とある休日の来訪者たち
何度目だったっけ。
人を好きになることなんて忘れていたな。好きだと言われるなんてもっと忘れていた。
「ん。どうした? 『弟』君」
ニコニコと笑うその人は俺の好きな人であってそうではない。
モノポリーの駒を動かしながらふざけるその人。
「まさか、私に惚れたか? うはははは。そうであろうそうであろう」
あはは。
「こんな魅力的な美少女、めったにおらんからな」
「調子に乗りすぎです」
「むぅ」
ぶーたれるその人は隣の女性に抱き付く。
「だが、私は姉上のものだ」
「変な趣味に目覚めたか五葉ちゃん」
じゃれる『五葉先輩』は俺に対する記憶が全然違うものになっている。
姉が「お前、弟に惚れていたのではないのか」とか言っているがその人は別人だ。
「うははは。私に男の影があると思っていたのか」
「だって。……なんでもない」
宅配を受け取り、キッチンで用意する俺たち。
姉が急に唇を近づけてきた。
ささやいてくる姉。微妙に耳がくすぐったい。
「五葉タンがちょっと違う気がする」
「そういう日もある」
姉は昼飯の用意をしながら「いや、絶対違う」と珍しく食い下がる。
「お前、五葉タンに嫌われることしたのか」
「していない」
「むぅ」
姉は頬を膨らませると軽くトーストしたパンでサンドイッチを作る。
トウモロコシとたくあんのみじん切りをマヨネーズで和えた具。今は亡き母親の直伝だ。
「五葉タン、お前とデートに行くって張り切っていたのだぞ」
「……」
「なんか、お前に関することをごっそり忘れている印象があるのだが」
「俺は先輩のストーカーをしていた。
勝手に好きになって妄想でやり取りしていた。
それなら納得がいくだろ」
目頭が熱くなるが、どうせ姉の記憶も再来年の春には消えるのだ。問題ない。そんなことを言っていると姉は無言でフライパンを持ち、軽く殴ってきた。
「うちの弟はストーカーなどしない」
姉は毅然とつぶやく。
「だいたい、それだと五葉タン側の行動が説明つかない」
姉よ。いつの間に知性ステータスを上げた。
それを聞いて姉は平然と応える。
「『天才クソ野郎の事件簿』を一話から読み直した」
「そんなんだけで上がるかッ?!」
いや、上がるかもしれんが。なんて姉だ。
「あの子は私の親友だが、私の知っている子ではない。そうだな」
「ああ」
それを聞いて姉は合点したようにつぶやく。
「私が知っていることと『五葉ちゃん』が知っていることが違うのだ」
だろうな。かなり矛盾が出ると思う。
最近『五葉先輩』が頻繁に遊びに来る。
多くは俺との会話もそこそこに姉の部屋に直行して襲撃同然に遊んでいるが。そういえば、以前は姉に会いに来たと言いつつ俺と一緒にいることが多かったな。姉が席を外している日ばかり来ていたし。
「ばかたれ。アレは私がいない日をさり気なく教えてやっていたからだ」
「マジ?」
「だが、今のあの子はお前しかいない日をさり気なく教えても反応がない。お前が悪さして嫌われたのならば相応の反応が返ってくるがそれもない」
姉は悲しそうにつぶやいた。
「傷ついているのはお前だけだと思ったら大間違いだ。あの子は戸惑っている」
トーストをもって彼女のもとに。
何気ない気づかいができる姉に感心した。
さすが親友同士である。
「なんか。最近言った言わないで喧嘩しちゃうの」
お兄ちゃんは軽く流してくれるけど。『五葉先輩』は駒を動かしながらぼやいた。
姉が買い物に行っている間、俺たちは二人で駒を動かす。
「なんで俺とお前が結婚する話になっていたんだっけ?」
直球で質問が来て俺は噴いた。
「き、き、聞いていませんよッ?!」
「卒業と同時に結婚する話になっていると親父とお袋から聞いたのだが」
覚えがない。頭を掻きむしる『五葉先輩』。
というか、『伊丹さん』。あんた何をたくらんでいた。マジで。
そりゃ戸惑うだろうな。
今の五葉先輩にそんな記憶はない。
「どうにも居心地が悪くてなぁ」
「そうすか」
沈黙の中、駒の鳴らす音だけが響く。
「あ。隙あり」
「む?」
五葉先輩の目つきが変わる。
ドン。
