第29話:「常連客(クライアント)」という名の首輪 ―― 病める情報屋と、地下酒場の損益分岐点
王都との交渉から一ヶ月。バールは驚異的な速度で変貌を遂げていた。
ヴェスタの指揮による外壁と堀の建設は急ピッチで進み、サラが率いる軍の規模も、第1区から引き抜いた極剣道パーティ150名とその傘下が加わり、総勢2600名まで膨れ上がった。 部下たちの入念な働きにより、軍事・経済の両面でバールは強固な要塞と化しつつある。
だが、表の国力が上がれば上がるほど、裏の「情報戦」の重要性が増してくる。 盤面を支配するには、敵の動きを事前に察知する目と耳が必要不可欠だ。
俺は今、マティアスに指定された場所へ向かっていた。 バール市街の西側、倉庫街の地下にひっそりと存在する酒場。看板はなく、薄暗いランプの光と、紫煙が充満するクラブのような空間だ。 護衛のサーシャを少し離れた席に待機させ、俺は一番奥のVIP用個室へと足を踏み入れた。
「……おや。本当に領主様ご本人がいらっしゃるとは。こりゃあ、驚きですねぇ」
革張りのソファに深く沈み込んでいた男が、気怠げに視線を向けてきた。 小柄でひどく痩せ細り、黒髪は無造作に伸び放題。目の下には深い隈があり、まるでこの世の全ての絶望を吸い込んだような、ひどく病んだ雰囲気を纏っている。 彼が、マティアスが裏で繋がっていた商人向けの情報屋、ヤンダルだ。
「マティアスから話は聞いている。お前の情報網を、バール政府の裏の諜報機関として買い取りたい」
俺が単刀直入に切り出すと、ヤンダルは「はぁ」と、ひどく面倒くさそうに頭を掻いた。
「買い取る、ですか。……お断りですねぇ」
ヤンダルは濁った目で俺を見た。
「俺は権力者の犬になるのは御免でしてね。……世の中、どこを見ても狂ってますよ。私腹を肥やす貴族、薬に溺れるスラム、すぐ殺し合いをしたがる軍人。俺はただでさえこの腐った情勢を憂慮して、胃に穴が開きそうなんです。誰かの下について、一緒に沈む気はありませんよ」
「奇遇だな。俺もこの世の非効率な腐敗には反吐が出る。だからこそ、システムを作り、お前のような有能な部品を組み込みたいんだが」
「部品になるのが嫌だと言ってるんです。……情報は売りますが、あんたの部下にはなりません。俺は俺の寝床で、静かに世界が壊れるのを見ていたいんですよ」
徹底した人間不信と、怠惰。だが、その根底には世の中の動きを正確に把握しているからこその「諦観」がある。
「なるほど。なら、雇用契約はやめよう。……お前は今まで通り独立した情報屋でいい。俺は毎回、お前の情報を高値で買う『常連客』になる」
俺はテーブルに、重みのある皮袋を置いた。中にはバールの新貨幣が詰まっている。
「……常連客、ですか」
「ああ。もし他国や他の貴族が、俺たちを裏切るような依頼や、俺を欺くための金をお前に提示してきたら……その『証拠』を持ってこい。俺が、相手の提示額を必ず上回る金額を払ってやる」
ヤンダルは皮袋の紐を少しだけ解き、中身の輝きを確認すると、ニィッと口角を上げた。
「……なるほど。相手に雇われたフリをして二重に搾り取り、最終的にはあんたに一番高い金を出させる。事実上の専属(仲間入り)と同じ機能を、金の力だけで担保するわけだ。……あんた、性格悪いですねぇ」
「合理的と言ってくれ。悪くない取引だろう?」
「ええ。金と欲だけは、この狂った世界で唯一信用できますからね。いいでしょう、契約成立です。お得意様」
ヤンダルは気怠げな態度のまま、懐からくしゃくしゃのメモを取り出した。
「早速ですが、南の隣国、サクレア領の動きがキナ臭いですねぇ。あそこは今、傭兵をかき集めて軍を不自然に拡張しています。領主のバイブラー伯爵本人は止めようとしているみたいですが……」
「……領主の意思を通さず、軍拡が進んでいるのか?」
「ええ。どうやら、サクレアのサトウキビ生産の利益を裏で横領し、私腹を肥やしている『別の貴族』が糸を引いているようで。その裏商人は、わざわざバールを避けて、もっと南の施設でサトウキビの加工を行っているとか」
俺は眉をひそめた。バールの経済圏から逃れ、独自の資金源でサクレアの軍部を動かしている黒幕がいるということか。
「それに、第4区方面から、ヤバい薬……『魔材』の密輸が急増してましてね。サクレアの傭兵たちも、それに手を出しているという噂です」
「……以前、盗賊が持っていた奴か」
点と点が繋がり始めている。南の動きは、放置すればいずれバールの喉元に食らいついてくるだろう。
「次は王都方面だ。何か動きは?」
「王都の市場から『小麦』が消えつつあります。国防局がダミー商会を使って買い占めているようです」
「……兵糧の確保、つまりバールとの『戦争の準備』だな」
俺の言葉に、ヤンダルは小さく首を振った。
