わたし、小さな騎士と出会いました。
確かに、この界隈は街の中でも特に貧困に窮した区域で、たとえ所持金が硬貨一枚でも下手をすれば命ごと略奪されかねない。このご時世それも致し方ないとされる事件は、残念ながら日常的に多発している。
「おい。金持ってそうじゃんか、そこの姉ちゃん」
だからそんな物騒な台詞を背後から掛けられたとしても決して珍しい話じゃないし、金を持っていそうと言われて持っていないと答えれば嘘になるくらいには、高貴な家の出でもある。
よってミレイユ・フォーカスは、ああやっぱりかぁ、女の子がひとりで通るにはさすがに無謀だったかぁ、と反省を込めてがっくりため息をついた。
多少身なりがくたびれてはいても他に人はいるのに、ピンポイントで自分にお声がかかるなんて、これはやはり持って生まれた抑えられないオーラが自分に備わっていると言うことか、肩胛骨をすぎるあたりでなびくこの国では一般的な金色の髪が少しばかり他より美しすぎたのか、または外出用のドレスが値を張りすぎたか、いやネックレスか、それともレースの日傘か。
海を陽の光で洗ったような青い瞳が西洋人形のそれのように繊細で可憐なミレイユは、幼少の頃から周囲に可愛い可愛いとちやほやされながら温室のなかたっぷりの純水を与えられ大切に育てられてきた為に、自分は財ある可愛い生き物であるとなんの抵抗もなく認識していて、それはだいたいにおいて人に嫌われるから改めたほうがいいことも、気付かないまま生きているくらいには鈍感な少女だった。
「言っとくけど、逃げられると思うなよ」
めっそうもありません、と心の声で即答した。自分の運動神経のなさは、足を開いて騒々しく走り回るなんてはしたなくていけませんと執事から散々受けてきた教養の賜物なのだ。
こちらの事情で逃げることが出来ないのだからしかたがない、ここはもう、恐喝はいけませんよと説得してみよう。大丈夫、生まれた時から悪い人間なんていないもの、話し合えばきっと人は分かり合える。
「あの、確かにお金はありますが恐喝は…」
いけないと思うんです、と言いかけたところでミレイユは目を丸くしてぱちぱちっと瞬いた。たしかに背後からの声だったのに、振り向いて見るとそこには誰もいなかったのだ。
「あら? 悪者さんがいません」
ほかに人の隠れる筋道もない路地裏のどこにもそれらしき人はいなくて、ミレイユはフクロウよろしく首を傾げた。
ああやだ、きっと空耳か背後霊か何かだったんだわ。
と、それで納得してしまうのがミレイユという少女で、彼女はけろりと何もなかったことにして元の方向へ足を正した。
「ぶっ飛ばされてぇのか姉ちゃん…っ」
「はぇっ?」
誰もいないことをこの目で確認したのに再び背中にその声がぶつかってきて、ミレイユはぎょっと背後を見た。じめじめと湿気くさいおどろおどろしい路地が向こうまで続いている、やはりそれだけだ。
「俺はここだっ…!!」
いい加減にしろとでも言いたげな怒りも露わのその声は、なんか…なんていうか…足もとから聞こえた。ミレイユがこっくりと首を頷けてみると、視界に滑り込んできた自分の足元には少年がひとり、たいそう不機嫌な目でミレイユを仰ぎ見ている。
「ひゃ!?」
「やっとかよ。気づくのにどんだけ引っ張ってんだ」
少し背が低いからって失礼な、などとぶつぶつ呟いている、そう、少年。てっきり男臭い追いはぎだとばかり思っていたのに、そこに立っていたのは実に少年らしい少年だった。どのくらい少年かって、もしかしたら10つくらいは年下かもしれない。ちなみにミレイユは18歳だ。
「あの…確認ですが、冒頭から私に声をかけていたのはあなた、です?」
「ここに俺以外誰がいるんだ」
「ああ! もしかして追いはぎごっこか何かですね?」
