第10話:砂糖の物流を支配せよ。――「地政学」で殴る、食料獲得交渉
数日後の昼。 スラム解体工事の進捗を確認するため、俺は領主館を出た。
「殿下、わざわざ現場まで足を運ばれる必要はございません。 報告書で十分把握できるはずですが」
マティアスが諫める。 彼の言う通りだ。俺のような管理職は、 データと報告書から判断を下すのが仕事だ。
「……たまには自分の目で見ておかないと、数字の裏側で何が起きているか分からんだろう」
俺はそう言い訳をしたが、本音を言えば、 執務室に篭もって地図と睨めっこするのに疲れていた。
現場に着くと、マティアスの部下たちが 備蓄毛布を配給している光景が見えた。
「殿下がお見えになったぞ!」
「ありがてぇ……これで凍えずに済みます」
市民たちが俺を見つけ、深々と頭を下げる。 俺は軽く手を上げて応え、配給の列を観察した。 その時、列の最後尾に「断絶」があることに気づいた。
市民たちが「穢らわしい」と避けるように距離を置く一団がいる。 一組は、耳や尻尾を持つ「獣人」たち。 そしてもう一組は、全身が炭のように黒く汚れた人々だ。
「……彼らは?」
「『黒粉の民』です」
マティアスが小声で説明する。
「元々山岳地帯に住み、地下に家を建てて暮らしている者たちです。彼らが住む場所の岩石は脆く、触れると黒い粉がついて落ちないため、不浄として忌み嫌われております」
(黒い粉……? ただの泥や汚れとは違うようだが)
俺はその汚れを凝視したが、今の知識では何なのか判断がつかなかった。 だが、彼らが不当に差別され、最も支援が必要な状態であることは明白だ。
その集団の中に、身を寄せ合う姉弟の姿があった。
姉は10代半ばだろうか。 顔も服も真っ黒だが、その瞳だけは強く光っている。 彼女は自分も震えながら、必死に小さな弟を抱きしめて温めていた。
「……これを」
俺は二人の前に歩み寄り、厚手の毛布を差し出した。 周囲の市民が「あっ」と息を呑む。
「え……?」
少女は信じられないものを見る目で俺を見上げ、それから恐る恐る毛布を受け取った。
「……あ、ありがとう……ございます……!」
少女の目から、大粒の涙が溢れ出し、黒い頬に白い筋を作った。
「殿下、ありがとうございます……! 弟が、もう限界で……!」
その涙を見た瞬間、俺の胸を鋭い痛みが貫いた。 俺が数字合わせに没頭している間、この姉弟はここで死にかけていたのだ。
「……マティアス」
俺は感情のままに命じた。
「この二人を、館の空き部屋に入れろ。今すぐだ」
「……なりません」
マティアスは静かに、しかし断固として首を横に振った。
「な、なぜだ! 目の前で民が死にかけているんだぞ!」
「お気持ちは分かります。ですが、目の前の数人を特別扱いしても、広場で震える他の数千人は救えません」
マティアスは冷徹なまでの正論を説いた。
「それに、一度『例外』を作れば、公平な統治システムが崩壊します。『なぜあいつらだけ』という不満が、新たな暴動を生むでしょう」
「ッ……」
俺は言葉に詰まった。 彼が正しい。統治者として、感情的なえこ贔屓は最も避けるべき悪手だ。
だが、見捨てることなどできない。
「……マティアス。君の言う通り、館に入れるのは悪手だ」
「賢明なご判断です」
「だが、このまま放置するのはもっと論外だ」
俺は記憶のデータベースを検索し、一つの「物件」を思い出した。
「ガモンが『第二夫人』のために建てさせていた、別邸があったな?」
「……! はい。高級住宅街の一角に、主を失った空き家がございます」
「そこを開放しろ。今すぐだ」
俺は早口で指示を飛ばした。
「あそこなら数十人は入れる。まずはこの姉弟のような孤児や、身寄りのない老人を優先的に収容しろ。『孤児院』兼『避難所』として運用する」
「……なるほど。それならば『公的な施設』として説明がつきます」
マティアスが初めて微かに笑みを浮かべた。 彼は俺の未熟な感情論を諌めつつ、俺が「正しい解」に辿り着くのを待っていたのだ。
「ラナ、といったな」
俺は少女の名前を聞き、彼女の肩に手を置いた。
「すぐに屋根のある場所を用意する。……今はまだこれしかできないが、約束する」
俺は彼女の瞳を見据えた。
「必ず、お前たちがその黒い汚れを誇りに思い、胸を張って働ける場所を作る。……だから、生きろ」
「……はいっ! はい……!」
ラナは何度も頷き、弟を強く抱きしめた。
◇
その午後。 領主館の大広間に、第1区からの使者が到着した。
テーブルには、質素なパンとスープ。 そして、この街特産の最高級ワインだけが置かれている。 「金はないが、資源と誇りはある」という、俺なりの意思表示だ。
「ほほう、これが噂の第2区ですか。……随分と『風通し』が良い(貧しい)ようですな」
現れたのは、小太りの男だった。 第1区農務省局長、ボラス子爵。 脂ぎった顔で愛想笑いを浮かべているが、その目は全く笑っていない。一筋縄ではいかない古狸だ。
「遠路はるばる感謝する、ボラス卿。……単刀直入に言おう。小麦を売ってくれ。代金は後払いだ」
「ハハハ! ご冗談を」
ボラスは鼻で笑った。
「担保もない相手に食わせる麦はありませんよ。我が第1区も慈善事業ではないのでね」
「……条件は?」
「そうですねぇ……」
ボラスはワインを一口含むと、低い声で切り出した。
「麦が欲しければ……先週発見された**『ミスリル鉱脈』の採掘権を50年分**、第1区へ譲渡なさい」
「――なっ!?」
俺は絶句した。 ミスリルの発見から、まだ1週間も経っていない。情報は厳重に統制していたはずだ。
(知っているのか……? もう?)
