夢の国
戸惑う俺。
鏡に向かう姉の顔は怖くて見ることができない。
鏡に映っているはずなのに。
「お前はそれでいいのか」
姉はぼそっとつぶやいた。
「ナニがだ」
「五葉ちゃん取られっぞ」
姉の背中は小さい。肩を丸めて、鏡台に向う彼女。鏡に向かう表情は厳しい。
「あの子は確かに我々が知っている五葉タンとは別人だが、同じ顔、同じ性格の子を他人に取られるのは良い気がしないであろう」
「確かにそうだが」
戸惑う俺に姉が更に追及する。
「他人に渡して、スッキリしようって魂胆丸見えなんだよッ」
喉が渇いて、手が震える。
「化粧を手伝ってくれたのは感謝する」
姉が俺を睨みつけながら呟く。
「ほれ。飯にすっぞ。ぼうっとするな」
ふわりとした香りに気が付く。取り乱していたらしい。
「弟よ。美味いか」
「不味くはない」
なんだそれは。姉貴は頬を膨らませる。
「腕によりをかけて作ってやっているのに」
「俺のほうが料理は上手い」
ぷっく~。姉の両の頬が膨らむ。
「でも、まあ」
「あん?」
「ありがとう」
「どういたしまして。言い過ぎた」
俺、どうすればいいんだろう。
再び自分の中に籠ろうとする俺に姉はこういった。
「お前はウジウジするタイプじゃないだろう。多少強引で押しつけがましくても悪気はないタイプだ。
全部吐き出してしまえ。ああ。俺が作った料理は吐くなよ。思っていることやため込んでいる事。全部だ」
それをいえるわけないじゃないか。
「私は、すべて受け入れてやろう。あ。近親相姦はダメだからな」
「するかっ?!」
「弟の目が嫌らしい」
「なわけねぇッ?!」
味噌汁を噴きだしてしまった俺は姉貴に掃除を命じられた。
そして。
「番長! 一発殴らせろッ」
「唐突に現れるな」
呆れる番長と俺は激しく殴り合っていた。理由? 聞くな。
風を切って迫る大きな拳をいなし、鋭いローを放つ。軽く足を上げてそれを交わした番長は豪快なヤクザキックを天空からネリチャギ気味に放ってきた。それを十字受けて受け止め、そのまま両手に絡めて前に流して。
「とりあえず殴る」
「まぁ良いけど」
彼の言語は肉体言語である。
というか台詞ほとんどないし。彼。
「よくよく考えたら喧嘩を売ったことはあるが売られたことは初めてだ」
あはははと河原に座り、爽やかに笑う番長。通りすがりのアイスクリーム売りから買ったアイスを舐める。
今時下駄穿きに潰れた学生帽。袖を破いた学生服姿の彼はカラカラと笑っている。そもそも彼には怪我をしたというグラフィックが無い。戦いが終われば傷は完治する。
やり場のないいらだちをぶつけられた彼としてはたまったものではないはずなのにさすが番長。特に聞きただすことはない。
「とーふぅ とーぷぅ~」
マヌケなラッパの音と自転車をフラフラさせてやってきた豆腐屋のおっちゃん。
「おう! 五葉のガキじゃねぇか」
「あ。おっちゃん」
「相変わらずガタイだけはいいなっ! これやるよッ」
豆腐屋のおっちゃんが押し付けてきた「美味しい豆腐」を受け取り閉口する俺たち。
「地味に持って帰るの難しいですね」
「だな」
ぴちゃぴちゃぷにぷに。河原から家まで持っていくのは面倒である。
「これ、美味いんだぞ」
「そうっすか。でも河原から五葉の家は遠いですよ」
「というか、なんでどうやって俺たちは河原に来たんだ? 電車に乗らなければいけなかった筈だが」
簡単に言うと番長との戦闘イベントは夕焼けの河原で発生するのがデフォルトだからです。番長。
「いや、久しぶりに本気で殴り合って楽しかったわ」
ゴロリと危ない発言をする彼だが意外と付き合っていると常識的であったり、巨体を小さくして校内のゴミを積極的に拾って回り、苛めがあれば率先してかばい、苛められそうな生徒の特技を見出して勉強を教えたり、才能を見抜いてクラブ活動に仲介したりと生徒会長より仕事している男である。
「あれか? うちの妹か」
「……」
沈黙が答えになってしまったらしい。
彼は草笛を手放し、話しかけてきた。
