プロローグ3
一ヶ月後
高層ビルが立ち並ぶ市内の一等地。
大手企業ばかりが入るオフィスビルを見上げて唾を飲み込む角坂満は自分のスーツ姿をもう一度確認し、やや気後れしながらもロビーへと足を進めた。
広々としたフロアに観葉植物とソファ、モニュメントが品よく配置されたロビーの奥へと進み、エレベーターに乗り込む。
9階のボタンを押してほどなく目的の場所へと到着すれば、モノトーンで配色されたオフィスが現れた。
クッション性の高い床敷に靴底が包まれ、息を飲みながら恐る恐る進めば、一瞬、何か薄い膜を通り過ぎたような感覚に陥りびっくりして足を止める。
周囲を伺うと奥から人が歩いてきた。
「こちらに何か御用ですか?」
「あ、すいません。角坂満と申します。本日11時から永江当夜さんとお約束していまして伺いました」
「ああ、聞いてますよ。角坂さん。いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
その男性は糸目で細身の長身で、朗らかに名乗った。
「僕は永江先生の秘書をしています村瀬脩と申します」
「宜しくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。先生は昨日まで宇連村の方まで仕事で行ってまして、もうすぐ戻るのでこちらでお待ちいただけますか?」
「宇連村?」
「聞いたことない村ですよね、ほんとに小さな県外にある村ですよ、気になります?」
「あ、はあ。まあ、少しは」
「あはは、正直な人だ。とりあえず先生が戻るまでにこちらの手続きを済ませましょうか」
「宜しくお願いします」
応接室のような部屋に案内されて待っていると書類をもって戻ってきた村瀬が手際よく説明する。
「じゃあこれとこれ、あとこの書類のここ、内容読んでもらったらサインしてください。そのあとにこれとこれね」
渡された書類を読んでいると、一旦部屋を出て戻ってきた村瀬に喉乾いたら遠慮なく飲んでねとペットボトルのお茶を渡される。
「ありがとうございます」
「気にしなくていいよ、その雇用契約書にサインすれば同僚になるんだし」
「いえ、私の方が後輩になるわけですし」
「僕はあくまで秘書だし、貴方は先生の弟子になるわけだから同僚だよ」
「弟子」
複雑な気分で雇用契約書を見る。
「ほんとに驚いたよ、先生が弟子を取るなんて。この業界で先生を知ってる人たちもこれを知ったら腰を抜かすんじゃないかな」
「そんなに驚くことなんですか?」
「うん、間違いなくね。もともと先生は弟子を取らないと一貫していたし、どれだけ頼まれようが素気無く断ってきたからね」
「そんなに人気なんですか」
「まあね、しかし貴方の事を先生から聞いていたけど想像以上で驚いたよ」
「?」
「本当に無自覚なんだね、少し危ういかな。でも先生が色々教えてくれると思うし、慣れれば大丈夫だよ」
いったい何が大丈夫なのか、不安な気分になる。
「先生の結界を何の抵抗もなく通り過ぎるし驚いたよ。反発もなく傷一つないし」
ぎょっとして雇用契約書から視線を上げると面白そうにこちらを見下ろす目と目が合う。
「普通の人ならさ、魂だとか呪いだとか言われても信じないし、弱みに漬け込んだ詐欺だと言って警察に駆け込んでもおかしくない事案だよ」
「確かにそうですね」
「それなのに貴方は長く勤めた仕事も辞めて先生のところに来ちゃうし覚悟決まりすぎでしょ」
「子供の頃からずっとつらい思いをしてきました。自分の性格や態度が悪いのかと思って色々変えたり努力しても結局わたしが好きな人はわたしから離れていって何も残らない。それでもいつかお互い愛し合える誰かに出会えるんじゃないかって淡い夢見てました。でもこの年齢になってもそれは変わらず続いていて、また期待を裏切られました。このままずっとこれが続いたら結局わたしはひとりぼっちで死ぬんです。もうそれしかないかもって諦めて準備していこうって思ってたんです」
「そんな時に先生と出会ったと」
「原因が呪いだろうがなんだろうが騙されていようが、この最悪な現象について解決できる可能性があるならわたしは諦めたくない」
雇用契約書に力強くサインするとそれを押し出して村瀬に渡す。
村瀬は雇用契約書を確認するとうなづいた。
「貴方の呪いは僕から見ても厄介そうだと一目でわかりました。貴方は魂の性質からして事故や事件で死ぬことはない、とても魂の力が強いから物理的に傷つけることはまず無理だ。だからなのかはわからないが、この呪いは貴方を精神的に追い詰めるように設計されているように思える。貴方が好意を抱いた相手は悉く貴方から離れていく。この呪いは実に醜悪です。先生が見咎めるのも無理はない」
最後は苦味潰したような表情で村瀬は呟いた。
「何はともあれ人手が増えることは良いことです。この業界は常に人手不足なので歓迎しますよ」
「人手不足」
「先生は超売れっ子、能力も一級品だから当然依頼も多く引っ張りだこ、でも困ったことに先生は一人しかいない」
「もしかしてここで働いてるのって」
「先生と僕だけでした。でも今日から貴方が増えるね。これからよろしくね角坂さん」
にっこりご機嫌に笑う糸目の男は手を差し出しできたので、角坂満は苦笑してその手を握った。
村瀬脩
永江当夜の秘書。めちゃくちゃ有能。縁の下の力持ち。糸目で細身で長身。糸目なのは元からだが理由があってあまり目を開けたくないので余計に細く見える。