ギルドか、あるいは役人の中にスパイがいるのか。 俺は背筋が凍る思いがした。 この街のセキュリティは、俺が思っている以上にザルだ。
「……お断りだ」
俺は動揺を隠し、冷たく返した。 ミスリルはこの街復興の命綱だ。それを渡せば、この街は永遠に第1区の植民地になる。
「そうですか。では、小麦の話も無かったことに」
ボラスが席を立とうとする。 完全に足元を見られている。
だが、俺にはまだ「カード」がある。
「……採掘権は渡せない。だが、代わりに『道』を安く売ろう」
「道?」
「第2区を流れる大河、『ラナ川』の通行税だ。……今後1年間、第1区行きの船に限り、これを全額免除する」
俺の提案に、ボラスは呆れたように肩をすくめた。
「は? その関税は、あなたが数日前に勝手に導入したものでしょう? それを無くすと言われても、元の状態に戻るだけ。我々に何の得もありませんよ」
痛いところを突いてくる。 確かにその通りだ。
「……いいや、得はある」
俺はニヤリと笑った。
「ボラス卿。お宅の第1区は寒冷地だ。……『砂糖』と『香辛料』は、どこから輸入している?」
ボラスの眉がピクリと動いた。
「……第2区の南部、熱帯エリアからですが」
「そうだ。今はまだ南部の統治は行き届いていないが、『輸送ルート(ラナ川)』は俺が抑えている」
俺は地図上の川を指でなぞった。
「このまま関税がかかり続ければ、第1区に入ってくる砂糖の値段は2割跳ね上がる。……寒い北の国で、甘味の値段が上がるのは暴動の種じゃないか?」
「……ッ」
「関税を導入したのは俺だ。……だが、俺が『首を縦に振らなければ』、関税は掛かったままだぞ?」
ボラスが押し黙った。 彼は頭の中で高速で計算しているはずだ。 小麦の売値と、砂糖の価格高騰による経済損失。どちらが痛手か。
「……小麦を売るか。それとも、砂糖の値段が上がるのを国民に説明するか。……選べ、ボラス」
長い沈黙の後。 ボラスは大きなため息をつき、椅子に座り直した。
「……食えない皇子様だ」
「褒め言葉として受け取っておく」
ボラスは懐から契約書を取り出し、サインをした。
「いいでしょう。小麦の手配をします。……その代わり、関税の免除は確実に履行していただきますよ!」
「ああ、約束する」
俺は安堵の息を吐き、深々と頭を下げた。
「感謝する。……これで、民が救われる」
ボラスは帰り際、ふと立ち止まり、俺を振り返った。
「……勘違いしないでくださいよ。これは『貸し』ですからね! きっちり利子をつけて返してもらいましょう!」
「ああ、分かっている」
「ふん……。前の豚よりは、骨のある領主が来たようだ」
ボラスは悪態をつきながらも、どこか満足げな顔で去っていった。
◇
交渉成立。 俺は深く息を吐き、椅子に体を預けた。
「……なんとか凌いだな」
「お見事でございました、殿下」
マティアスが紅茶を淹れてくれる。
久々に勝った。前世の戦略コンサル時代を思い出す、
頭脳戦の高揚感が胸に残っていた。
(ミスリル情報が漏れていたのは痛いが、 それでも地政学カードで逆転できた。
……やはり、俺のやり方は間違っていない)
そう、少しだけ慢心していた。
――その時、扉がノックされた。
「失礼します。第一区からの使者が、 親書を置いていかれました」
職員が羊皮紙の封筒を手渡してくる。
ボラスの紋章が刻まれた、丁寧な封蝋だ。
「……? もう何か?」
俺は封を開いた。
中には、たった三行の文章だけが記されていた。
────────────────
『見事な交渉でした。ですが殿下、
今後我が第一区の商人が第二区を通過する際、
『適正な通行税』を頂戴することになりましょう』
────────────────
「――ッ!?」 俺は羊皮紙を握りしめた。
そうか。
俺が「ラナ川の関税免除」を餌にしたということは、
逆に言えば――
(「関税をかける権利」があることを、 俺自身が証明してしまったのか……!)
