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飛べない魔女と、可愛くない執事くん  作者: ユユ
時給七百円には見合わない仕事
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9話

 午後三時――。


 刻はブルーな気分を抱えて、屋敷の玄関扉を開けた。

 水曜日の授業は五間目までなので、二時には授業が終わる。今までは早く帰宅できると嬉しかったのだが、これからはむしろ疲れる曜日となりそうだ。


「おっかえりー! 刻くんっ!!」


 出迎えたのは、学生服姿のジュリアだった。小柄な彼女は嬉しそうに駆け寄ってくるなり思い切り抱きついてくる。


 少し戸惑いながらも、刻は迷惑顔でジュリアを引き剥がした。


「おいくっつくな」


「え、嫌なの? 刻くん、あたしのことキライ?」


 上目遣いにキラキラと碧眼を潤ませた少女に悲しげな声で聞かれ、刻は少しひるむ。


「別にキライってわけじゃねーけど」


「じゃあ、何でぎゅってしちゃ駄目なの?」


 何でと聞かれると、さらに困る。外国じゃどうか知らないが、日本ではそこまで親しくない異性には抱きついたりしない。


「はしたないからだ」


 簡潔にそう答えると、ジュリアは不思議そうな顔をした。


「変なのー。んー、まあいいや!」


 彼女はスイッチを切り替えるようにあっさり納得すると、明るい笑みを刻に向ける。


「そうそう、リン様が大部屋で待ってろって言ってたよ! 仕事があるからって」


「休む間もなしかよ」


 刻はうんざりしながら、重い足取りで大部屋へと入る。


 すると、今度はハルが暢気な様子で声をかけてきた。


「あ。おかえりなさイ、若旦那―」


「誰が若旦那だ」


 金髪少年の人を小馬鹿にしたような笑みを見て、朝の『目覚まし爆発事件』を思い出す。


「……そういやお前、今朝はやってくれたな」


「ハイ?」


 ハルは首を傾げてわざとらしく惚けたあと、逡巡して、「あー」と大げさに納得するそぶりを見せた。


「目覚まし時計ならちゃんと弁償しますヨ」


 特大サイズのアイス容器を抱えながらスプーンをひらひらさせるハル。まったく悪びれた様子はない。


「もう、駄目だよハル! 刻くん困らせちゃ」


 行儀悪く立ったままアイスをぱくつくハルの横で、椅子に腰掛けたジュリアが見上げる.ようにして弟を叱る。その手にはいつのまにか醤油煎餅。ハルと違ってやたら流暢な日本語と、欧米人にしては濃くない顔立ちのせいか、煎餅をほおばる姿に違和感がない。


「あ、刻くんもおせんべ食べる? はい、あーん」


 身を乗り出したジュリアに、いきなり煎餅を唇に押しつけられる。仕方なく口を開くと、天真爛漫な外人少女は「おいしいでしょ?」と、人懐っこい笑みを浮かべながら遠慮なしに口内へと突っ込んできた。


「へへー。そのお煎餅ね、お向かいのおじいちゃんにもらったんだよ。宇宙に行ったお土産だって」


「ふぁ(は)?」


 煎餅を食べる音がうるさくて聞き間違えたのかもしれないと、刻はジュリアを二度見する。今、宇宙がどうとか聞こえた気がするが――。


「おじいちゃん、突然宇宙人にさらわれたんだって! すごいよねー!」


「……はあ?」


 突然の理解不能な話に、刻は思い切り顔をしかめた。


「馬鹿じゃないノー、そんなの老人のホラ話に決まってるでショ」


 あいかわらず涼しい顔でアイスを口にしながら、ハルが慣れたように言う。


「違うもん! 宇宙人はいるもん!」


「いないネ。あんなの軍が新兵器開発実験の言いわけに使う、架空の生きものなんだかラ」


「それこそただの噂! インボー説だよ! だいたいその宇宙人がグレイタイプとは限らないんだから。そう言えばテレビで『宇宙人未来人説』ってやってた。だからおじいちゃんを誘拐した宇宙人はおせんべを知ってたんだね!」


