閑話:ハーフエルフメイドと幼なじみヒーラーの屋根裏の友情
これは、ルイたちが熱帯へ旅立つ少し前。
バールでの改革が本格化し、
猫の手も借りたいほど忙しかった頃の話だ。
◇
バール領主館、1階の廊下。
そこは今、戦場と化していた。
「サーシャ様! 土木課の応募書類、さらに50人分追加です!」
「サーシャ様、面接会場の椅子が足りません!」
「あの、この計算書の承認印はどこにもらえば!?」
次々と飛び込んでくる職員たちの悲鳴を、
私は早足で歩きながら処理していく。
「土木課の書類はC棚へ。マティアス様の一次審査待ちです」
「椅子は食堂から予備を回して。ただし昼食時までには戻すこと」
「承認印はルイ様です。……ですが、今は商会長との会談中で、
その後は竜人国の使者との面会なので、50分後に執務室へ」
的確に指示を出し、私は抱えていた書類の山を整理棚へと叩き込んだ。
「ふぅ……」
額の汗を拭う。
ルイ様が各部署のトップ(局長)を決めた後、
その下に就く役人の配属整理。
応募者の選定、合格者の配置、能力評価の集計。
これら膨大な実務は、すべて私の肩にかかっていた。
(……ルイ様は、未来を作る方。
雑務で手を煩わせてはいけない)
これは、私だからできる仕事。
ルイ様の手足となり、影となり、組織を回す「潤滑油」。
(頑張らなきゃ。……私がしっかりしないと)
気合を入れ直し、次の会議室へ向かおうとした時だった。
――ふわん。
廊下の奥から、
とてつもなく魅力的な香りが漂ってきた。
(……これは、牛肉の煮込み?)
厨房の方だ。
昼食の準備が始まっているのだろうか。
そういえば、朝から何も食べていない。
私は吸い寄せられるように厨房のドアを少しだけ開け、
隙間から中を覗いた。
寸胴鍋がコトコトと音を立てている。
そして、その前には——
「……じゅるり」
一人の少女が、私と同じように鍋を覗き込んでいた。
衛生管理官に任命されたばかりの、ミカ様だ。
「あ、サーシャさん?」
私に気づくと、ミカ様はパッと笑顔になった。
「いい匂いだよね〜。これ、試食できないかな?」
「ミ、ミカ様……。つまみ食いは行儀が悪いですよ」
私は建前を言ったが、
お腹がグゥと鳴ってしまった。
ミカ様はニシシと笑い、
お玉ですくったスープを小皿に入れた。
「大丈夫だよ、味見だって!
ほら、サーシャさんも。忙しくて疲れてるでしょ?」
「えっと、でも……」
「一口だけ! ね?」
差し出された小皿。
濃厚なデミグラスソースの香り。
私はゴクリと喉を鳴らし、手を伸ばした。
「……では、一口だけ」
「そうそう、共犯、共犯♪」
二人が小皿に口をつけた、その瞬間だった。
「——おやおや」
背後から、凍てつくような声が響いた。
「ひゃっ!?」
「ぶふっ!?」
私とミカ様は飛び上がって振り返った。
そこに立っていたのは——
音もなく、気配もなく現れた、マティアスだった。
その眼鏡の奥の瞳は、まるで氷のように冷たかった。
「衛生管理官と、筆頭秘書官が揃ってつまみ食いですか」
マティアスの声には、
一切の感情が込められていなかった。
「……厨房の衛生管理はどうなっていますか?