「なんか結婚するって騒いでいたと思ったら、ナニ変なこと言ってるのおにいちゃんとか前言撤回。不思議にあいつがそう言っていると嘘や偽り、無かったことだったって思うようになっていた」
そういえば前と違って妹の身を案じて決闘を挑んでこなかったな。
「『変な憑き物みたいな感じ』『高校二年に至るまでの記憶が他人の記憶みたい』とか言っていた」
うん。
「添い寝を頼んできたときはどうしようかと」
「おいッ」
再び激しい殴り合いを演じた俺たちだが豆腐とアイスは死守した。食べ物は大事にすべきである。
「いや、流石にこの歳でそんなことはせん」
「うっさいです」
傷がすぐ治る彼とそうでない俺では連戦は向かない。アイスを再び舐め、夕日を眺めている俺たち。
「まぁ。俺とお前はダチだしな」
「世話になっています」
ぺこりと頭を下げた俺に彼は照れて見せた。
余談だがいつぞやの骨が見えた拳は三笠先生の謎の治癒で完治済みである。
「ほれ。やるよ」
「??」
彼が差し出してきたのは一冊の参考書。
そういえば前の五葉先輩がくれるって言ってたな。
今の彼女は別人だから覚えていないが。
「学年もあっているし、役に立つだろ」
のろのろと受け取る。
いくら俺が多少のチート能力を持っているとはいえ、少しはダメージが残る。思わず取り落し、フィルムカバーが取れた参考書を慌てて拾う。
「どうした?」
不思議そうに覗き込む番長に曖昧に答え、俺は参考書のカバーを拾って付け直そうとして、カバーの裏に赤鉛筆で書かれた文字に気が付いた。
『がんばれ。『弟』君。私はお前を見守っているぞ』
彼女の字だ。どっちかは知らないが彼女の字だ。
「くくく」
思わず笑みが漏れる。
「奴は四天王の中では最弱」
「この程度で沈んでいるとは四天王の面汚しよっ」
ノリのいい番長の発言に続けて大笑いする俺。
気合入れていこう。
こんなループは絶対ぶち壊してやる。
(※ 二百文字ですこし帰宅後の状況を説明する)
壊れろ世界!
俺はシャドーボクシングを連打。
汗が飛び散り、心臓が揺れ、血液が沸騰する。
豪快なローリングソバットを天に決め、叫ぶ。
「世界よ壊れろ! 俺の、俺たちの未来を奪う世界など壊れてしまえッ」
「は~! 黙想! はああああああああ月光!!!!!!」
激しくジャンプして新聞紙で作った巻紙でゴキブリを撃墜。
ここまでやっているのに世界は壊れない。
「弟。何をやっているのだ」
姉の目は実に冷たい。
「まぁ。嫌いではない」
(※ 死ぬほど恥ずかしかった。もう二度とやらない)
ブチ切れて周囲に当たり散らしてもこの世界は消滅しない事実が判明した。
先に気づけ。俺。何周しているのだという話である。
ふと思いついたことを姉に問う。
当然すぎて普通と思っているがこの世界は厳密に言えば乙女ゲームの世界だから現実世界との違いはある筈で。
「姉貴。東京って知っているか?」
「日本の首都」
常識としてはこの世界の人間も知っていたりするのかな。
「皇居とか行ったことあったっけ」
「ない……って弟君が無いなら私もないよ」
そりゃそうだな。両親が亡くなってからどこかに出かけたことないし。
「隣の町ってどんな街だったっけ」
「弟君こないだ五葉タンと出かけたじゃん」
む。この世界はひょっとしたらゲームで表示される場所しか実は存在しないのではないか。そう思っていたのだがそうでもないらしい。
考えてみれば五葉家の番長以外の家族とかモブにも登場しないもんな。
「そっか。東京行きたいよね。ディズニーランド!」
「あれは千葉だ」
「お金、少しはあるし、一度行ってみようか!」
「親の遺産は大事に使え。せめて大学出る程度のカネは残せ」
冷静に考えたら膨大な遺産だよな。うちの親。一応、生活費分だけは月三回定期的に降ろせるようにしている。
「幕張とかいってみたくない?」
「姉ちゃん。同人誌購入は戦場なんだぞ。戦場」
そういえばこの人腐だったな。
「まぁ。テスト休みに一度行ってみようか。バイト代入ったし」
