姉の親友がこんなに魅力的なはずがない
タブレット端末から流れるラジオのクラシック番組の音楽に心ふわふわ。
俺は新聞記事を必死でチェック中。
そばには図書館から借りてきた雑誌やら地方紙やら。
「『弟』君って勉強熱心だね」
姉をサポートするためのモブだからな。
姉の台詞に今更ながら自分の立場を思い出す。
さて。姉はのんびりとアイロンをかけている。
パリッとノリの利いたシャツを毎日着ることができるのは姉のおかげであるが。
「イケメンを目指す場合、人に見られることを意識しながら自分でアイロンかけていないとダメだぜ」
「え~? いいじゃないの」
まぁ確かに俺のアイロンかけはへたくそではあるが、他人の意見と視線を意識して自分で創意工夫しなければ容姿というものは良くならない。
姉ひとり弟ひとりの家族では洗い物も多くはない。
お互い学生の身分だ。家事は分担して効率よくやらねばならない。
便所に行けば自分で掃除する。風呂は毎日最後に入った人が洗う(大抵俺だ)。
勿論だが立小便をやると姉からおしかりを受けるので苦労して便座に座る。シッットォーー!?
ん?
ふと浮かんだ疑問を漏らす。
「乙女ゲーの主人公でも排泄はするんだな」
「???」
いや、してないかも知れないが。なんせ相互掃除が基本だし。
こぽこぽとタイマーつきの電気調理器が豆と海藻を煮る香りの中たわいもない話をする俺たち。
姉ひとり弟ひとり。俺たちの絆は結構強い。
「姉貴には高校卒業するころには幸せな結婚をしてもらわないとなぁ」
「またその話。おじさんくさい。私は大学に行きますよ~だ」
設定上はエンディングと同時に姉は結婚をする。つまり姉は高卒で固定だ。
物思いにふける俺に姉は衝撃のセリフを吐いた。
「というか、五葉たんとつきあっているんですか? 『弟』君」
は?! はい??!
市場先輩。もとい五葉先輩は姉の親友キャラであり。
そう考えると二人の間に情報共有があってもおかしくはない。
え。えーっとだな。姉よ。そ、それは誤解だ。
アイロンかけのスチーム越しにニヤニヤと笑う姉の横顔。思わず紅茶を吹き出しかけた俺は動揺を抑えて話をしようとするもなぜか舌がもつれてしまう。
「いっ いっ 五葉先輩とはたまたま塾が一緒なだけでっ」
「痴漢を追い払ってくれたんだってね『あん いやん。この人ホモよ~♪』」
姉はアイロンをかけながらくすくすと俺の声色の物まね。
思わず頬がかっとなる。俺は争い事が苦手だ。
攻略の過程で番長を倒して彼とマブダチになったが。
「な、なんで姉ちゃんがそんなことっ」
「姉はなんでも知っているのです」
嘘つけ。
確かに女の情報共有舐めていたかもだが。
慌てふためく俺に姉はくすくす笑いながらシャツを突き出してくる。
「できたよ」
「お、おう。サンキュ」
袖を通すと快適だ。もう少し俺もアイロン使いうまくなろう。
話変わって俺たちの学費はどこから出ているのかきわめて謎だ。先生に確認したところ亡き両親が先払いしていることになっているらしいが死人がどうやって先払いできるのだ。
「姉ちゃん。お父さんとお母さんに挨拶」
出かける前にはかならず二人の写真に手を合わせる。お父さんお母さん。今度こそベストエンディングにします。
「『弟』君が幸せな結婚ができますようにっ」
ばぶっ?!