それにサーシャ、書類整理は終わったのですか?」
「あ、いや、これは……味の確認を……」
「言い訳は不要です」
マティアスが一歩、近づいた。
その瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
(……この人、怖い)
普段はルイ様の補佐として完璧に振る舞っている。
だが、今この瞬間——
まるで、別人のような気配を感じた。
「罰として、二人の昼食は『野菜のみ』とします」
「ええーっ!?」
「そ、そんな……」
マティアスは無表情のまま、踵を返した。
「では、失礼します。……ああ、サーシャ」
「は、はい」
「次の会議まで、あと15分です。
遅刻なさらないように」
そう言って、彼は音もなく去っていった。
残されたのは、
呆然とする私たちと、
冷めかけたスープだけだった。
「……マティアスさん、鬼だよね」
ミカ様が小さく呟いた。
「……はい」
私は頷いた。
でも、それだけじゃない。
(……あの人、何か隠してる)
直感が、そう告げていた。
◇
一時間後。
私たちはミカ様の自室で、どんよりと落ち込んでいた。
「……お腹空いた」
ベッドの上で膝を抱えながら、ミカ様が唇を尖らせる。
「……はい。野菜だけでは、足りません」
私も椅子に座り、深いため息をついた。
完璧な秘書を目指していたのに、
つまみ食いで叱られるなんて。
一生の不覚だ。
気まずい沈黙が流れる中、
私はふと気になっていたことを口にした。
「……あの、ミカ様」
「ん?」
「ミカ様は、昔のルイ様をご存知なんですよね?」
ミカ様が顔を上げた。
「うん。幼馴染だからね。……どうして?」
「いえ、その……
ルイ様は昔から、あのような方だったのかなと」
常に先を見通し、
誰も思いつかないような改革を次々と断行する。
冷徹に見えて、その実、
誰よりも国を豊かにしようとしている。
私の憧れの人。
「あー……」
ミカ様は天井を見上げて、苦笑した。
「昔はね、もっと暗かったよ。
いつも一人で本読んでて、友達もいなくて。
……でもね」
彼女の目が優しく細められた。
「『世界はどうなってるのか』とか
『どうすれば効率よくなるか』とか、
そんなことばっかり考えてた。
……根っこは変わってないかな。
不器用で、誤解されやすいけど、すごい人だよ」
「……そうですね」
私は深く頷いた。
「私も、ルイ様の描く未来に惹かれました。
この方になら、私の命を預けてもいいと」
「私もだよ」
ミカ様が身を乗り出した。
「ルイの作る世界が見たいの。
病気で悲しむ人がいない、
みんながお腹いっぱい食べられる世界。
……だから私、衛生管理とか頑張ろうって思うんだ」
キラキラとした瞳。
この方は、本当に純粋にルイ様のことを信じているのだ。
それに——
「……あと、美味しいものも、いっぱい食べたいしね!」
「ふふっ、そうですね」
食いしん坊なところも、私と同じだ。
私は自然と笑みがこぼれていた。
「ねえ、サーシャさん。ちょっといいとこ行かない?」
「え?」
◇
ミカ様に連れられ、私たちは屋敷の最上階へ向かった。
廊下の突き当たり。
ミカ様が天井板を慣れた手つきでずらすと、
隠し梯子が降りてきた。
「え、こんな場所が?」
「探検してたら見つけたの!
ここ、屋根裏部屋に繋がってるんだよ」
私たちは梯子を登り、
埃っぽい屋根裏を抜けて、
小さな天窓から屋根の上へと出た。
「わぁ……」
私は息を呑んだ。
眼下には、生まれ変わりつつあるバールの街が一望できた。
新しく整備された大通り。
建築中のレンガ造りの家々。
活気にあふれる市場の喧騒。
夕日に照らされた街は、
まるで宝石箱のように輝いていた。
「すごいでしょ?」
ミカ様が風に髪をなびかせながら言った。
「ここから見るとさ、感じるんだよね。
……私たちって、これだけたくさんの人の人生を
任されてるんだなぁって」
「……!」
私はハッとした。
今まで私は、
書類の上の「数字」や「名前」としてしか、
人々を見ていなかったかもしれない。
でも、ここから見える景色には、
一人一人の生活があり、営みがある。
私が整理したあの書類一枚一枚が、
この街の誰かの運命を決めているのだ。
「……重いね、責任」
ミカ様が呟く。
「でもさ、こんなすごいことができるなんて、最高だよね!
私たちが頑張れば、この景色がもっともっと綺麗になるんだよ?」
不安よりも、希望を語るその横顔。
私は胸が熱くなるのを感じた。
「……そうですね。本当に、最高です」
これは、ただの事務処理じゃない。
未来を作る仕事なのだ。
「あ、そうだサーシャさん」
「はい?」
「その『ミカ様』っての、やめない? あと敬語も」
ミカ様は悪戯っぽく笑った。
「私たち、同い年くらいでしょ?
それに、もう『つまみ食いの共犯』なんだし!」
「え、ええ!? しかし私はメイドですし、立場が……」
「ここは屋根の上! 誰も見てないよ。……ね?」
上目遣いでお願いされて、私は観念した。
この方のペースには、敵わない。
「……わかった。じゃあ、ミカ」
「うん! よろしくね、サーシャ!」
ミカが私の手を握った。
その手は温かくて、少しだけ土の匂いがした。
「……ねえ、サーシャ」
ミカが不意に真剣な顔になった。
「私ね、思うんだ。
この景色を、ずっと守りたいって」
「……うん」
「たとえ、私の命と引き換えになっても」
「え……?」
私はミカを見た。
彼女は夕日を見つめたまま、静かに笑っていた。
「私、ヒーラーだから。
目の前で人が死ぬの、我慢できないの。
……だから、もし誰かが死にそうになったら、
私は絶対に助けに行くよ」
「ミカ……」
「サーシャは、ルイのこと守ってあげてね。
……あの人、不器用だから」
その言葉が、胸に突き刺さった。
(……まるで、遺言みたいだ)
私は首を振った。
「何言ってるの。
ミカが死ぬなんて、そんなこと——」
「大丈夫だって!」
ミカが笑った。
「私、そう簡単には死なないよ!
