第17-2話:恩義は「負債」として運用せよ。――感動の和解劇と、冷徹な計算
夕刻。バイブラー伯爵邸の応接室。
俺が粗大ゴミのように放り出した誘拐犯たちを見て、バイブラー伯爵は顔面蒼白になり、椅子から崩れ落ちた。
「な、なぜ……なぜ連れ戻したのですか! もう少しで、あの子を逃がせたのに……!」
「お、俺は関係ねぇ! 全部こいつらがやったんだ!」
その時、誘拐犯の一人が突然叫び、隙を見て開いた窓へと走り出した。
だが、その足が一歩を踏み出すより早く、サーシャの投げたナイフが男の鼻先数センチの床に突き刺さる。
「ひっ!?」
「……動くな。次は眉間だ」
サーシャの氷のような声に、男は腰を抜かして失禁した。
所詮は金で雇われたゴロツキ。信念も忠誠もない、ただのノイズだ。俺はそんな小物に視線すら向けず、伯爵を見下ろした。
「……逃がす、だと?」
「そうだ! 隣町からさらに遠く、私の名の届かない街へ送り……そこで平民として、自由に生きさせるつもりでした!」
伯爵は悲痛な声で叫んだ。
「あの子は妾の子だ。この屋敷にいては、一生『日陰者』として後ろ指を指され続ける。……他の貴族たちも、あの子の存在をネタに我が家を嘲笑し、ゆすってくる」
だから、存在を消そうとした。
表向きは行方不明として処理し、裏で彼女に新しい人生を用意する。それが、彼なりに考えた「娘を守る唯一の方法」だったのだ。
「……私は、あの子に幸せになってほしかったのだ……!」
伯爵が床に拳を叩きつける。
保護されたエレナは呆然としていた。父の歪んだ愛情を知り、目から涙が溢れ出している。
だが、俺は鼻で笑った。
「くだらん」
「なっ……!?」
「それは愛ではない。ただの『保身』だ」
俺は伯爵の前に歩み寄り、冷徹に告げた。
「貴方は娘を守りたかったのではない。娘という『弱点』を隠すことで、家の体面と自分の心を守りたかっただけだ。……臭いものに蓋をする。この街を囲む無意味な城壁と同じ発想だ」
「う、うぐっ……」
「隠すから弱点になるのだ。……堂々と公表し、家族として扱えば、誰も文句は言えん」
「し、しかし……! それでは他の貴族たちが黙っていない! 『伝統ある家柄に泥を塗った』と総攻撃を受ける!」
「父上!!」
その時、沈黙していた長男のランターが叫んだ。
「もうやめましょう! ……みっともない!」
「ルイ殿下を見てください! 彼は伝統など気にしない。体面よりも、『結果』で民を救おうとしている!」
ランターは涙目で父を睨みつけた。
昼間の気弱な青年とは別人のような気迫だった。
「妹一人守れなくて、何が領主ですか! 何が父ですか! ……僕は、父上のような臆病な領主にはなりたくない!」
「……ッ!」
息子の悲痛な叫びに、伯爵は雷に打たれたように硬直した。
そしてゆっくりと視線を上げ、震える娘を見た。
「……すまなかった……エレナ……」
伯爵は膝をついたまま、娘に向かって手を伸ばした。
「私が……私が弱かったのだ……許してくれ……」
「……お父様」
エレナが恐る恐る、一歩踏み出した。
彼女の声は震えていた。
「……本当に、いいのですか?」
「え……?」
「もう、隠れなくていいのですか? ……やっと、私自身として生きて……普通に、『お父様』と呼んでいいのですか……?」
彼女はずっと、自分の存在そのものが罪だと思って生きてきた。
日陰で息を潜め、父親に会うことすら許されなかった年月。
それが終わるのだと、信じられないように問いかけた。
「っ……!」
その言葉を聞いた瞬間、伯爵の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
大の大人が、子供のように顔を歪めて泣いた。
「当たり前だ……! すまなかった……今まで、本当にすまなかった……ッ!」
「お父様……ッ!」
エレナが駆け寄り、父の胸に飛び込んだ。
伯爵は娘を力強く抱きしめ、嗚咽を漏らし続けた。
ひとしきり泣いた後、伯爵は俺に向かって深々と頭を下げた。
「……ルイ殿下。貴方のおかげで、私は過ちに気づくことができました。……この恩は、一生忘れません」
「礼には及ばん。俺は依頼を遂行しただけだ」
俺は素っ気なく答えた。
感動的な和解劇だ。だが、俺の内心にあるのは冷めた計算だけだった。
(……情に厚い統治者は御しやすい。恐怖で縛るより、恩義という『負債』を負わせた方が、長期的には低コストで管理できる)
サクレアをバールの経済圏に組み込む上で、領主が俺に頭が上がらない状態にしておくこと。
それが最も合理的で、維持コストの安い秩序だ。
「エレナを公表すれば、確かに雑音は聞こえてくるだろう。……だが、もし文句を言う貴族がいれば、俺に言え」
「え?」
「バール(北)の経済力で、そいつの家ごと黙らせてやる」
俺がニヤリと笑うと、伯爵とランターは呆気にとられ、それから今日一番の笑顔を見せた。
帰り際、俺はエレナを見た。
彼女は一瞬、開かれた扉の先――自由な外の世界を見つめ、それから強く父の手を握り返した。
「……私は残ります。逃げるのではなく、お父様やお兄様と共に、ここで生きたいから」
彼女の瞳には、もう「運ばれるだけの荷物」だった頃の弱さはなかった。
自分の意思で、イバラの道を選び取ったのだ。
◇
屋敷を出ると、夕焼け空の下、ミカとサラが待っていた。
「あ、ルイ〜! 調査終わったよ〜! ……って、あれ? なんかいい雰囲気?」
ミカは屋敷の玄関で手を振るバイブラー一家と、俺たちを見比べた。
「……少し、散歩をしてきただけだ」
俺は短く答え、馬車へと歩き出した。
「さて、憂いはなくなった」
俺は南の空を見上げた。
サクレアのさらに南。
地平線の彼方に、黒々とした雲が垂れ込める未開の地が見える。
「明日こそ発つぞ。……ゴムと鉄、そしてまだ見ぬ資源が眠る『緑の地獄』へ」
そこは、これまでの「政治」や「経済」が通用しない場所。
たった一つの判断ミスが『死』に直結する、不可逆の領域だ。
俺たちの旅は、ここから本当の意味での「冒険」になる。
お読みいただきありがとうございます!
サクレア編、完結です。
不器用な父と、覚醒した息子。そして自らの意志で残ることを選んだ娘。
一件落着に見えますが、ルイの頭の中にあるのは「恩義による支配の確立」という計算のみ。
このブレない冷徹さが、彼の強さであり……危うさでもあります。
さて、次回からは【熱帯雨林編】がスタートします!
ですが、先に言っておきます。
ここから先は、これまでの「内政無双」とは空気が変わります。
そこは――何かを得るためには、何かを捨てなければならない残酷な世界。
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▼次回予告
第18話『熱帯の支配者と、ゴムの木』
ついに未開のジャングルへ足を踏み入れた一行。
そこは湿気と熱気、そして死の病が蔓延る場所だった。
ミカの「聖視眼」が捉えたのは、空気中を漂う無数の『死』。
過酷な環境下で、ルイはついにゴムの木を発見するが……?
次回も【明日18時】に更新します!




