23話
椿が今、ふつうではない力を使っているのは明らかだった。超能力でないとすれば魔法以外に考えられない。
(まさか彼女も魔女だった?)
だとすれば、巻き込まれたのではなく、リンと同じように悪魔崇拝派に狙われたことになる。
(……いや、違うな)
ことはそんなに単純ではないと、刻は自分の考えを打ち消す。
リンに魔女であることを隠す必要がないし、正体がバレそうになったとたんに手荒な真似をするのは変だからだ。
嫌な汗が刻の頬を伝う。理由は他に思い当たらなかった。
(魔女は魔女でも――――悪魔崇拝派か!)
独立派の敵である悪魔崇拝派なら、リンに素性を知らせないのは当然だ。
どうして、仲間であるはずの悪魔崇拝派の魔女に襲われたのかは分からない。理由を聞きたくとも声がうまく出ない。
「……刻さん、ひどいことしてすみません。私がここを出たら、ちゃんと魔法は解きますので」
ぽつりと言うと、椿は瓶を詰め込んだ箱を片手で抱えあげ、刻に向けた手はそのままに出口に向かった。
――その時。
「その薬をどうするつもりだ」
とつぜん響いた声に反応して、椿の足がぴたりと止まった。
「リン様……」
(え、リン?)
刻は唯一自由のきく目で下を見る。椿の行く手を阻むような形で黒猫が座っているのが見えた。
「その薬をどうするつもりかと聞いておる。お前……怪我はどうした?」
最初は単純に状況をのみ込めていない様子のリンだったが、椿のただごとでない雰囲気を察したのか、すぐに身体をこわばらせた。壁にはりつけになった刻を一瞥すると、彼女の声はさらに驚きと怒りの色を含んだものになる。
「おい、刻に何をした!」
「止められたくなかったので、じっとしてもらっているだけです。リン様もそこをどいてください」
ふたりはそのまま、互いに威嚇しあうように睨みあう。
「どういうことなのか聞くまで、私はお前をここから一歩も出すつもりはない」
「なら、無理やりどいてもらうまでです」
椿は伸ばしていた右腕を下ろして刻の術を解く。するとその手を、今度はリンに向けた。
「――――!」
小さな猫の姿で吹き飛ばされたら、ひとたまりもない。
慌てて椿を止めようとした刻だが、思うように足に力が入らない。
「……っ、リン! 椿さんは……たぶん悪魔崇拝派だ。何をするか分からない。危険だぞ!」
必死に警告するが、黒猫は動こうとしなかった。それどころか、目の前にすらりと立つ、何倍も大きな人間をきつく睨み上げる。
「私はお前が仲間だと、家族だと思ってた……。だが騙されていたのか」
リンは辛そうに言うと、椿の抱えている箱の中身と棚を交互に見て顔をしかめた。
「棚からなくなっているのはすべて、使い方によっては毒にもなるものだ。椿、お前はそれを使って独立派の魔女殺しに加担するつもりか?」
「……誤解です」
「だったら何に使うつもりだ」
「すべてが終わったらちゃんとお話します。だから、今は行かせてください」
「ふざけるな! もし一歩でも動いたら、私はお前に飛びつく。しがみついて噛みついて絶対に離さない。それでも行くと言うなら、私を殺してから行け!」
「……っ、私があなたを殺せるわけがないでしょう!!」
椿が叫ぶように言った。今まで聞いたことがない彼女の大声に、リンも刻も目を丸くして驚いた。
はっと口をつぐんだ椿は、リンに向けていた手を震わせながら下ろした。荒くなった呼吸を整えてから、あらためて静かに話しを始める。
「私はたしかに、悪魔との契により力を得し者――。あなた方、独立派で言うところの悪魔崇拝派の魔女です。しかし、もう悪魔を崇拝はしていません。決別したのです」
