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八球目 小野家が迎える試練

 後頭部にライナーの直撃を受けた学人は、マウンドの上に沈み込んで昏倒、担架で退場することとなってしまった。チームドクターによって応急処置が施され、早急に救急車が手配される。

 慌ただしく身柄を動かされているにも拘わらず、当の学人には意識を取り戻す気配が全くない。そんな騒ぎの中、球団広報によって呼び出された小野家の連中が医務室へと駆け込んできた。

「ガクトは、ガクトはどうなるんですか!?」

 美里が入るなり大声を張り上げる。

「奥さんですか? 御主人は、おそらく頭蓋内出血を引き起こしています」

「で!?」

「早く病院に運ばないと非常に危険なのですが……」

「ですが何!?」

 この、都合の悪いことをお茶を濁すように告知しようとする医者独特の態度に業を煮やしたのか、美里がドクターに掴み掛かってしまった。

「病院が遠いんです。場合によっては下半身不随になりかねませんし、状況によっては最悪の事態も有り得ます」

 胸元を美里に掴み上げられたままドクターは、いたって冷静に言葉を返す。美里はその場に力無く崩れ落ち、俯いて涙を零した。


 座り込んだままの姿勢で学人顔を向け、静かに呟く。

「まさかあたしを置いてったりしないよね? ガクトも置いてかれる辛さを知ってるなら、間違ってもあたしを置いてったりしないでよ……?」

 学人は美里と知り合う前に交際していた女性を事故で亡くしていた。相手に対する想いが強ければ強いほど、その相手にしがみつき、縛り付けられ、全く身動きが取れなくなってしまう。

 交際当初の学人の堪らなく辛そうな様子を間近で見てきた美里であるだけに、そして、学人の元恋人に対する想いに負けないぐらい学人を想っている美里であるだけに、どうしても失いたくなかった。そしてそれは、学人自身の死に打ち勝つ体力と、生きようとする気力にかかっているのだ。









 十分後、漸く救急車が到着。まだ意識が回復しない学人とその家族達を乗せて救急病院へと向かった。病院に向かう道すがら、球場ではただならぬ気配を察してか、一言も発さなかった娘達が美里の両脇から袖口を掴んで引っ張りながら、

「かはんしんふずいってなぁに!?」

「さいあくのじたいってなぁにー!?」

 と、幼児独特の、中途半端に舌足らずで間延びした口調で一気にまくし立てる。

「下半身不随っていうのはね、パパのお臍から下が死んじゃうこと。最悪の事態ってのはね、パパの体全部、つまりね、パパが死んじゃうってこと」

 小虫の羽音のような頼りない声色が、元グラビアアイドルだった美里の調った唇から漏れる。

「「パパ死んじゃうのー!? パパ動けなくなっちゃうのー!?」」

 これが双子のシンクロというものなのだろうか、二人の、よく聞かないと区別がつかない程全く一緒な声色が、物の見事にハモった。

「「ねえママー、パパ死んじゃうのー!?」」

 まだ年端もいかない幼稚園児二人組が言うことである。何の遠慮も無いこの、ストレートな物言いも仕方ないといったところだろう。

 美里としても、いい知らせを聞かせて早く子供達を安心させてやりたいところだろうが、まだチームドクターの見立てだけでは何も言ってやることが出来ない。

「「ねえ、パパどうなっちゃうのー!?」」

 なおも二人が美里の袖を引っ張っている。ビロビロに延び切った長袖が、美里の両手を不格好に覆っていた。

 美里の沈黙に耐え兼ねたのか、ついに長女深幸が、

「わぁー! パパが死んじゃうよー!!」

 大声を張り上げ、泣き出してしまった。それに釣られて真幸も『やだぁー!!』と泣き出す。幼稚園児二人組による、醜く騒がしい、不揃いで不格好な大合唱が始まってしまった。


    パシィ!


 不穏当な音が、騒音を掻き鳴らして赤色灯を回しながら道路をひた走る、緊急車両の中に響き渡る。その音源は、真幸の頬だった。

 左の頬に真っ赤な手形を付けた真幸が、男の子然としたキッとした目つきを己を殴り付けた母親へと向け、無言の抵抗をしている。犯人である美里も、己の娘を殴るだけ殴ってそのまま黙り込んでしまった。

 意味もなく緊張した時間が流れていく。真幸が黙ったのを契機に、深幸もまた黙っていたが、この二人が美里へと向けている目は、とても自分の母親に対して向けるような目つきではない。この二人、理不尽な攻撃に対してきっちりと敵意を向けることが出来る芯の強さを持っているようだ。

《この強さ、学人譲りだ》

 不意に今目の前で、死神と格闘している最中であろう最愛の男性の精悍な顔立ちが、意識の中にフィードバックされてきた。それを取っ掛かりに、二人の様々な思い出が次々と浮かんでくる。

《だめ! 何ガクトの走馬灯なんか出してんのよ、あたしの頭!》

 学人の死を認めてしまったかのような己の思考を、大きく左右に頭を振り乱して必死に打ち消そうと試みる。だが、ぐったりと微動だにしない学人の姿が、それを打ち消させてはくれなかった。

「ママのバカ!」

 突然真幸から放たれた一言。それは、理不尽な一撃に対する遅巻きな反撃。その非難の言葉を美里は全面的に受け入れ、謝罪を始める。

「マユちゃん、ごめんね、ほんとにごめんねぇ……」

 そして打った理由の説明を始めた。

「あのね、人ってね、【死んじゃう】って思われたら、ホントに死んじゃうことがあるの。だからね、どんなに死んじゃいそうになってても、【絶対死なない】ってお祈りしなきゃだめなの」

 二人の子供達は、解ったような解らないような、微妙な顔をしている。

「だから、何があっても【死んじゃう】なんて言ったらだめなの。ミユちゃんも解った?」

 やっとのことで病院に到着、学人の命は、救急救命士から脳外科医へと預け先を変えることとなる。

 これから先は、X線撮影、CTスキャンといった検査を経て、おそらくは間を置かずに手術の運びとなるだろう。検査などせずとも昏倒している時点で【異常有り】は確定しているのだが、なんであれ現状把握のための検査は必要となるのだ。

 病院から、学人受け入れチームが慌ただしく飛び出してきた。そして、病院内へと搬入していく。

 その猛ダッシュに学人の手を握る形で加わっていた美里は、

「絶対にこっちに還ってきなさいよ! もし置いてったりしたら、あたしもすぐにそっち逝って、しこたまぶちのめしてやるんだからね!」

 と、ややきつめの励ましの言葉をかける。そしてついに、学人の体が検査室へと消えていった。

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