だって、まだ美味しいもの、いっぱい食べてないもん!」
いつもの明るさが戻ってきた。
でも、その笑顔の奥に、
何か覚悟のようなものを感じた。
夕暮れの風が吹く屋根の上。
少しぎこちなく、でも確かな絆が、
私たちの間に生まれた瞬間だった。
◇
その夜。
私は自分の部屋で、一人考えていた。
ミカの言葉。
マティアスの冷たい気配。
そして、ルイ様の描く未来。
(……何か、起こる)
直感が、そう告げていた。
この平和な日々は、長くは続かない。
だから——
(私は、ルイ様を守らなきゃ)
それが、私の役目だ。
窓の外では、バールの街が夜の闇に沈んでいく。
その闇の中で、
何かが動き始めていることを、
私はまだ知らなかった。
今回は本編の幕間、サーシャとミカの友情エピソードでした。 普段はキリッとしているサーシャですが、美味しいものの誘惑とミカのペースには勝てなかったようです。 屋根の上で語り合う二人。 「多くの人の人生を背負う」という自覚は、後の熱帯編や、その後の困難な局面に立ち向かう二人の芯となっていきます。
さて、次回はいよいよ本編に戻ります。 産業革命の煙と、忍び寄る王都の影。 第21話でお会いしましょう!
【この世界の豆知識:新生バール領・主要組織図】
ルイの改革によって再編された、初期の内閣(局長級)メンバー一覧です。 実力主義により抜擢された彼らが、バールの急成長を支えています。
■ 領主:ルイ 【役割】 最高意思決定、戦略立案 元敏腕コンサルタント。スキル【国家盤面】と現代知識を駆使し、バールを世界一の都市へ導くリーダー。 「効率」と「結果」を愛するが、最近は仲間への情に目覚めつつある。
■ 宰相(事務統括):マティアス 【役割】 行政全般、ルイの補佐、裏工作 ルイの出した無茶な指示を、涼しい顔で実務に落とし込む「鉄の宰相」。 情報収集能力と事務処理能力は人間離れしており、部下たちからはルイ以上に恐れられている影の支配者。
■ 内部人事・護衛:サーシャ 【役割】 職員の採用・配置、領主の護衛 元・裏社会の住人という経歴を活かし、応募者の「嘘」や「リスク」を見抜く人事のスペシャリスト。 普段はメイドとしてルイに仕えるが、有事の際は最強の懐刀となる。美味しいものに目がない。
■ 衛生管理:ミカ 【役割】 医療体制の構築、防疫、上下水道管理 ルイの幼馴染であり、希少な光魔法の使い手。 「病気で死ぬ人をゼロにする」という信念のもと、バールの衛生環境を劇的に改善させた「泥の聖女」。
■ 経済:モネ 【役割】 財務管理、商業ギルドとの折衝、貿易 商業ギルド出身の切れ者。ルイの提唱する新しい経済概念(先行投資やインフラ債など)を即座に理解し、資金を回す金庫番。
■ 土木:ヴェスタ 【役割】 インフラ整備、建築、都市計画 頑固だが腕は超一流の建築家。ルイの設計図(現代建築の知識)を具現化し、レンガ造りの街並みや下水道網を作り上げる現場監督。
■ 軍事:サラ 【役割】 防衛計画、兵士の訓練、治安維持 元Aランク冒険者パーティーの剣士。実戦経験に基づいた厳しい訓練で、農民上がりの兵士たちを精強な軍隊へと鍛え上げている。
■ 法務:バロン 【役割】 法整備、契約管理、裁判 古い貴族法を解体し、ルイの掲げる「平民も貴族も法の下に平等」という理念を条文化する法律家。厳格だが公正な性格。
■ 調査:ジズルタン 【役割】 諜報活動、資源探査、他領の動向調査 神出鬼没の調査員。マティアス直属の「目」として、国内外の情報を収集する。その正体を知る者は少ない。




