箱入り令息の誤算
恋愛――それは信じることなのかもしれない
朝、王宮へ向かう辻馬車の狭い座席には、白銀の甲冑に身を包んだ男と、艶やかな黒髪を靡かせた男が向かい合っていた。
「アルテ様」
男――騎士のフェデーレは、対面の男を見つめていた。その瞳には、妙な熱が宿っている。
「何だ」
もう一人の男――貴族のアルテは、表情を変えずに窓外を眺めていた。礼服の中から覗く彼の肌は、陽光を弾くほどに白い。
「今日こそは、あなたのお心を私に全て委ねていただきたい」
これが少女漫画ならば、ヒロインが胸をときめかせる完璧なシチュエーションだろう。
だが、生憎ここは現実の馬車の中である。
「……前にも言ったはずだ。私は見た目こそ若いが、精神は人間の老人とさして変わらない。外見に惑わされるな」
アルテは、窓外へ視線を向けたまま低く短い声で答えた。
彼は、前世の記憶を持ったまま、王家の次に権力を持つ大貴族の令息に転生した。
『争いのない今世こそ、魔法の研究もそこそこにして、ニートのような平穏な隠居生活を送ろう』
それがアルテの望みだった。
「存じております。けれどそれは、前世でのこと。今のあなたは知識が豊富な美しい……完璧な人間です」
アルテは、呆れるようにため息を吐いてから指摘した。
「……フェデーレ、根本的な事実を確認させてほしい。私は男で、あなたも男だ。そうだな?」
「性別など、私の愛の前には些細な問題です!」
フェデーレの声が一段と熱を帯びる。
「たとえあなたが、数百年の前世の記憶を持つ老人のような精神であろうと関係ありません! 私があなたの専属騎士になって初めてお会いしたあの時、あの瞬間、あの感情を――私は今でも、忘れることができない!」
「(あ、だめだこれ。私が何を言っても通用しない。それどころかむしろ悪化している)」
アルテは内心で頭を抱えた。
目立たぬよう、背景に溶け込むための選択が、全て裏目に出ている。
フェデーレという男を一言で表すなら、超エリートだ。
平民出身の十九歳にして、王国騎士団の副騎士団長に就任した、智勇兼備の騎士である。
そんな男が、怜悧な頭脳を全て『いかにして主君を口説き落とすか』という一点のみに費やしていた。
「アルテ様。あなたがその気になってくれるまで、私はあなたから離れません」
「いや、騎士団の仕事はどうした」
「あなたを愛すること以上に重要な任務など、この世に存在しません!」
主君の前で、とんでもない職務怠慢を宣言するフェデーレ。
諦める気配のないフェデーレの、端正な顔と逞しい体躯が、逃げ場を塞ぐようにアルテの視界を埋めていく。
「……私は、平穏に暮らしたいだけだ。これ以上つきまとわれては本当に困る」
アルテは、どこかたどたどしく堅牢な甲冑の肩を控えめに押し返した。
すると、フェデーレは嬉しそうに目を伏せ、アルテの細い掌をそっと両手で包み込んだ。
「そんなに、私のことがお嫌いですか?」
「そうではなく――」
「ならば、私があなたの『特別』にふさわしいと証明してみせましょう」
「えっ?」
姿勢を正してから、フェデーレは言った。
「来週、王宮で武闘大会が開かれます。そこで私が優勝したあかつきには、一度だけでいいので、私とデートをしてください」
フェデーレの双眸に、自らの目的を果たすための、本気の野心が宿る。
それは、一種の取引の提示だった。
「……分かった。一度だけだぞ」
「本当ですか!」
歓喜に舞い上がったフェデーレは、アルテの手の甲にそっと唇を落とした。
やがて王宮に到着すると、フェデーレは先ほどまでの浮かれた様子が嘘のように、颯爽と馬車を降りた。
そこにいたのは、胸許に手を当て、泰然とした表情で主君の下車を待つ聡明な騎士だった。
残されたアルテは、自分の手の甲を一瞥してから、馬車から降りた。
「(前世の記憶を持って転生したかと思えば、まさか男に口説かれる羽目になるとはな)」
しかし、由緒ある武闘大会の主役は、最初から決まっていた。
会場には身分を問わず、多くの観客からフェデーレへの黄色い声援が飛び交っていた。
そして気づけば、決勝戦。
試合はあっけなく、当然のように、フェデーレの圧勝で終わった。
会場のあちこちからまばらな拍手が起こる中、観客の視線など一顧だにせず、フェデーレは満面の笑みで貴賓席に座るアルテへ手を振っていた。
〇 〇 〇
武闘大会から数日後――。
城下町の営みから離れた静かな裏通りにある、素朴な喫茶店。
昼の三時。店内には、透き通るような青い瞳を持つ男と、茶菓子を嗜む小柄な男が丸テーブルを挟んで向かい合っていた。
「いい場所だな」
「お気に召しましたか?」
「ああ」
フェデーレは首許の四角いロケットを揺らしながら、愛おしそうにアルテを見つめた。
「次は、もっと面白い本がある店を探してきますね」
アルテは、瞬きを繰り返してから珈琲を一飲みし、間を置いて言った。
「……一度だけだと言ったろう」
「では、また武闘大会で優勝します」
アルテは、カップをソーサーへ慎重に置いた。
それでも小さくカチャリと音が鳴り、額を押さえた。懲りる気配がない。
「年次行事で無双する気か。……そう言うと思って、先日の武闘大会での活躍を理由に、お前を『殿堂入り』にしてほしいと、私から陛下へ頼み込んだ。快く了承してくれたよ」
「えっ……」
時計の秒針が、少し大きく響いた。
アルテは、波打つ珈琲に目を落としながら、脳裏で今日のデートを振り返った。
城下町のベンチで待ち合わせ、魔法店では古書を買い、昼はテラス席で淹れたてのハーブティーと、トマトソースのパスタを突いた。その後は他愛のない会話を交わしながら散歩をし、今に至る。
感情を排し、事実だけを並べてみても、結論は同じだった。
「……楽しかったな」
ぽつりと誰に発したでもないアルテの呟きに、フェデーレの表情に浮かんでいた陰りが、氷解したかのように、みるみる明るくなっていく。
「ああ……私も、私もです! アルテ様! 私もとても楽しかったです!」
「うん。だからまた――」
微かなひび割れの浮かんだマカロンへ伸びかけたアルテの手が、止まった。
「アルテ様?」
遠くで、食器を触れ合う音と、客たちの雑談が聞こえる。
アルテはゆっくりと瞬きをしてから、マカロンを取った。
「……何でもない。明日からの公務も、よろしく頼む」
「はい……!」
フェデーレは首を傾げながらも、それ以上の追及はしなかった。
たった一度のデート――否、それをどう捉えているのかは、アルテ自身にも分からない。
それでも、もう一度、もう少しだけ、誰かを信じてみたい――そう思った瞬間が確かにあった。
しかし、珈琲カップから底が覗いても、アルテの中のつかえが、言葉になることはまだなかった。
【箱入り令息の誤算】
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
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【補足】
■アルテ
前世で300年以上を生きた魔法使い 転生後は人間の貴族になった 17歳
若いが両親の仕事を手伝っている 趣味はモノ作り
フェデーレに好意を向けられているが上手く応えられない
■フェデーレ
アルテに一目惚れした王国騎士団の副騎士団長 19歳
アルテに前世の記憶があることを知っている数少ない存在
趣味はアルテのことを調べる(ストーカーはまだしていない)、日記を書く