「そう単純な話でもないかもしれませんよ。もちろんバールへの牽制もあるでしょうが……第4区での混戦地域の対応や、北の獣人国の不穏な動きに対する備えという線もあります。あるいは、小麦の流通を完全に独占して、食料を『他領を従わせるための外交カード』にするつもりなのかもしれません」
俺はハッとした。 軍事力だけでなく、食料というインフラを握ることで、バールを含む他領を兵糧攻めにする戦略。新王ウィリアムの裏にいる官僚なら、やりかねない。
「最後に一つ。第一王子のウィリアム殿下が王に即位しましたが……第二王子のマイル殿下の行方が分かっていません。王宮にはおらず、第1区の北の方へ逃亡したという噂が流れていますよ」
「……マイルが? 王位継承の対抗馬として、真っ先に粛清されるのを恐れて逃げたか」
第1区に逃げ込んだとなれば、あの巨大な軍事国家が彼をどう利用する気か。盤面が複雑さを増していく。
「報告は以上です。……ああ、それともう一つ、サービスで教えておきましょうか」
ヤンダルが、ニタニタと嫌な笑いを浮かべた。
「冷酷な死神領主様も、随分と変わられたものだ。……魔術学園の中庭で、泥だらけの手で花を差し出してきたミカを、冷たくあしらっていた頃とは大違いですねぇ」
ピタリ、と。俺の心臓が嫌な音を立てた。
「……なぜ、お前がそれを知っている」
この思い出は前世の記憶が戻る前の頃の淡い記憶だ。これを知っている人はいないと思っていた。俺の放った殺気に、ヤンダルは少しも怯むことなく肩をすくめた。
「情報屋ですから。人の過去、心の傷、隠したい記憶……そういう『弱み』を集めるのが俺の仕事でして。……安心してくださいよ。俺の口は、この鉄貨よりも硬い」
食えない男だ。俺とミカの出会いまで調べ上げているとは。 こいつの抱える情報網の深さは、俺の想像を超えているかもしれない。
「……物騒な世の中になってしまったな」
俺は立ち上がり、個室のドアノブに手をかけた。
「少し強い酒が飲みたくなった。バーカウンターで買ってこよう」
俺は個室を出て、薄暗いフロアのカウンターへと向かった。 マスターに蒸留酒を注文し、グラスを受け取ろうとしたその時だった。
「あぁん!? テメェどこ見て歩いてんだ!!」
背後で怒声が響いた。 酒に酔った大柄な男が、別の客に因縁をつけ、そのまま勢い余って俺の背中にぶつかってきたのだ。男が振り上げた太い腕が、俺の後頭部目掛けて振り下ろされる。
だが、俺の脳内にはすでに国家盤面の予測演算に基づく物理軌道が見えていた。
俺はグラスを持ったまま、最小限の動きで半歩だけ横へスライドした。 男の拳が空を切り、体勢が崩れる。 その瞬間、俺は空いている左手で男の腕の関節を正確に捕らえ、そのまま背中側へ捻り上げた。
「ガァッ!?」
「暴れるな。関節が外れるぞ」
俺は冷徹な声で告げ、男の耳元で淡々と囁いた。
「ここで俺に暴行を加えれば、治療費および慰謝料で銀貨2枚。店の備品を壊せば損害賠償でさらに銀貨1枚。加えて、治安維持法違反による拘束で、お前は向こう三ヶ月の労働収入を失う。……総額で金貨半分以上の損失だ。 今すぐ謝罪してここで引くのが、お前にとって最も『安上がりな選択』だと思うが?」
俺の異常なほど冷静な損益計算と、関節から伝わる圧倒的な力に、酔っ払いの男はすっかり青ざめていた。
「ひっ……わ、悪かった! 俺が悪かった!」
「賢明な判断だ」
俺は手を離し、男をフロアの奥へと追い払った。一滴の酒もこぼしていない。
「……こりゃあ、驚きました」
個室の入り口から顔を出していたヤンダルが、目を丸くして拍手を手を叩いていた。
「ただの過保護な坊ちゃん領主かと思ってましたが……見事な体術と、あの計算高い脅し文句。いやはや、とんでもない悪魔の常連客を持っちまったみたいですねぇ」
ドン引きしているようにも見えるが、その目には確かな評価の色が浮かんでいた。
「情報屋なら、常連客の実力くらい事前に把握しておけ」
俺は強めの酒を一気に煽り、グラスをカウンターに置いた。 胃袋が熱く焼ける。
サクレアの陰謀、王都の食料独占、消えた王子。 盤面はすでに、次なる戦火に向けて動き出している。
お読みいただきありがとうございます。
新キャラクター、怠惰な情報屋「ヤンダル」の登場です。 「自分で動くのが面倒だからシステム(情報網)を作った」という、極端な効率化思考を持つ彼。ルイとは妙に波長が合うようです。
彼からもたらされた情報は、どれも危険なものばかり。 特に王都の「小麦買い占め」は、露骨な戦争(兵糧確保)の準備です。いよいよ時間がなくなってきました。
バーでの立ち回りは、コンサルタントならではの「損害賠償の見積もり」による論理的制圧でした。無駄な喧嘩はコストの無駄ですからね。
次回、ゴードの工房で、ついに王国の軍勢を迎え撃つための「悪魔の兵器」が産声を上げます。
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次回も【明日19時】に更新します!




