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十三球目 学人のスイッチ

 いよいよ運命の時がやってきた。学人が意識を取り戻したのである。本来ならば喜ぶべきことなのだろう。最愛の人がこの世の縁から生還したのだから、美里にとって嬉しくない筈が無い。


 が……。


 当の美里はどうしても憂鬱な気分になってしわずにはいられなかった。せっかく生きて還ってきた最愛の人を自分の言葉で絶望の縁へと叩き落とさなければならないのである。

 だからといっていつまでも学人の目から逃げ続けている訳にはいかない。いつか近いうちに必ず告げなければいけない時が来るのだ。【あなたの下半身は死んでしまった】と。さっきまでの段階で既に押し潰されそうになっていた美里の精神力が大榎の一言によって完全に潰れてしまう。もう、今の彼女には、かろうじて平常心を保つのがやっとだった。

「美里さん、しっかりしてください。あなたがいってあげなくてどうするんです」

 見かねた知昭が、半ば放心状態の美里の両肩を揺すりながら励ます。ここは美里以外の者の出る幕ではないのである。

 ようやく覚悟を決めた美里は、薬品臭が漂う病室へと一歩足を踏み出す。一歩動いてしまえば、後はもう前へと進むだけだ。自然と早足になっていく。元々は待ち侘びていた瞬間である。その顔には、満面の笑みが張り付いていた。

「お帰りガクトォー!」

 満面の笑みに涙を湛えた美里が上体を起こしている学人に飛び込むように抱き付く。

「おいおい、いってーなぁ。もうちょっと病人をいたわってくれよな」

 あまりにも強烈なスキンシップに学人が苦笑いを浮かべた。確かにこれは、生死の縁から還ってきた者に対しては強烈なパフォーマンスだろう。

「なんか美里の泣き笑いって初めて見たなぁ。心配かけてごめんな」

 めったに嬉し泣きをしない人が、人目を憚らず泣いているのだ。彼女の一番魅力的な表情である満面の笑みを浮かべて。

《今まで直ぐ隣にいるのが当たり前だったからあんまり意識してなかったけど、美里って相当綺麗な人だったんだな》

 初めて見る未知の美里に改めて惚れ直した学人は、胸に秘めていた思いを口に出した。

「なあ美里、俺の足って、麻痺じゃないだろ。多分もう、神経が繋がってねえんだ」

「えっ!?」

「解るさ。俺の足だぞ。布団被ってるのに脛に感触ねえし、ベッドに引っ付いてるのにふくらはぎにも感触ねえし。それよりなにより、動け! って思ってもちっとも動かねえしな」

 苦笑いしながら学人が答える。

《何だろう。何この人はヘラヘラ笑ってるんだろう》

 今までの自分の心配はいったいなんだったんだろうか。そんな思いが急速に美里の心の中に広がって行く。学人のあまりにもサバサバした態度に、安心を通り越して怒りを覚えてしまった。

 本気で怒った表情を浮かべて、学人の腹部に軽い正券突きを喰らわす。

「あんまりヘラヘラしないでよ。本気で怖かったんだからね、あんたにそれ告げるの……」

「怒ってる顔も結構綺麗だな。その顔見てられるなら、もっと怒らすようなこと言ってもいいかな」

「ふざけないで」

 決してふざけたことを言っているつもりはない。この決心を告げると、今の美里なら気が触れてしまいかねないほどショッキングなことを学人は言おうとしているのだ。

「落ち着いて聞けってのが無理な事は解ってる。俺次にすっっっっげえひでえこと言うぞ。俺に【足死んだ】って告げようとしたときと同じぐらいの覚悟しといてくれ」

「なによ、おまえ殺して俺も死ぬとか言う気なの?」

 本当はこんな事は言いたくない。だが、お互いの生活がかかっているのである。嫌々ながらも、どうしても切り出さなければならなかった。

「多分美里にとってはそれよりひでえことだと思う。なあ、俺達……、別れようか……」


    《!》


 突然の申し出に、美里は絶句した。目に見える状態の変化として、まずは涙の量が倍ぐらいに増す。

 訳が解らない。いったい何がいけなかったのか、美里には思い当たる節が全く無かった。

「そりゃ……、あたしだって完璧な妻じゃないよ? でも……、いきなり【別れる】はちょっと酷いんじゃないの……? 嫌なとこがあるんなら言ってよ……。あたし、出来る限り直すからさ……。……ね……?」

 これが彼女に出来る最上級の返答だった。全く訳が解っていないのだ。これ以上の返答など、出来る筈もない。

「いや、美里が悪い訳じゃねえんだ……」

 学人の説明は最後まで続かなかった。

「悪くないならなんで!? そんなに生理的に受け付けないなら、告った時に振ってくれたらよかったじゃないの!」

 もはや話し合いが通じそうにないほどの興奮状態に陥ってしまった美里に言葉を遮られてしまったのだ。彼女は今、必死なのだ。最愛の人から捨てられまいとして必死なのである。そんな美里に、それは全くの逆効果なのであると気付ける筈もない。

「いや、だから……」

「いやだから!? 嫌だからって言ったの今ぁ!? そんなに嫌なら殺せばいいでしょ!」

 殺せという言葉に反応したのか、病室の外にいた連中が

「おい、どうした!?」

 と血相を変えて飛び込んできた。突然の外野の闖入に、

「みんな、助けて! ガクトが別れるとか訳の解んないこと言うのぉ!」

 と、ヒステリックに喚き立てて、ここぞとばかりに加勢を求める。

 こうして学人対それ以外の舌戦が勃発してしまったのだ。



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