「それ俺のセリフっ?!」
「にししっ」
悪戯っぽく笑う彼女の表情は将来の美貌を匂わせるが、今のところ残念な娘のままだ。歯並びも悪くて歯列矯正している。ゲームスタート時には間に合うはずだが。
前世の両親のことはおぼろげにしか覚えていない。
だが、前世の両親含め、今世の両親を何度も俺たちから奪う運命の神には呪いの言葉を贈りたい。
たったふたつの感謝をこめて。
姉と姉弟にしてくれたことに感謝。
短い間でも愛してくれる今世の両親に合わせてくれたことに。
だから、どんな辛い目にも耐えてやる。
「姉ちゃん! さっさとがっこういかないとっ」
「うわ~! 今日も遅刻遅刻!」
「なにやってるんだよっ! 勝手に時計いじった挙句、間違えて一〇分遅くするとかありえんからっ!」
「うっさーいっ!?」
こうして、俺たちの日々は続く。
そんな日々が破れることもある。
二咲先輩は練習では鬼であるが、結構後輩想いだったりする。
大きな不平不満も細やかな悩み事まで速やかに察知して問題解決に動いてくれる。
苛めに苦しむモブを助けてくれたりもする。
俺たちと二咲先輩が仲良くなるのは自然なことであった。
「そうそう。姉ちゃん。今日は二咲先輩と遊びに行くから」
「えっ」
俺がそう告げると姉はいきなりボサボサ頭に櫛をポンポンあてだした。
「姉ちゃん落ち着け。姉ちゃんにはまだ育毛の必要はない」
というか女だろ。あんた。
「そっ そうだった!!」
あわふたとする姉。今度は素足にパーティ用の手袋を穿こうとする。
手袋はおふくろの遺品だが、こんな使い方をされてはおふくろも苦笑いだろう。
「姉ちゃん。姉ちゃん。五本指靴下でデートに行くやつはいないぞ」
多分。
というかそれは手袋だ。
慌てふためく姉は柑橘系の消臭剤を頭にかけだした。
「違う。姉ちゃん。それは脇にかけろ。てかブラウス脱いでからだ」
ああ。ブラウスに染みができても知らんぞ。
「下着下着っ」
その赤いのは俺のボクサートランクスだ。
まさか勝負下着のつもりか? というか、まだ未成年で淫行は 俺 が 許 さ ん 。
俺はクラシック音楽からジャズ音楽にインターネットラジオの曲を変えて、淹れたてのエスプレッソの香りを楽しみつつ姉が落ちつくのを待つ。
「二咲先輩とカラオケに行くんだ」
「うんっ! うんっ!」
コクコクと首を振る姉。
「ついでに買い物にも行こうかと思う」
姉の服はあまりにも地味で残念だからな。『バイト料』入ったし。
こんな残念な姉では攻略もままならない。マジで。
「あと、参考書も欲しいし」
五葉先輩のおすすめだ。
姉にはイケメンどもを攻略する基礎的な教養ステータスが足りない。これでは攻略が滞る。
「うんっ! うんっ! お膳立てしてくれた『弟』君のために頑張るっ」
意味が分からんが。
「姉ちゃん。まさか今日は姉ちゃんと二咲先輩がデートするとか思ってね?」
「……違うの?」
姉は実に残念そうな表情をしていた。残念なのは姉の頭である。
あ。先輩たち含め部活みんなとのカラオケはすごく楽しかったことを伝えておこう。うむ。
というか、二咲先輩と姉って接点できそうにない。
やっぱり一之宮先輩に路線を戻すべきなんだろうか。
「そろそろここらでウルトラソウォルッ!!」
乗りに乗る俺たちに合わせて終了の電話まで乗っていた。
曲指定するんじゃない。しかも古い?!
「いいぞここらでウルトラソウル!!」
先輩も乗らないで?!
「ウルトラソウル!」
「声が小さい!」
「ウルトラソウル!」
「いいすね! では三十分延長サービス!」
「ウルトラソウル!!」
なんなんだ。この世界。
喉が枯れ果てた。別ルートを検討することにする。
体育会系のノリは辛い。二咲先輩は悪くない。
さて。
次なるターゲット、『一之宮 栄一』は優等生である。
そんな彼とゲームスタート時は残念な姉の最初の出会いイベントは『朝遅刻しかけてパンを咥えて走る姉がバナナを踏んづけて転び一之宮とぶつかって服を破いてしまい、色々あって恋が生まれていく』というベタベタなものだ。
少女漫画ではお馴染みと言うが調べてみたらそんな漫画はない。どうなっているのだろうか。
今日も今日とてバナナを姉に設置する作業が始まるのだが、道端にバナナを設置するのは意外と大変である。
まず。老人が転ぶと傷害罪になり兼ねない。これは万全の警戒を必要とする。
子供が転ぶのもよくない。俺は弱い者いじめの趣味はない。
通勤途中のサラリーマンが転んでは日本の経済に影響がある。あってはならない。
都合よく姉貴だけ転び、『一之宮 栄一』にだけにヒットせねばならない。
これは万難を排して行わなければならない事業である。
ちなみに『一之宮 栄一』は近所に住んでいる。
一回出会いに成功すればあとは順調にフラグ値を高めることができる攻略面では最もやさしい初心者向けのキャラなのだが、なぜかこれがうまくいかない。
姉貴をうまく突き飛ばしても電柱にぶつかる。
姉貴がきれいに転んでも犬の糞を踏む。
姉貴がきれいにジャンプしてもトリプルアクセルを決めて周囲の喝采を受ける。
姉貴よ。ちゃんと一之宮にぶつかってくれっ?!
というか一之宮先輩。拍手している場合ですか。
出会いイベントしてください。
そんな姉貴だが、その日は不味かった。
見事に転んだ姉貴は一之宮先輩の腕をとっさに掴んだ。
苦節一〇回目にしてやっと成功。姉貴。よくやった!