「あ~!? 駒蹴った!? 先輩が駒を蹴った!」
「ふはははは。甘いわ」
ケタケタ笑う五葉先輩はひとしきり笑い終わると、今度は泣き出した。
「せ、先輩? どうしました?」
「お前、優しいな」
彼女の瞳が俺を射る。
「お前、好きな女がいるな」
「ま、まぁそうですね」
「『私』ではないだろう」
「え」
真意を測りかねる俺に彼女は曖昧な笑みを浮かべる。
「なんか、『好きな女にそっくりな女』って態度取られると色々気になる」
「は、はぁ」
胸が痛む。そこまで図星か。
「まぁいいや」
彼女はゆっくりと立ち上がる。
「あ~あ。お前ら姉弟は可愛いわ。畜生。惚れちまうぞ。コラ」
そういって俺の鼻を指で押す。
「無駄に気遣いやがって。私に合わせてくれるのはとてもうれしいが」
肩を抱いて震える彼女に手を差し伸べることすらためらってしまう俺。
「なんか、今までの私と周りの認識する私が違う気がする。厨二病とか言うなよ? ……解るか? この不安」
「時が解決してくれますよ」
時か。『五葉先輩』は笑う。
「そして私の勝ちだ」
「卑怯だ。五葉先輩」
帰宅した姉を交え、俺たち三人は番長が迎えに来るまでずっとモノポリーをやっていた。
「五葉ちゃん。酷い」
「ぐはははは。泣け。叫べ。そして死ね! 俺の、勝ちだ!」
泣き止んだ先輩は鬼になってモノポリー。
さすがに番長が止めてくれたが。
五葉兄妹が帰宅したかと思うとまた訪問者が。
「よっ!」
この人がこのように愛想よく振る舞う姿は珍しいと思うが。
「!!!」
玄関口で彼を出迎えた俺とは対照的にダッシュして家の奥に逃げてしまう娘。勿論姉である。
「姉さんはまだ引きずっているのか」
「怪我させちゃったと気に病んでいますから」
フィリピンバナナを手に一之宮先輩がやってきた。
隣には新伍先輩も一緒だ。
この二人は俺を『親友』と認識しているので、当然ながらうちに遊びにくる日もある。
「うわあ」
「落ち着け。姉。平静を装え」
「平成二五年」
「それは元号だ」
たまらないのは家でダラダラ過ごす姉である。
クラスメイトの女どもが黄色い声を上げるイケメン軍団と親友だという弟とかどんな拷問だという。
イケメン軍団と弟が親友なら如何に残念な姉でも多少は色気のある話になる。
そう思っていた時期が俺にもありました。ええ。
実際は手も足も出ず、時々茶やお菓子を差し入れに来ては盛大に自爆している。下手に一之宮先輩と近所に住んでいたり、新伍先輩が一緒に来たり、三笠先生と四谷君がちょくちょく顔を見せることで女友達との立場が悪くなるだけだったり。
しない。
「きゃああっ!!」
ソファの影に隠れる姉を完全に無視して、隠れていたモブ娘たちが一之宮先輩に襲い掛かる。
「新伍君! この間の大会かっこよかったよ?!」
「一之宮君がきたあああっ?!」
全然関係ないが、剣道部は現実でモテることはない。乙女ゲームの作者にはわからないだろうが、臭い、暑い、熱いのが剣道部である。本来モテる要素などない。
でもこの世界は乙女ゲームの世界だ。剣道部だけどモテモテでも問題はない。
「こ、この子たちは?」
女っ気のないほうが実は落ち着く二人にとってファンクラブは有難迷惑である。
ひっそり俺の家で囲碁をやりに来たのに、これではちっとも落ち着けない。というか、高校生で囲碁とか二人とも趣味が鄙びています。
「なんか、姉にも友達ができたらしくて」
友達と書いて利用価値のあるやつと読む。
五葉先輩との関係がある意味疎遠になったことの影響なのか、姉にもモブ系の友人ができたらしい。
五葉先輩が帰ったかと思うと間髪入れずである。マジで落ち着けない。
……。
……。
「疲れた」
「乙っす。先輩」
「まさか『弟』の家にまで追いかけられるとは」
ウンザリとした表情の新伍先輩。
「なんとか帰って頂きましたが」
「だな……」
一之宮先輩もげっそり。
「あれっすね。先輩。ここはひとつ、ホモ宣言をすることで回避を」
公認同然だし。
「ない」
「ないな」
二人に呆れられたが、姉はこっそり(*´Д`)((*´Д`)していたらしい。そこにまたチャイムがなる。
一体誰だよ?!!