「…。ごっこじゃねーし追いはぎなんてしねーよ」
直立したミレイユのとなりに立たせてせいぜいその骨盤あたりが彼の身長。たしかにこれで追いはぎなんてしてもミレイユにさえぺいっと跳ね返されて終了だ。
どこもかしこも子供こどもしい外見のなか、だが彼のある一点だけがそれらとは逸脱して、先ほどからミレイユの気を引いてやまない。
「なぁ姉ちゃん、その身なりからして金持ちだろ?」
「え、まあ…お金に困ったことはないけれど」
二ヤリと挑戦的に細められた少年の、絶えず燃えさかる紅蓮の瞳が、赤くミレイユを閉じ込めている。映した者を瞳の中で焼き尽くしてしまう煉獄の炎が、そこにあった。
「んじゃあひとつ、商談に乗らねーか?」
「商談?」
髪の色は、この国では珍しい漆黒。この場所に居座っていた人間らしく体中が埃と泥で汚れていたが、よく見れば身につけている衣服自体は決してみすぼらしいものではない。
少年の髪色と合わせたような黒のマントは被って着るタイプではなく前で合わせて留めるもので、身を隠すためのものかフードが付いている。マントの合わせから覗く、首までを隠す襟の服は厚手でありながらぴったりと少年の身体にフィットして、そのしなやかなラインを描き出していた腰に手を当てるポーズをとった今の彼はマントから思いの外筋肉のついた肩がむき出しなのだが、肩から先に服の袖は続いていない。腰から下のズボンも足首までしかなく、全体的に見ても運動性を重視した衣服であることがミレイユにも知れた。
なにより彼の背中には、まばゆい金で装飾された神々しい柄の剣を収めた鞘が背負われている。
身なりだけを見るなら、そう、まるで。
「俺を雇ってみねぇか。あんたのナイトになってやるよ」
そうまるで、騎士の、ような。でも、
やっぱり無理があるような…。
「おいコラその目、俺を信用してねーな」
「だって、子供にそんな…ねぇ?」
「お前はこの物語でひとつ重大な勘違いをしているが、俺は立派な18歳だ。」
「へっ?!」
ミレイユもびっくり、まさかのタメ。立派と言われてもどこにも18歳らしいパーツは見当たらないことをとりあえず進言してみていいだろうか。
「栄養がある食べ物に恵まれなかったんです? あ、わかりました! もしかして牛乳がお嫌い?」
「…たしかに今食い物に困っちゃいるけどこの身体は生まれつきだぶっ飛ばすぞてめぇ。」
どうやら踏み入れてはいけない危険地帯だった。
「チッ…人を外見で判断しやがって。おい姉ちゃん、あんた今どこに向かってる途中だった?」
「え、ええと。この先にある小さなパークに」
「公園か。…よし、しょうがねぇ。特別に〝試用期間〟を設けてやる」
「試用期間?」
ミレイユがオウム返しで首を傾げると、少年はとても働かせてくださいと営業しているようには見えないドヤ顔でフッと炎の瞳を細めた。
「この路地、見境のねぇ浮浪者がウヨウヨしてるぜ。俺も絡まれたんだ。あんたが公園で用を済ませて、無事家に帰るまで護衛してやるよ」
「はぁ…でも」
このおどろおどろしい路地を孤独に歩まず済むぶんには確かにありがたいのだが。
「いざというとき私あなたを逃がしてあげられるかどうか…」
「だから信用しろっての頭くんなッ!」
いいから行くぞ!と高血圧な怒鳴り声をさせて、少年がぐいっとミレイユの手を引くも、残念ながら彼は背が足りないのでミレイユは若干腰を前に折れてしまっていて、イマイチ決まりが悪い。
(大丈夫なんでしょうか)
彼には申し訳ないが頼もしいとはとても言えない。だがしかし、いくら危険地帯といっても必ずモンスターとエンカウントするも限らないし、こういうときこそ案外何事もなく辿りつけたりするものだ。
そう考え直し、というかそうであることを祈りつつ、ミレイユはされるがまま少年と路地を進んで行った。