その言葉を聞いて彼女の口の端がにぱあと上がる。
「姉ちゃん。その笑みキモイ」
「なんだ~! 姉の笑みがキモイとは何事だッ?!」
当日の姉ちゃんの格好。
乞食みたいな日よけ帽子。
風よけ紫外線除け暑さよけにもなる山カッパ(灰色)。
全体が樹脂で出来た灰色のサンダル(某ネズミの国のお姫様グッズらしいが)。
暇つぶしに読むという新聞大量。
「ホームレスかっ?! 着替えてこいッ?!」
「ひどいっ?!」
この世界は乙女ゲームの世界である。
それは解るのだが、たとえばモブには表情はないが『ある』事になっているし、当人たちも気が付くことはない。
逆に五葉先輩と番長のご家族のように本編に全くでない人々は表情がある。設定上は家族がいるということなのだろうがよくわからん。
「世界を壊すなら、この世界を知らないとダメだよな。伊丹さん」
「なんかいった? 『弟』君」
マイフレンドなクマの縫いぐるみのポーチを買ってご機嫌の姉は俺の言葉を聞いていない。
ゴミを清掃員の処にもっていこうとする彼女。
突如清掃員の持つゴミ箱から盛大に変な音が出てぽよーんと鳩が飛び出し驚く。
ここではよくある光景である。
「外伝にもこの施設出てこない筈だけどな」
「むに?」
今度はなんか食べている。開幕ダッシュでファストチケットを取っているので比較的楽だが、目玉の処はそれでも並ばなければならない。上手くできている。
「目玉な奴はそれだけで並ばないとダメで、全体を見たかったらショーを中心にパスとると楽だよね」
だなぁ。
アイスを食いながら並んで歩く俺たち。
「デートみたいだな」
「姉ちゃんと? げろげろ。勘弁してくれ」
「なんだそれは。こんな美少女と連れだって歩けるのだ。感謝されることはあってもそんなことを言われる覚えはない」
良く言う。黙っていたら乞食ルックで来るつもりだったろうが。
「せめて五葉先輩くらいお洒落に気を配ってから言え」
「うっさい。五葉ちゃんがませているだけだ」
いや、姉よ。野暮ったすぎるぞ。アンタのかっこうは。
てくてく歩く俺たちに「リア充爆発しろ」な目線を何故か感じる。
「東京だよ。おっかさんをやるにはちょっと時間が足りなかったな」
「流石に千葉と皇居は全然場所が違う。交通費もかかるし」
くだらない雑談は続く。
「遊園地の内部のホテルは高いんだな」
「当たり前だ。部屋取れるものか」
シーの内部にあるホテルの従業員さんはメイド服。
窓掃除する姿にちょっと萌えたのはナイショだ。
「『夢の国』か」
ショーを眺めながら俺はつぶやいた。
伊丹さんは何処に連れて行かれたんだろう。逢いたい。
「ああっ 世界なんて壊れてしまえッ」
突如女連れの男側が呟いたので「何コイツ」な視線を受けてしまった。
「弟君も反抗期が無いと思ったら今更厨二病か」
「俺は高校生だ」
そういえば反抗期の時期は親父やおふくろが死んだ後の後始末に毎回費やしているな。
日差しがキツイ。
「姉ちゃん。傘入れてくれ」
「おお。良いぞ良いぞ。この美少女の傘に入るがよい」
「やっぱ辞めた」
俺は適当に夏用のパーカーのフードを被る。なんか不審者みたいだ。
姉は何故か母さんの形見の和傘っぽい妙な傘(ryoten)を差してご満悦だが、あの傘は福沢諭吉が二ついる価格だった気がする。あの乞食ルックで差していたら千パーセント頭のおかしい子に見えた事であろう。
和紙繊維を織り込んだ夏用のカーディガンを着て、涼しげなパンツルックで和傘っぽい傘を差す少女の姿は意外と人目を引く。
「ほれ。はぐれるな」
「ああ。弟ではなく何故美形の彼氏じゃないんだ」
それは俺も言いたい。
綺麗な花火のショーを眺め、全然見えないパレードに不満を漏らしつつ。
「願わくば次に来るときはイケメンと」
「完全に同意」
俺たちはお互いに対する不満をグチグチ言いながら手を繋いで退場ゲートから外に出たのであった。
一応。言っておく。
いくらなんでもこの物語には近親相姦的な展開はない。残念だったな。