「おい。家庭訪問だ」
三笠先生がケーキ片手にやってくること自体はさほど珍しくはないが。
「……」
身を固めて押入れの奥から様子をうかがう姉に実の弟である俺はもちろん、三笠先生や一之宮先輩に新伍先輩もドン引きである。
姉は意外と人見知りする。
悪気はない。イケメンに弱いのだ。
「おい。姉。三笠先生だ。お茶菓子を出しなさい」
「フー!」
威嚇の姿勢を見せる姉に三笠先生についてやってきた四谷君も呆れている。
正確にはうちに遊びにいこうとする四谷君を発見した先生がついてきたのが真相の模様。
「『弟』さんのお姉さん。面白い方ですよね」
この状況でそれを言える四谷君は強い。そして兄に苦言。
「兄さん。そりゃ僕はよくここにきていますけど、家庭訪問にかこつけて来るのは感心しませんね」
「何をいう。不登校の子に苛めにトラブル。家庭訪問は毎日やってるぞ」
大変だな。
「アレですね。若いお母さんたちから誘惑されまくりで」
「親父と一緒にするな」
不登校児やいじめの仲介をして、最後に四谷君を迎えにこの家に来ることが多い。非難がましい四谷君と三笠先生は腹違いの兄弟である。昨今和解した。
「なんか視線を感じる。『弟』さん。これって」
四谷君が複雑な表情を浮かべ、押入れのほうに視線をやると押入れの戸が『バン』としまった。勿論姉である。
「うちの姉貴、イケメンに目が無いんだけど、相対すると緊張しちまうらしい」
『……』
一同黙るイケメン軍団。そりゃ普通の乙女は心臓がストレスでマッハになっても仕方がないが。
「あれでも仲良くなりたいと思っているらしい。スルーしてやってくれ」
「ま、まぁ『弟』さんのお姉さんですから」
四谷君が三笠先生の持ってきた紅茶を淹れる。姉もお茶を淹れるのは上手いのだが。
「姉。姉。いい加減出てこい」
「……!!?! !!! ???!!」
だめだ。出てこない。
「化粧もせずに顔を見せられないと抜かしておる模様です」
「高校生が化粧などするな」
三笠先生が苦笑。
とはいえ彼は年頃の女の子の綺麗になりたい気持ちに理解があるほうなので生徒指導時は注意のみにとどめる。
そんなできた教師を冷たく睨む少年がいる。
「高校生にも興味あったのですね。兄さん」
「ばぶっ?!」
ああ。本編ではちゃんとあるぞ。三笠ルート。
「ないっ?! 私が生徒に手を出すと思うのか」
「思います」
思わず口をついてでてしまったが仕方ないだろう?
三笠ルートは実際にある。事実は動かないなのだ。
「い、い、いや、ないからっ?! ないぞッ!?」
「『こうしてたそがれていると君の足音を求めて耳を澄ましてしまう自分に気が付いた』」
三笠エンディングの台詞です。
「うわ。汚らわしいですね。兄さん」
「ないっ?! 勝手に創造するな『弟』ッ?!」
「『君が好きだ。今この場で抱きしめられたらと思う。だが僕は教師。それは出来ない。君が同年代の生徒と話していると胸が苦しい。やはり君は同年代の子と結ばれるべきだと思ってしまう。しかしそれを許せない自分が』」
「勝手に作るなぁああぁっ?!」
「兄さんだったらすごく言いそう」
「言わないッ?! 言わないぞッ?!」
珍しくムキになる三笠先生と兄を弄る四谷君。
ここぞとばかりにキラキラオーラを放って先生をいじるイケメン軍団。
さて。
イケメン軍団がやっと帰宅したのはいい。
しかしなぜか姉の反応がない。
どうしたというのだろうか。
「ねえちゃん? おーい」
押し入れから出てこない。
どうしたことだろうか。
「姉よ。おーい。開けるぞ?」
押し入れを開けると。
そこには変わり果てた姉の姿が。
何のことは無い。
我が姉は妄想に浸りすぎてゴキブリと一緒にダウンしていた。
姉よ。押入れで寝るな。
俺はゴキブリを駆除すると、布団と共に姉をベランダに吊るしておいた。