第11話:倫理なき経営は「リスク」でしかない ――30日の猶予と、鉄槌の裁き
工場区へ向かう馬車の車輪が、ジャリッ、と重い音を立てた。 石畳の上に降り積もった、黒い煤の層を踏みしめる音だ。
窓の外に広がるのは、かつて俺が夢見た「躍進する都市」の姿ではなかった。 空はどんよりとした鉛色に濁り、太陽はその輝きを失って、煤煙の向こう側でぼんやりと赤く滲んでいる。 数分も外を歩けば、喉の奥がチリチリと焼け、口の中には鉄の錆のような不快な味が残る。
ふと見れば、工場だけではない。 新築されてから一年も経たない集合住宅の白い壁は、雨に流された煤で無残に黒ずんでいる。 家々の煙突からは、貧困層が使う粗悪な石炭を燃やす不完全燃焼の煙が、絶え間なく吐き出されていた。
「……効率だけを追い求め、世界の先頭を走っているつもりだったが。これがその成れの果てか」
産業革命の先駆者として、俺は「最悪の例」を作ってしまったのかもしれない。 そんな自責の念を抱えながら、俺は怒号が地鳴りのように響く「セカンド製鉄」へと到着した。
工場の外には数百人の労働者が集まり、叫んでいる。 騒がしいが、暴動には至っていない。彼らはただ、対話を求めているのだ。 俺は護衛と共に、そのまま工場の中へ進んだ。
◇
社長室の重厚なドアを開けた瞬間、熱を帯びた罵声が俺を殴りつけた。
「——黙れと言っているんだ、この薄汚い泥棒猫め! お前らに払う給料があるなら、俺は新しい金の置物を買うわ!」
社長のハノルは、痩せた顔を醜く歪め、労働者代表のダンに向かって唾を飛ばしていた。
「金の置物だと……!? その金は、俺たちがこの煙の中で命を削って稼いだ金だろうが!」
ダンが拳を震わせ、今にも飛びかからんばかりにハノルを睨みつける。
「ハッ! 命を削る? 笑わせるな! 替えの効く消耗品が何を偉そうに。 お前らがこの工場で働けているのは、俺様という偉大なパトロンが食い口を与えてやっているからだろうが! 感謝して跪き、黙って死ぬまで働けばいいんだよ!」
「貴様……! 子供たちが、街の空気がどうなってもいいと言うのか!」
「知るかよ! 子供が咳き込むのはお前らの家が貧乏臭いからだ! 大気汚染? 景気がいい証拠じゃないか、黒い煙は金のなる木だ、最高に美しいねぇ!」
ハノルの傲慢さは、もはや経営者のそれではなく、ただの暴君だった。 俺が一歩、部屋へ踏み出す。
「ルイ様! お助けください!」
俺に気づいたハノルが、一瞬で顔を卑屈な笑みに変えて擦り寄ってきた。
「この下賤な連中を今すぐ処刑しましょう! 権利だの汚染だのと、殿下の慈悲で与えられた仕事を蔑にする大罪人どもです!」
「……ハノル。お前に一つ聞きたい」
俺はハノルの目を真っ直ぐに見据えた。
「お前に資本と権利を預けたのは俺だ。お前はそれを『バールを豊かにするために使う』と誓ったはずだが……。 お前の言う『豊かさ』とは、この金の置物と、汚れた空のことか?」
「ひ、非効率なことを仰らないでください! 殿下だっていや、効率こそが正義だと仰っていたじゃないですか! こいつらを部品として使い潰すのが、最も利益が出る『正解』のはずだ!」
ハノルは逆上し、ついには俺の胸ぐらに手を伸ばそうとした。 自分を肯定するために、かつての俺の言葉を歪曲する。 ……ああ、過去の俺(亡霊)を見ているようだ。
「……サーシャ。ノイズを排除しろ」
背後に控えていたサーシャの瞳が、氷点下まで冷え切った。
「ルイ様に、その汚い手を向けないでください」
ハノルの手が俺に触れるより早く、サーシャの手掌がハノルの鳩尾に深々と突き刺さった。
「ガハッ……!?」
ハノルが崩れ落ちる。 サーシャは容赦なくその髪を掴んで引きずり上げ、顔面に痛烈な膝蹴りを叩き込んだ。
ゴキッ
鈍い音が響き、ハノルは白目を剥いて気絶する。
「……騒がしいですね。エスコートします」
サーシャは気絶して失禁したハノルの足首を掴むと、そのまま床に頭を叩きつけながら(ゴン、ゴン、と嫌な音がする)部屋の外へと引きずり出した。 ズルズル、という音と共にハノルが消えていき、室内には沈黙と重苦しい煤の匂いだけが残った。