「何そレ。そんなわけないデショ」


 もはや、論点は宇宙人の存在有無に変わってしまった。面倒になってきた刻は、完全に話の輪から抜けて傍観者となる。


(ああ……今までは家に帰れば静かに昼寝できたのに)


 疲れたように椅子に腰をかけて頬づえをつき、呆れた目でサンダース姉弟を眺める。ちょうどその時、大部屋に黒猫とコックが入ってきた。


「こら小童ども。さっきから何を騒いでおる」


「リン様ぁ! ハルが宇宙人はいないって言うんだよぅ!」


「ぐぇっ」


 ぬいぐるみのようにリンを抱きかかえたジュリアが、頬を擦りつけて訴える。


「こらやめんか。痛い、力を抜け!」


「ジュ、ジュリアさん! リン様がつぶれてしまいますよ」


「……あの」


 やおら立ち上がった刻は、必死にもがくリンを助けに入る椿に紙袋を差し出した。もちろん、中身はサンドイッチが入っていたプラスチック製の容器である。


「椿さんこれ、ご馳走様でした」


「え? あっ」


 紙袋を受けとり、容器が空になっていることを確認すると、椿は嬉しそうに微笑んだ。


「全部食べてくれたんですね」


「はい、美味かったです」


「えー!!」


 主人を胸元でつぶしかけていたジュリアが、聞き捨てならないと言った風にふたりの間に入ってきた。いきなり床に落とされたリンから、猫らしく「んにゃっ」と短い悲鳴が上がる。


「ずるーい! 刻くんだけお弁当作ってもらったの?」


「違うんですよ、ジュリアさん」


「俺が残した朝メシをつめてくれただけだ」


「……ふうん、何だぁそっかー」


 刻と椿の説明にあっさり納得するジュリア。その足元で転がっていたリンがすました仕草で起き上がり、ニヤニヤしながら若いふたりをはやし立てた。


「愛妻弁当と言うやつだな。何だ、椿は無愛想な年下男が趣味か」


「えっ? 違います! あ、いえ、刻さんが嫌いという訳ではないんです! 好きですけど異性としてではなくて……。いえ、男性の魅力がないなんてことはありませんよ! 年齢のわりに落ち着いていらっしゃいますし、スマートで顔も一応平均以上ですから」


「あの。俺気にしてないんで、少し落ち着いてくれますか」


 刻の冷静な突っ込みはさらに椿を追いつめたようで、


「落ち着きなくてすみません! ちゃんと落ち着きます! もしかして黙った方がいいですか? あぁっ、でもそれでは何の解決にも……」


 自ら生んだ言葉の泥沼から抜け出せず、手や首を振ってあたふたしている。


「だから落ち着けと言っているだろう。ちょっとからかっただけだ」


 リンが肩にぴょんと乗って頭のてっぺんを軽くはたくと、椿はスイッチが切れたように大人しくなった。


「う……すみません」


「まったく、お前は焦るとすぐに暴走するのが悪いところだな」


 軽くいさめると、黒猫は刻の方を向く。


「おい、お前に仕事がある」


「まだ昨日の書庫の整理がまだ終わってないんだけど。その後じゃダメか?」


「書庫の整理だと? そんなものは暇な時にでもやっておけ。別に急いではおらん」


「は? でもアンタ昨日、今日中に片づけないとクビとか言って……」


「忘れた」


「…………く」


 腹は立つが、ここで喰いかかっても言い合いになるだけだ。しかも、相手は仮にも主人である。


 刻はあきらめて、彼女の気まぐれに付き合うことにした。


「……で、仕事って何」


「まず着物の手入れを頼む。それから薬品保管庫の整理……あと、手紙を書いて欲しいのだ。百通ほど」


 これまたかなりハードな命令だった。


 無茶な仕事をふって、やめさせようとしているのではないかと疑いたくなってしまう。


(とりあえずジイさんが帰ってくるまでの我慢だ)


 ちゃんとした執事の仕事を教われば、もう少し扱いがマシになるだろうと、刻は自分に言い聞かせた。

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