十一球目 閉ざされた夢への扉
手術が終わり、執刀医が姿を見せる。それを見つけた代表通訳が、経過を聞きに向かって行く。
それを見つめる美里の顔からは、ありありと緊張の色が窺い知れる。待合所の空気は、彼女を中心に緊張感の渦に叩き込まれたかのように張り詰めていた。
両脇には、幼子。一人は小刻みに震え、もう一人は、涙を流している。
その幼子達の頭を優しく撫でている美里自身もまた、小刻みに震えていた。
代表通訳が医者との面談を終え、美里の元へと運命の言葉を告げに帰ってくる。そう、
「一命は取り留めました。生命を救う手術は成功です」
という言葉と、
「でも……、やはり小野選手の下半身は、不随になってしまったそうです」
という言葉を。
解り切っていた筈ではあったが、こうして直に報告を上げられると美里の震えはいっそう激しくなり、涙が滝のように溢れ出てきた。
そのタイミングで試合を終えた日本代表の選手達が病院へと駆け付けてくる。
「どしたんなぁ、美里ちゃん!? ガッくん去んでもたんか!?」
声も無く大泣きしている美里を見て、一番始めに学人の死を疑ったのは、四番を打っていた剣持和俊だった。地元中国弁丸出しで畳み掛けてくる。
「でも、命は助かるようなこと言ってませんでしたっけ?」
落涙によって言葉を発することの出来ない美里に代わって、学人と同じ沖縄シュバルツの投手である門倉慶輔が、美里の肩を狂ったように揺さぶっている和俊に説明する。
その間を割って入るように今日の試合で先発した宇都宮ノワールの大榎貴志が、
「済みません奥さん! 俺がピリッとしなかったばっかりに、こんなとんでもないことになってしまって……」
と美里に対し、深々と頭を下げる。
そこに、澄み切った甲高い声が割り込んできた。
「パパは生きてるってあのおじちゃんが言ってたよ。でも足動かないんだって。だから、ボクが大きくなったら、パパの代わりにシュバルツで投げるの」
主は、真幸だった。幼子は、叶わぬ夢と共に学人が置かれている状況の全てをさらりと語ってしまった。
一瞬の静寂。この一瞬がどれほど重い静寂であるのか解っていないのは、おそらく真幸本人と深幸の二人だけであろう。
その事実がまた、全てを理解している、真幸がプロ野球選手になれないのだということを理解している美里を、声を出して号泣させてしまった。
突然声をあげて泣き出した母親に驚いてキョトンとしている真幸を見ながら、困った顔で和俊が何かを考え込んでいる。
そして、意を決したように頷いて、真幸へと歩み寄っていった。
「あのねマユちゃん」
「あー、剣持のおっさんだぁー」
懐かしい顔に、真幸がはしゃぐ。今でこそチームは違っているが、彼もまた、一昨年までシュバルツでプレイしていたのだ。小野家との親交がわりと深かった和俊に、真幸はすっかり懐いてしまっていたのだ。
和俊を見つけてはしゃいでいる真幸を見詰めながら周りの大人達全てが、大泣きしていた筈の美里ですら、二人に対して哀れみの目を向けている。
絶対に叶わない夢を持ってしまった幼子と、それを告げようとしている大人。この二人は、おそらく同じぐらい不憫だろう。
なかなか言い出せずにいるのか、黙りこくっている和俊に対して、両手を口に宛てがい、頭を左右に振るジェスチャーで【言うな】と指示する男がいた。
今日、学人のボールを受けていた玉木知昭だ。
無視して真幸に歩み寄って行く和俊を見るに至り、とうとう声に出して
「駄目です」と指示する。
「今、漸くマユちゃんでもプロになれる道が開けてきたんです。マユちゃんが大きくなる頃には、力さえ伴っていれば普通にドラフトにかかる時代が来ている可能性も、少なからずあります」
確かに道は開けている。日本プロ野球機構所属チームではないが、真幸と同じ境遇にある者が、入団テストを経てプロとして採用されたというニュースはまだ記憶に新しいところだ。和俊もこの意見には納得したらしく、
「よし! じゃあ、おっさんがマユちゃんから一番最初にホームランかっ飛ばしてあげるからねー」
と、真幸の頭を撫でながら激励の言葉をかけた。
「やだやだやぁだー! ボク、おっさんとおんなじチームで投げるぅー!」
幼稚園児らしく両腕をブンブンと振って、真幸がかわいらしく駄々をこねる。
「でもねマユちゃん、今はまだマユちゃんはシュバルツに行けないんだってことは覚えといたほうがいいよ。お兄ちゃんもマユちゃんの球受けてみたいんだけど、【女の子は、日本プロ野球機構のチームには、無条件で入れない】んだ」
横から知昭が、駄々をこねる真幸に伝えてしまった。
「ワリャア、ゆうちゃいけんっちゅうといて、自分でゆうとるっちゅうんはどういうことなぁ……、お!?」
やくざ映画さながらの中国弁で和俊が知昭に掴み掛かってしまった。先刻の知昭の言葉によって、一人の幼女の夢が完全に打ち砕かれてしまったのである。和俊が激昂するのも無理の無いことだった。
「剣持さんは順番が逆だったんです。いきなり【行けない】と言うより、【可能性は有るけど今はまだ行けない】と言ったほうが精神的なダメージは低く済むんです」
知昭の冷静な解答も、激昂している和俊にとっては詭弁にしか聞こえなかったのだろう。
「ワァリャァ……。この期に及んで何をほざきよんじゃい!」
知昭の身体を思い切り引き寄せ、握った右手を振り上げてしまう。そこへ、一雙の助け船が滑り込んできた。
「やめてよ二人とも! 今はガクトの心配してあげてよ!」
美里が金切り声をあげたのだ。更に、
「今ガクトには、みんなのサポートが必要なんだから……」
消え入るような声で続け、またしゃくり上げ始めてしまう。
美里の言葉に一触即発状態は解けたものの、代わりにとても重苦しい雰囲気がのしかかってしまった。【学人の下半身が死んでしまった】その事実が醸し出すプレッシャーは、集まった面子にとって今まで感じたことのない威圧感なのだろう。それぞれが沈痛な面持ちで俯いている。
そんな状況の中、学人の身柄が手術室の中から運び出されてきた。
突然襲ってきた故障と学人達の闘いのゴングが、今、鳴り響いたのである。