びり。
一之宮先輩の袖がやぶけた!
おっし! よくやったぞ!
姉貴! 今日は赤飯だ!!!!
がっしゃーん ごろごろ ずてーん
一之宮先輩はすごい勢いで自転車から転がり落ち、坂の下に落ちていった。
「どうしよう。一之宮君を怪我させちゃったよ」
泣き出した姉を見て俺は一之宮ルートをあきらめざるを得なかった。
一之宮先輩。すいませんでした。今度バナナを持っていきます。
……。
……。
ここは仕方ない。三笠先生ルートしかないか。
気が付くと講義が終わっていた。
時間進んで場面も変わって、塾の中。
伸びをする学生。今更居眠りに気付いて照れ笑いをする少女。
退屈な講義が終わり、ざわめく塾の一室。
俺は手早く荷物をまとめるとさっさと部屋を出る。
べ。別に五葉先輩が待っているとかそういうことはないからなっ? ホントだぞ。
俺たちは講義が終わるとものすごい勢いでケータイを取り出してTwitterを見たりFacebookに興じたり、如何に親を誤魔化して夜の街に遊びに行くかという層ではないのは間違いないからな。
教室を飛び出して汗臭いデブの横をすり抜け、フラフラ動くガリのそばを駆け、出口で思わず首を左右にきょろきょろ。
「いつも早いですね。『弟』君」
少女の声。
振り向くと塾の建物の壁に軽く長身を預けた五葉先輩。ニコニコ微笑んでいる。
「特進クラスは違いますね」
「五葉先輩のご指導のおかげです」
あと一之宮先輩とか。
「一之宮君で思い出した。一之宮君、自転車で転んで怪我しちゃったって」
「すいません。姉をつい突き飛ばした挙句バナナで姉が転んで」
「漫画みたい」
乙女ゲーです。五葉先輩。
「とりあえず、帰りましょうか」
別に付き合っているわけではないが、腕が触れるか触れないかの距離で歩く俺たち。
あ~。その。姉の親友は無下にしないというか、他意はない。誰だリア充死ねとか思ったやつは。手も触れたことないから。
きゅ。
「せんぱい?」
掌の小さくて柔らかい感触に振り返ると彼女の小さな掌が俺の手を握っている。
「♪ ♪ ♪」
ニコニコ微笑む先輩。
「は、恥ずかしいです」
「親友の弟の手を握ってナニが悪いのか」
五葉先輩。姉の真似は辞めてください。マジで。
てか、いい匂いするしっ?!
ナニつけているんですか。五葉先輩。ちょっとドキドキしてしまいますっ!
「さっさと歩け。後輩」
「は、はい」
周囲の刺すような視線に気づいた俺は足を動かすが。
「右手と右足が同時に出ているわよ」
「……」
うん。乙女ゲーでもモブに役得はあるらしい。俺はちょっと感動しながら五葉先輩と歩く。しかし。
「三笠先生ってかっこいいよねぇ」
ん?
「四宮君だったっけ? ショタっぽくてかわいいよね」
はい?
な、なんだろう。心なしか五葉先輩の爪が掌に食い込んでいる気がする。
「あ~。『弟』君とどんな関係なのかしら。
ひょっとして二人っきりで授業とか」
「しますよ」
「可愛い弟分に勉強を教えたり」
「五葉先輩の指導の賜物で、俺も多少は人に教えることが」
「……」
なぜか押し黙る先輩。心なしか歩調が早まっている気がする。
「三笠先生ってかっこいいよねぇ~♪」
なんだろう。今日の五葉先輩はいつもより笑顔が一割増しなのに。
「ですね。ああいった落ち着いた男になりたいですね」
「だねぇ~」
すんげー怖いんですけど。
「個人授業に、一緒にカラオケかぁ」
「あの人はプライベートでは結構気さくですよ」
「『弟』君ってやっぱり」
やっぱりって?
まて。最近姉の部屋に妙に多いBL本。出どころはどこだ?
ずごごごご。
周囲に不穏なBGMが流れ出した。
繰り返すがこの世界は乙女ゲームの世界である。
「誤解があるようなので今のうちに訂正しますが、男性には興味はありません」
「ホントに?」
ニコニコ笑う五葉先輩。
「本当ですよ」
「へぇ~。男の友情とかないの?」
「先輩の考えるような関係ではないです」
「本当に?」
「本当ですよっ?!」
俺と五葉先輩は結局そのまま電車に乗り、我が家で姉の作ったクッキーを食べることとなった。
五葉先輩に姉は言った。
「『弟』君はノーマルだったか」
どういう意味だ。姉よ。