第9話 : 大陸初の鉄道開通。――亡き聖女に捧ぐ「鉄の鼓動」
【設定資料:バール領 都市構造概略(領暦905年時点)】
■ 地理 東側を流れる大河「ラナ川」に沿うように発展した都市。東西約3キロメートル。 周囲は草原と森に囲まれている。
■ 地区区分(土木局長のヴェスタの元で区画分け、拡張が行われてきた)
中央区(行政・商業区):
領主館、冒険者ギルド本店、高級商店が並ぶメインストリート。石畳が整備され、最も賑わうエリア。
東区(物流・宿泊):
ラナ川に面した倉庫街と、旅人や商人向けの宿泊街。最近、夜の店が増加し治安維持が課題。
北・南区(工業地帯):
水を大量に使うため川沿いの南北に設置。サトウキビ加工など食品が多い。
南工場区:サクレア方面からのゴム、鉱石精錬が中心。
居住区(中央区を囲むように位置する):
かつてのスラム街を含むエリアは中央区の西側の居住区。現在は区画整理され、労働者の住宅が並ぶ。
南西部に「新バール総合病院」「職業訓練校」、そして「バール中央駅」が存在する。
■ 鉄道(初期開通区間)
区間: バール中央駅(居住区) ⇔ ラナ駅(南工場区)
距離: 2.5キロメートル
目的: 労働者の通勤輸送(将来的なヴァルザークの布石)。
数ヶ月が経った頃、バールの街は朝から異様な熱気に包まれていた。
かつてスラム街と呼ばれ、汚泥と貧困、そして蔓延する病に人々が苦しんでいた街の南西部。 今、そこには真新しい赤レンガ造りの巨大な建造物が鎮座している。
正式名称は「バール中央駅」。 だが、駅舎の正面には、もう一つの名前が刻まれた石碑が掲げられている。
『聖女記念駅』
駅の前には広大な広場が設けられ、数千人の市民が詰めかけていた。 今日は、この大陸で初めて「鉄道」という移動手段が産声を上げる日だ。
「……すごい人ですね、ルイ様」
式典用の壇上で、正装したサーシャが俺の襟元を直しながら囁いた。
「ああ。マティアスの入れ知恵だよ。『民に目に見える形で発展を示し、士気を高めるべきだ』とな」
俺は苦笑しつつ、広場を見渡した。 最前列にはマティアスとサラ、そして経済局長のモネが並んでいる。 駅舎はレンガ造りだが、内部の骨組みには貴重な鉄骨が惜しみなく使われている。プラットフォームは現在一つだけだが、将来的に「ヴァルザーク」「第1区」「王都」へ繋げるための拡張スペースも確保してある。
「……時間です。行ってらっしゃいませ」
サーシャに背中を押され、俺は演台へと立った。 一斉に歓声が上がる。
「バール市民の諸君!」
俺は声を張り上げた。魔導拡声器が声を広場中に響かせる。
「2年前、私がこの街に来た時……ここは泥と絶望に覆われていた。 病に倒れる者、過労で命を落とす者が後を絶たなかった。 ……私の大切な友人で頼もしい同僚の聖女ミカも、その一人だった」
会場が静まり返る。 ミカのことだ。ここにいる多くの元スラム住民にとっても、彼女は希望の光だった。
「彼女は最期まで、皆の暮らしを良くしようと戦った。誰よりも優しく、誰よりもこの街を愛していた。 ……だから私は、この駅に彼女の名を冠することにした。 『聖女記念駅』と」
俺は背後の駅舎を指し示した。
「この鉄道は、魔法にも、動物の力にも頼らない、鋼鉄の馬だ! 重い荷物を運び、遠い道のりを縮める。 これが完成すれば、もう誰も、重労働で体を壊すことはない! 物資が届かずに飢えることもない! 彼女が夢見た『誰もが人間らしく生きられる街』……そのための第一歩だ!」
俺は拳を突き上げた。
「今日、我々は歴史を目撃する! 亡き聖女に捧ぐ、鉄の鼓動を!」
ワァァァァァァッ!!
