閑話:護衛と軍事局長サラと、領主と聖女のセレスティア
一週間に及ぶヴァルザークの改革期間中。 それは、護衛であるサラにとっても、未知の労働の日々だった。
「……はぁ。あいつ、また面倒なことを」
サラは大きなため息をつきながら、街の石畳を歩いていた。 ルイの指示で、商店を一軒ずつ回り、「適正価格」と「在庫管理」の指導を行っているのだ。 護衛の仕事ではない。完全にコンサルタントの助手だ。
(まあ、私のやりたいようにさせてくれるのも事実だし……文句は言えないわね)
ルイは、サラの「強くなりたい」「バールを守りたい」という意思を尊重し、軍事部門の全権を任せてくれている。 それに——待遇が破格だ。
サラの現在の月給は、金貨1枚(100万円)。
冒険者時代、Aランクパーティーに所属していた頃ですら、依頼の変動によって月収は銀貨2枚〜6枚(20万〜60万円)を行ったり来たりだった。 それが、安定して毎月金貨1枚。 王国の将軍クラスの給料だ。
『十分な給与は、裏切りと汚職への最大の防御策だ』
そう言って涼しい顔で金貨を渡してくる主君を思い出し、サラは苦笑した。 金に執着はないが、自分の価値を認められるのは悪くない。
ぐぅ、と腹が鳴った。 サラは近くのパン屋に立ち寄った。
「おじさん、これ頂戴」
「あいよ! 『クルミと蜂蜜のパン』だね。小銅銭15枚(150円)だ!」
安い。 一週間前までは倍以上の値段だったが、ルイの改革で買い占めがなくなり、適正価格に戻っている。 サラは焼きたてのパンを受け取り、かじりついた。
「……ん」
口いっぱいに広がる蜂蜜の甘さと、香ばしいクルミの食感。 サラの無愛想な顔が、一瞬だけ緩む。
「あら、サラさん?」
不意に声をかけられ、サラはビクッとしてパンを隠した。 振り返ると、質素な服に着替えたセレスティアが立っていた。
「……セレスティア殿。奇遇ですね」
「ふふ、休憩ですか? ……あ、それ」
セレスティアが、サラの手元を指差して目を輝かせた。
「そのパン、蜂蜜たっぷりで甘くて美味しいですよね! 私も大好きなんです」
「……あ、いや、これは」
サラは少し顔を赤らめ、咳払いをした。
「……糖分補給ですわ。脳の疲労回復には、ブドウ糖が最も効率的なので」
「ふふっ、サラちゃんって、意外と甘いものが好きなんだね」
「……ちゃん付けはやめてください。それに、好きとか嫌いじゃなくて、効率の問題で……」
「えへへ、恥ずかしいことじゃないのに」
セレスティアはクスクスと笑い、サラの隣に並んだ。 その距離が、少し近い。 サラは無意識に半歩下がろうとして、踏みとどまった。
「……ねえ、サラちゃん」
「なんですか?」
「サラちゃんって、なんでか『壁』があるよね」
「……壁ですか?」
サラは眉をひそめた。
「そんなことないと思いますが。ルイとか、他の局長とも普通に話しますし」
「うーん、そういうのじゃなくて」
セレスティアは首をかしげ、サラの瞳を覗き込んだ。
「なんか、一歩引いてるっていうか……『自分はここにはいない』みたいな顔をする時があるよ」
「…………」
サラは口をつぐんだ。 図星だった。 彼女はいつだって、世界をどこか冷めた目で見ている。 熱狂も、幸福も、いつか終わるものだと知っているから。
「……気のせいですよ」
「そうかなあ。あ、そうだ! 敬語、やめにしない?」
「は?」
「タメ口でいいよ。私とサラちゃんは、お友達でしょ?」
お友達。 その単語に、サラはむず痒さを覚えた。
「……領主代行相手に、それは不敬ですわ」
「いいの! 命令だよ?」
セレスティアは悪戯っぽく笑った。 この「聖女」、意外と押しが強い。
「……はあ。分かったわよ」
サラは肩の力を抜いた。
「そう? なら普通に話すわね。……でも言っとくけど、私はそんなに人と距離を置いてるわけじゃないから」
「ふふ、そういうことにしておくね。……ねえ、一緒に行きたいところがあるの!」
セレスティアはサラの手を引き、歩き出した。
◇
連れてこられたのは、街外れにある農家の裏手だった。 大きな木があり、心地よい風が吹いている。
「ここ、私が小さい頃から通ってる秘密の場所なの。落ち着くでしょ?」
「……まあ、悪くないわね」
サラは周囲を警戒しつつ、木陰に腰を下ろした。 平和だ。 平和すぎて、逆に落ち着かない。
その時だった。
ズシン……ズシン……
巨大な地響きと共に、茂みの向こうから「黒い影」が現れた。 体長3メートルはある巨体。 鋭い角。 鼻息荒く、こちらに向かってくる。
「ッ!?」
サラの瞳から、日常の光が消えた。 瞬時にパンを放り投げ、剣の柄に手をかける。
(……魔物!? このサイズ、Bランクモンスター『ギガント・ブル』か!? 市街地に近い……ここで殺す!)
殺気。 純度100%の死の気配が、サラから噴き出した。
「下がりな、セレスティア! 私がやる!」
サラが地を蹴り、抜刀しようとした——その瞬間。
「ダメぇぇぇっ!!」
セレスティアが、サラと怪物の間に飛び込んだ。
「セレスティア!? 危ないッ!」
サラが叫ぶ。 だが、怪物はセレスティアの前でピタリと止まり、その巨大な顔を彼女の胸に擦り付けた。
モォォォォ……。
甘えるような鳴き声。
「……は?」
サラは剣を半抜きにしたまま固まった。
「もう、よしよし。ごめんねベッシー、びっくりさせちゃって」
セレスティアは慈愛に満ちた顔で、怪物の鼻先を撫でている。 それは魔物ではなく、規格外に育ちすぎただけの、農家の牛だった。
「……牛?」
「うん。この牧場の主のベッシーだよ。ちょっと大きいけど、優しい子なの」
セレスティアはニコニコと笑い、サラを振り返った。
「サラちゃんも撫でてみる?」
「……いや、遠慮するわ」
サラは剣を納め、深く息を吐いた。 心臓が早鐘を打っている。 牛一匹に、本気で斬りかかろうとしてしまった。
(……これだから、嫌なのよ)
サラは、牛と戯れるセレスティアを冷めた目で見つめた。
この世界は、いつだって食うか食われるかだ。 平和な牧場に見えても、明日は戦場になるかもしれない。 だから常に剣を磨き、心を殺し、最悪を想定する。
それが、サラの生き方だった。 「壁」を作るのは、誰も傷つけたくないからじゃない。 失った時に、自分が傷つきたくないからだ。
「……綺麗な人だこと」
サラはポツリと呟いた。 動物にも、人にも、無防備に愛を注げるセレスティア。 自分とは正反対の生き物。 眩しくて、少しだけ羨ましくて——だからこそ、守らなきゃいけない対象なのだと思った。
「サラちゃん! ベッシーがパン食べたいって!」
「……あげないわよ。私の昼食なんだから」
サラは呆れたように笑い、落ちていたパンを拾い上げた。 土を払うその手つきは、いつもの戦闘マシーンより、少しだけ「普通の女の子」に近かった。
サラの短髪の金色の髪が風に揺られた。




