『エレナの魔力を奪う』ための薬を作ったものの、正面から薬を浴びせるには敵が強すぎる。そこで椿がおとりとなっている間に隠れていたリン達が薬を蒸発させて、敵に嗅がせることにしたのである。
リンいわく、この魔法薬は少しでも吸い込めば効果があると言うことだった。
悪魔崇拝派の魔力を奪う作用しかないので、リンには影響がない。あらかじめ予防薬を飲んでいたため、椿にも害はない。
――これで、平和を取り戻す準備が出来た。
「エレナ。最後にひとつだけ、教えてください」
「何」
「生き残った仲間は、あと何人いるのですか」
「私とアンタだけよ」
「……そうですか」
悪魔信仰を捨て、独立派の味方になったとしても、素直に喜ぶことはできなかった。かつての仲間の冥福を祈るように、椿は静かにまぶたを閉じる。
(これで、ようやく悪夢が終わる。死んだ彼女達も報われるでしょうね……)
それからゆっくり目を開け、魔力を集中させた右手をエレナの肩に置いた。
そのまま、動けなくする程度の負わせるはずだったのだが――。
「…………!?」
椿は驚きに目を見開く。脱力していたはずのエレナが、右腕を思い切り掴んできたのだ。
「どうしたの? さっさとやりなさいよ。このヘタレが!」
「い……っ」
尋常じゃない強さだった。ぎりぎりと、指が食い込んでいく。
ピリッと、電気を感じ、椿はまずいと思った。慌ててもう一方の手でエレナを突き飛ばす。