◇
「……さて。ダン、改めて話をしよう」
俺はモネと共に、テーブルの上に工場の経営状況と、バール全体の財務諸表を広げた。 ダンは驚きと戸惑いが混じった表情をしていたが、促されるように椅子に座った。
「まずは賃金だ。銀貨1枚への引き上げ……君たちの労働を考えれば、決して高くはない額だ。 だが、今のバールは鉄道延伸と新工場の建設に、文字通り『血の税収』を注ぎ込んでいる」
俺は帳簿の一節を指差した。
「今すぐ全員の給料をその額にすれば、来月にはこの工場の運転資金が底を突き、全員が路頭に迷う。 ……それは、君の本望か?」
「……俺たちは、工場を潰したいわけじゃない。ただ、人間として扱ってほしいだけだ」
ダンの声は、低く、切実だった。
「分かっている。だから、本日から大銅銭1枚を上乗せする。 そして来季、製鉄技術の安定で利益が出た時点で、もう1枚加算することを約束しよう。 嘘は言わん。経営者として、君たちと『利益を共有』したいんだ」
「……休日についても、7日に1日は譲れません。交代制を導入すれば、工場の火は消さずに済むはずです」
ダンの提案は、合理的だった。俺は頷き、その場で合意のサインを書いた。
「そして……最後だ。大気汚染。これだけは、金では解決できない」
俺は窓の外の黒い空を指した。
「ルイ様。俺たちの世代はいい。スラムで死ぬはずだった命だ。 ……だが、子供たちは違う。 朝起きて、まず黒い痰を吐く子供の姿を見て、平気な親はいません。 ……対策をしてくれると言いましたが、いつになるんです?」
「……俺に、30日の猶予をくれ」
俺はダンの目を真っ直ぐに見つめた。
「30日? そんな短期間で、この空が変わるのか?」
「装置の基本構造は頭にある。 あとはゴードたち技術屋を叩き起こし、魔法と科学の融合で、煙から毒を抜くフィルターを作る。 ……約束だ。もし30日経っても空が変わらなければ、俺は領主としての資質を疑われても文句は言わん。ちょうど今、王都からA級ヒーラーが所属しているパーティが来ている情報もある。そのヒーラーにそれまでは、病気になっているものを回復してもらおう。」
ダンは長く、重いため息をついた。 そして、俺が差し出した手を、力強く握り返した。 その手は煤で黒く、分厚く、温かかった。
「……分かりました。30日、バールの民全員でルイ様を監視しています。 もし裏切れば、次はストライキじゃ済みませんよ。 新しい労働者を募集しても、誰もこの『死の街』には来させない。俺たちがそう仕向けますから」
「ああ。肝に銘じておこう」
交渉が終わり、ダンたちが退室していく。 俺は椅子に深く腰掛け、窓の外の不吉な煙を睨みつけた。
「……モネ、聞こえたか。30日だ」
「ええ。……大気汚染とか科学的なことはよくわからないけど」
モネが窓枠に手を当て、外を見た。
「エルフとしての本能が言ってるわ。この空気は、確かに『死』の味がする。 ……あんたの覚悟、付き合ってあげるわよ。さて、地獄の突貫工事の始まりね」
俺の胸の中では、かつての俺なら「非効率」と切り捨てたはずの、熱い感情が渦巻いていた。 ミカ。見ていてくれ。 二度と、この煙で誰も殺させない。
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傲慢な経営者ハノルへの鉄槌(物理)。サーシャさん、容赦なかったですね。 そしてダンとの交渉成立。 しかし、残された課題は最も難しい「大気汚染対策」です。 現代でも解決困難な公害問題を、魔法と科学の力でどう克服するのか。 タイムリミットは30日。
次回、ルイは逃走中のゴードを捕獲し(笑)、前代未聞の「魔導フィルター」開発に挑みます。
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▼次回予告 第2章 第12話
次回も【明日19時】に更新します!