すべてを話す決心をしたように、彼女はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「ある事情で悪魔崇拝派のもとを去った私は、その後しつこく追われることとなりました。傷を負い、切羽詰まっていたところに、最強の魔女ルネ・ルベールの弟子が日本にいると聞き助けを求めることにしたのです。あの戦闘に長けた魔女の弟子ならきっと力になってくれると……それがリン様でした」
「力になってくれと頼まれた覚えない。それは、私が頼りないと分かったからか」
険のあるリンの問い。椿はためらうような間をおいた後、ゆっくりと頷いた。
「頼りないとは思いませんが、リン様の魔女としての能力は……正直申し上げて私が期待していたものと違いました」
「占いと薬作りなど争いごとには向かんからな」
リンは寂しげに、大きな金色の瞳を床に落とした。
「――だが分からん。どうしていつまでもこの屋敷にいたのだ? お前が私を探したように、お前を追っていた奴がここに目星をつける可能性は高い。さっさと別の場所に身を隠した方がよかったはずだろう」
「できなかったんです。ここを出て行きたくなかったから」
力なくこうべを垂れる椿と入れ替わりに、俯いていたリンが面を上げた。
「出て行きたく……なかった?」
「はい……。でもそれが大きな間違いでした。私がいつまでも出て行かなかったから、こうして皆さんを巻き込むことになったんです。敵はまた私を始末しにくるでしょう。その前に一刻も早くこの屋敷を去らなくてはいけません」
「ここを出たあと、どうするつもりだ?」
「探し出して先手を打ちます。一度見つかった以上どこまでも追ってくるでしょうし、いっそこちらから仕掛けた方が有利ですから。しかし私の能力だけでは勝ち目がないので、少しでも助けになる武器が欲しくて」
「その薬を持ち出したと言うのか」
「はい」
椿の返事はいつもの彼女らしく自信なさげだった。
しばらく考えるように沈黙した後で、リンは盛大なため息をつく。
「……椿。お前が今まで私に向けてきた笑顔は本物か? 私に見せた顔はすべて演技か」
「え? いえ、違いますが」
唐突に話がそれたことで、戸惑いを見せる椿。
「さっきお前はこの屋敷を出たくなかったと言った。それはなぜだ」
「…………私の、一番落ち着く場所だったからです」
リンがもう一度聞くと、今度はしっかりとそう答えた。
リンはどこかほっとしたように力を抜き、
「ならば、余計にお前をこのまま行かせるわけにはいかんな」
と言った。
「リ、リン様!? 私の話を聞いていました? 私がここにいるかぎり危ないんですよ!」
「分かっておる。分かっておるが、今までの『瀬名椿』が演技でないなら、気弱な性格はそのままだなのだろう?」
「え? あ、はい」
「そんな奴がひとりで強敵に勝てると思うのか?」
「いえ、それはその……思いませんが――――」
「この馬鹿者が!」
黒猫は椿が抱える箱に飛び乗ると、そこからさらにジャンプして椿の頭を思い切りはたいた。
「い、いたっ。何を……」
見事な一喝に、黙って見ていた刻も思わず面喰った。
「何を。ではない! 勝てる見込みもないのに敵陣にのり込むとは、お前犬死にする気だったのか?」
「す、すみません……」
リンが叱りつけるように怒鳴ると、椿は情けなく身を縮める。
いつの間にか、さっきまでの緊迫した空気はなくなっていた。
「占いで、敵が次にくる日にちも時間も分かった。まだ勝ち目はある、場所を変えて策を練るぞ。今頃ハルとジュリアが必死に探しているだろうしな」
黒猫はこれで説教は終わりだとばかりに言い放つと、軽い身のこなしで床に降り立った。
そのまま出口に向かって歩き出す。
「あの……っ! 私は……まだ、一緒にいてよいのですか」
信じられないといった様子で尋ねる椿に、リンは不機嫌顔で振り返り、
「三カ月給料なしだがな」
ぷいっと前を向いて出ていった。