ボラスは小麦を売る代わりに、
第一区から第二区への「陸上交易路」に関税をかける口実を得た。
俺が川を使ったように、 彼は陸路を使って、俺の首を絞めにかかってくる。
「……くそっ」
マティアスが無言で俺を見ている。
彼は何も言わないが、その目が語っていた。
――「外交に、完全勝利などない」と。
「……そう簡単には行かないってことか」
俺は苦く笑い、紅茶を飲み干した。
勝ったと思った瞬間、次の一手が来る。
それが政治だ。それが外交だ。
(ボラス……老獪な古狸め。 ……だが、次は負けん) 俺は拳を握りしめた。
◇
数日後。 ラナ川を下って、大量の小麦を積んだ船が到着した。 街には久々にパンの香りが漂い、ラナたち姉弟も孤児院で温かい食事にありつけた。
だが、俺の顔は険しかった。
「今回は凌いだが……課題が山積みだ」
執務室で、俺はマティアスに告げた。
情報漏洩。南部の統治不全。そしてスラム対応の遅れ。 全ては、俺の手足となって動く「優秀な部下」が足りていないことが原因だ。
「既存の役人はガモン時代の無能ばかりだ。……マティアス、人を集めるぞ」
「どのような条件で?」
「身分、種族、経歴。……一切不問だ」
俺は宣言した。
「『黒粉の民』でも『獣人』でも構わん。能力さえあれば、俺が重用する。……大規模な『人材採用試験』を行うぞ」
それは、この国の腐った身分制度への、事実上の宣戦布告でもあった。
お読みいただきありがとうございます!
目の前の少女を救いたいという感情と、全体を救うための論理。 マティアスに諭され、ルイは「孤児院」というシステムでの解決を選びました。
そして、古狸ボラスとの外交戦。 ミスリルの情報が漏れていたのは冷や汗ものでしたが、ラナ川の「地政学的な価値(砂糖ルート)」を使って逆転勝利しました。 ツンデレおじさん、ボラス。また出てきてほしいですね。
さて、次はいよいよ「人材発掘」です。 この街に埋もれた原石たちを見つけ出します!
「外交戦、痺れた!」「ラナちゃん良かったね!」と思っていただけましたら、 ページ下にある【☆☆☆☆☆】から、評価ポイントを入れていただけると、執筆のモチベーションが爆上がりします! (ブックマークもぜひ……!)
▼次回予告 第11話『身分不問の採用試験』 街中に張り出された「人材募集」の張り紙。 集まったのは、社会からはじき出された訳ありの逸材たちだった。 ルイが課す、常識外れの「面接試験」とは?
次回も【明日18時】に更新します!
【この世界の豆知識】
■世界の人種(種族) この世界には、大きく分けて5つの種族が存在します。
【人間】 最も人口が多い種族。魔術の研究が発展しているが、他の種族を見下す差別意識も強い。
【エルフ】 王国の南に位置する森林地帯に住むが、大きな山脈に遮られているため交流はほぼない。 プライドが高く、魔術に長けているが、排他的。
【獣人】 犬・猫・熊・魚の4種が存在する。 北方に「獣人国」を形成しているが、人間の国にも多くのコミュニティがある。手先が器用で、独自の技術文化を持つ。
【竜人】 個人の戦闘能力が極めて高く、各国の信頼も厚いエリート種族。 第2区の隣に「竜人国」があり、人間とも友好的。魔術と技術の両方が発展しており、世界の重要ポストに就いていることも多い。
【魔族】 隣の大陸に住むとされる種族。「昔、悪魔と契約した人間が変異した」という伝承があり、忌み嫌われている。 4年に一度「魔王」が誕生すると攻めてくるため、各国は勇者を派遣して対抗している。




