閑話:氷のメイドと、激辛のパン
間話に挑戦です!ちょっとしたサーシャとマティアスのお話です!
これは、ルイたちが第2区の領主館に到着して間もない頃の話。
銀髪のメイド、サーシャは、館の廊下を音もなく疾走していた。
(東棟の客室数、12。非常口への動線、確認よし。使用人たちのシフト表、暗記完了……)
彼女の表情は、氷のように冷徹だ。 主であるルイ・クロムウェルが快適に過ごせるよう、あるいは有事の際に即座に守れるよう、彼女はこの巨大な屋敷のすべてを把握しようとしていた。
(ルイ様は天才だ。ならば、その剣である私も完璧でなければならない)
サーシャは拳を握りしめる。 その忠誠心は、鋼鉄よりも硬い。
――グゥ〜。
……腹の虫が鳴くまでは。
(……失態だわ。朝から動き詰めだったせいで、エネルギーが切れた)
サーシャは周囲を警戒しながら、可愛らしい音を立てたお腹を押さえた。 ちょうど、厨房の近くを通りかかった時だ。
ふわり、と香ばしい匂いが鼻をくすぐった。 焼きたてのパンと、ジューシーな肉の香り。
(……確認。あくまで、毒味のための確認よ)
サーシャは自分に言い訳をしながら、忍び足で厨房へと侵入した。 料理人たちは休憩中で、誰もいない。
調理台の上に、1つだけバスケットに入ったサンドイッチが置かれていた。 具材は厚切りのベーコンとレタス。赤いソースが食欲をそそる。
(誰も見ていない。……一口だけなら)
サーシャは素早くサンドイッチをつまみ上げ、パクついた。
「んっ……!」
美味しい。 肉の旨味が口いっぱいに広がる。 だが、次の瞬間。
――ドォォォォン!!
口の中で爆発が起きた。
(!?!?!?)
辛い。いや、痛い! 舌が焼けるようだ。喉の奥から火が噴き出しそうになる。 ただの赤いソースではない。これは、南方の激辛香辛料『レッド・デビル』のペーストだ!
「ふぐっ……! んぐぐ……ッ!」
サーシャはあまりの刺激に涙目になり、手で口を仰いだ。 クールな表情が崩壊し、たじたじと後ずさる。
「おや? ……厨房に可愛らしいネズミが入り込んだようですな」
背後から、静かな声がした。
「ッ!?」
サーシャは飛び上がった。 振り返ると、そこには白髪の老紳士が立っていた。 館の執事長、マティアスだ。
(気配がなかった……!? この私が気づかないなんて!この人ただの執事長じゃない?)
「そ、それは……私の昼食なのですがね」
マティアスは眼鏡の奥で目を細め、悪戯っぽく笑った。
「少々、刺激が強すぎましたかな? 私は辛党なもので」
「……ご、ごめんな……っふ!」
謝ろうとするが、舌が痺れて言葉が出ない。 サーシャは顔を真っ赤にし、涙目で首を横に振った。
「ど、毒味……れす! 不審なものがないか、かくにん……しただけ……!」
「ほう。毒味ですか。……して、お味は?」
「……か、からい……れす……」
サーシャは震える声で答えた。 マティアスは「ふっ」と小さく吹き出し、水の入ったグラスを差し出した。
「どうぞ。……毒味ご苦労様でした。今度は先に言ってくださいね」
サーシャは水を一気に飲み干すと、逃げるように厨房を飛び出した。
(一生の不覚……! あんな食えない執事がいるなんて!何者なの!)
厨房に取り残されたマティアスはソースを追加してサンドイッチをその場で食べた。
◇
その数分後。 執務室にて。
「サーシャ。……例の資料はどこだ?」
ルイが書類から目を離さずに尋ねた。 サーシャは背筋を伸ばし、完璧な敬礼をした。
だが、口の中はまだジンジンと痺れている。 感覚がない。
「は、はいっ! ル……ルイひゃま!」
「……ん?」
ルイが怪訝な顔で振り返る。 サーシャは冷や汗を流しながら、必死に言葉を紡いだ。
「し、資料なら……あちらの、たな……たな……」
(棚と言えない! 舌が回らない!)
「たなにある……でしゅ!」
「…………」
ルイの目が点になった。 あの完璧超人のサーシャが、赤ちゃん言葉になっている。
「……サーシャ。疲れているのか?」
「い、いいえ! そんなことありまへん! 元気いっぱいでしゅ!」
「そうか。……ならいいが」
ルイは「奇妙なこともあるものだ」と首を傾げ、仕事に戻った。
サーシャは真っ赤になった顔を隠すように俯いた。 心の中で、あの食えない執事へのリベンジと、二度と拾い食いはしないことを固く誓いながら。
(うぅ……ルイ様、変な子だと思わないでください……!)
氷のメイドの、知られざる敗北の一日だった。
お読みいただきありがとうございます!
本編ではクールで最強なサーシャですが、裏ではこんな失敗をしていました。 マティアス(激辛好き)との初遭遇がこれとは……。
「ポンコツなサーシャも可愛い!」「マティアス食えない男だなぁ」とほっこりしていただけましたら、 ぜひ【☆☆☆☆☆】評価やブックマークをお願いします!
次回からは本編に戻ります。 第12話、新しい部下たちとバールの街を大きく変えていきます!!




