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十球目 子供達の覚悟

 【ドリームズカムトゥルー】夢はきっと叶うという意味の英文。夢を打ち砕かれた者にとって、あまりにも酷な励ましの言葉である。今手術台の上で頭蓋内出血と闘っている想い人の夢は、決して自力で立ち上がり、歩行することではないのだ。

 それが解り切っているだけに、美里は複雑な気持ちになってしまっていた。【死なないでほしい】という気持ちと、【死んでほしい】という気持ち。この相反する二つの感情が入り乱れているのである。

 最愛の人。その気持ちは、結婚から六年経った今も変わらない。変わるわけが無い。何度も結婚を拒まれ、それでもしつこく追い回して結婚をせがみ続け、ようやっと相手を口説き落としたのは美里のほうなのだから。

 学人の作詞作曲によるシュバルツ応援歌【白を際立たせる色は黒】の中にこのようなフレーズがある。



『野球園から勝鬨が挙がり

黒い空を埋め尽くす

黒い軍団がダイヤモンドを駆け巡り

黒い波がスタンドにほとばしる


内と外が一つになったとき

赤い炎が宙に舞う


この瞬間が好きだから

勝鬨のため力を尽くし

その勝鬨に力を尽くす


内と外が一つになれる場所それが沖縄野球園

そしてそれが沖縄シュバルツ』



 学人が入団した六年前、シュバルツが初の日本一に輝いた時の様子を描いたものである。この想いを彼はもう、遂げることが出来なくなってしまったのだ。

《かわいそう……。活躍はこれからだってのに》

 数々のテストを経て漸く完成した、不沈潜水艦小野学人号。その潜水艦は、完成したそばから壊れてしまった。こんなとき、自分は人生の伴侶としてなにをするべきなのだろう。

 手術室前のランプが赤く光っている。だが……、そこから出てくるのは、既に死んでいる学人なのだ。野球を失い、下半身をも失ってしまった。夢と生活基盤の一部を纏めて失ってしまった生ける屍なのである。



 真幸は深幸と共に、美里のトレーナーの裾をビロビロに伸ばすほど、力強く握り込み、かつ、思い切り引っ張っていた。下方から見上げる母親の様子。その仕種からは例え幼稚園児であっても容易に想像できるほど明らかに不安がっている。否、怯えている。

「ママ、きっとパパ大丈夫だよ。だって先生、ニコニコしながらボクの頭ナデナデしてくれたもん」

 真幸なりに精一杯の言葉をかける。母の不安や怯えは正直自分のそれをも引き出してしまうのだが、幼いながらも、それを既に克服していた。

「パパは凄いピッチャーだった。だから、ボクも負けないようなピッチャーになるからね」



 美里は目を見張った。理解している。自分の父親が今どうなっていて、そして、これからどうなるのか、こんなに幼いのに、しっかりと理解している。

 そして、自分の不安を見抜いて真幸なりに、言葉は足りないながらもしっかりとフォローしようとしてくれた。

《駄目だな、あたし。あたしがしっかりしてなきゃいけないのに……》

 自分と二周りも歳が離れている相手からの懸命な励まし。なんとしてもここを踏ん張らなければならない。

「うん、そだね。ママが助けてあげないとね」

 まだその身体は小刻みに震えているが、気持ちはかなり落ち着いて来ている。少なくとももう死んでほしいという気持ちは無くなった。それだけでも真幸が果たした役割は大きいといえる。

「ありがと、マユちゃん」

 にこやかに笑いかけながら、美里は真幸の頭を優しく撫でた。



 深幸は、逆隣りに居る真幸へと向けた笑顔によって母の不安は去ったのだということを完全に理解した。まだ震えているものの、それも微弱なものへと変わっている。

「ママ、パパが立てなくなっちゃっても、ママとマユちゃんとミユで頑張って助けてあげればいいんだもん」

 涙目にはなっていたが、幼いなりにはっきりした口調で意志を表明する。そして、こう繋いだ。

「今までいっぱい助けてもらったもん。これからはミユ達が助けてあげなきゃ」

 覚悟は固まっていた。母の様子から、父の下半身は死んだのだということは察しが付いている。立って歩けなくなるだけ。それなら、自分が足代わりになってあげよう。それが深幸の考えだった。



 実際にはそれほど簡単な問題ではないのだが、実際問題として、小学校卒業ぐらいまではそれぐらいしか出来ることが無いだろう。

「じゃあミユちゃん、マユちゃん、一緒に頑張ってこ」

 美里が感謝の泣き笑いを両脇に振り撒くと同時に手術中のランプが消え、手術室から執刀医が姿を現した。




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