地鳴りのような歓声。 そこには、単なる興奮だけでなく、涙交じりの叫びがあった。
「ミカ様万歳! ルイ様万歳!」 「ああ、あの子が見ていたらどれだけ喜んだか……!」
人々は帽子を投げ、抱き合って喜んでいる。 ミカの遺志は、確実にこの街の礎になっている。
だが——俺は見てしまった。
熱狂する群衆のずっと後方。 数人の男たちが、無言で横断幕を掲げているのを。
『開発反対』『労働者を部品のように扱うな』
「……なんだ、あれは」
俺の眉がピクリと動く。 聖女の名を出しても、全ての不満が消えるわけではない。 急速な発展は、必ず歪みを生む。
「……ルイ様。次はモネ局長です」
サーシャの声で我に返る。 俺と入れ替わりで、経済局長のモネが壇上に立った。
彼女は元商人で、普段はぶっきらぼうな話し方をする。 「人前で話すなんて御免だよ」と嫌がっていたが、マティアスに無理やり引っ張り出された形だ。 大丈夫か? 「金がないなら働け」とか言い出さないか?
俺の心配をよそに、モネは静かに口を開いた。
「経済局長のモネです。……私は長く生きてきましたが、これほど胸が震える光景は初めてです」
その声は、驚くほど落ち着いており、威厳に満ちていた。
「魔法で風を操り、海を渡る船は見てきました。ですが、陸の上を、鉄の塊が走る……これは魔法以上の奇跡です。 この鉄道がもたらす経済効果は計り知れません。物流が加速し、皆さんの暮らしはより豊かになるでしょう」
うまい。 完全に「猫を被って」いる。 そして、彼女は流れるように続けた。
「つきましては、駅周辺の商業区画における税率の微調整と、運賃体系についてご説明を……」
ちゃっかり、業務連絡と増税のアナウンスを混ぜ込んだ。 しかも「未来への投資」という言葉で包んで、市民に納得させている。
(……やるな。伊達に古狸の商人をやってない)
俺は感心した。
◇
スピーチが終わり、いよいよ開通の儀だ。 俺が金色のハサミでリボンを切る。
「出発進行ッ!!」
駅長の合図と共に、機関車の煙突から黒い煙と白い蒸気が爆発的に噴き上がった。
ポオオオオオオオオオッ!!
鼓膜を揺らす汽笛。 ガシャン、ガシャン、と車輪が動き出す。 4両編成の客車が、ゆっくりと、しかし力強く前進を始めた。
「うおおおお! 動いたぞ!」 「すげええええ!」
スピードは時速20キロ程度。早馬より遅いかもしれない。 だが、数百人を一度に運ぶその質量感は、見る者を圧倒する。
一番列車には、抽選で選ばれた市民たちが乗っている。 彼らは窓から身を乗り出し、興奮して手を振っていた。
「……ふう。とりあえず成功だな」
俺は肩の力を抜いた。 隣では、マティアスが満足そうに頷き、サラは「うるさい乗り物ね」と耳を塞ぎつつも、興味深そうに車輪を目で追っている。
「ルイ様」
サーシャが、ハンカチで俺の額の汗を拭ってくれた。 その目元が、少し赤くなっている。
「……素敵なスピーチでした。ミカ様も、きっとこの汽笛を聞いています」
「ああ。……そうだといいな」
俺は遠ざかる列車を見つめた。
現在の運行は、朝7時と夕方6時の1日2本のみ。 運賃はまだ高く、労働者が払える額ではないため、行政が7割、工場側が3割を負担して走らせている。 定員は400名だが、南工場の労働者は450名を超えているため、既に乗れない人が出ている状態だ。
(……石炭がまだ高い。ヴァルザークからの供給が安定すれば、本数を増やせるんだが)
そして何より、あのデモ隊の存在。 今はまだ少数だが、放置すれば大きな火種になる。
列車がカーブを曲がり、見えなくなる。 線路はまだ2.5キロしかない。 だが、このレールは確実に、隣町ヴァルザークへ、そして王都へと繋がっていく。
それが「希望の道」になるか、「争いの道」になるか。 それはまだ、誰にも分からなかった。




