小さな夜の誘い
「ねぇ、怖いよぅ。やっぱりやめようよぅ」
「ちょっと、静かにして。お母さんたちが起きちゃうでしょ」
窓の外からの月明かりだけが、部屋の中をほんのりと照らす。壁に掛けられた時計の針は真上を向いている。小さな子どもたちはみんな寝ているはずの時間。ちょっとぶかぶかのパジャマを着た小さな姉妹は、そんな真夜中に起きだしてひそひそとささやき合っている。
二人の目の前にあるのは、クローゼット。姉妹のベッドも置かれている子ども部屋のかわいらしい壁紙とも馴染む、ピンク色の扉がついている。姉のほうはその引手に手をかけ、今にもその扉を開けようとしている。一方の妹はというと、そんな姉の背に取りすがって、半べそをかきながら引き留めようとしている。
今、この二人はあるおまじないを試している最中なのだった。それは眠りにつく前、彼女たちの母親が読み聞かせている物語に出てくる方法だった。
まず、出されたごはんを朝昼晩、野菜も残さずにきれいに食べる。そして道端に咲いている野草の花を一日一輪ずつ窓辺に飾る。一番星が見える時間に窓をほんの少し開けておく。これらを一週間欠かさず続け、その最後の夜の十二時をまわったら、クローゼットの扉をそっと開く。するとそこに精霊が現れる、というもの。物語を聞いているだけでは、精霊というのがどういうものかわからなかった。そこで姉妹は協力してその精霊を実際に呼んでみることにしたのだ。
はじめは二人とも乗り気だった。だが日が進むにつれて、二人の考えはそれぞれ別の方向へと変化していった。妹の方は。
「出てきた子がへんな子だったらどうするの?わたしたちのこと食べちゃうかも」
想像が悪い方へ悪い方へと傾いていき、最後の日にはもうその精霊を「呼び出すのが楽しみなもの」とは思えなくなっていた。一方の姉は。
「大丈夫よ。どうせなにも出てきたりしないんだから。あんなのうそっこに決まってる」
現実的に考えてしまい、既にこの「精霊を呼び出す」という遊びを半ばあきらめ、冷めた気持ちでいるのだった。
「だったらもう開けなくていいじゃん」
「いやよ。せっかくここまでやったんだから。確かめてみなくちゃ」
「おねえちゃん」
とうとうぐずりだした妹を、姉はぎゅうっと抱える。それは妹を安心させるためではなく、単に泣き声が外に漏れないようにするためだった。
そして姉はついに、ひとりでそのピンクの扉を開いた。
「……?」
その中は真っ暗で、なにも見通すことができない。小さく凝った闇に、姉もようやく少しの恐ろしさを感じた。
「せいれいさん、いるの?」
姉のパジャマの裾を握りしめたままの妹が、顔を上げることなく震えた声で訊く。すると。
「みー」
「!」
甲高い、変な鳴き声のようなものが聞こえた。まるで生まれたての猫のような。
「ちょっと、へんな声出さないでよ」
「わたしじゃないもん」
姉妹が小さく言い争ったときだった。なにかがクローゼットから勢いよく飛び出してきた。後から思い出してみると、丸く毛でおおわれた、ふわふわとしたなにか。だがこのときの姉妹にそれをよく見ているような余裕はなかった。
「きゃ」
「わぁっ」
姉妹は小さな叫び声をあげて、それが飛んでいった方向に目を向ける。だがそのときには、そこにはもう何もいなかった。姉が呆けたようにその先を見つめる。
「あ……まど閉めとくの忘れてた……」
そのつぶやきとともに、姉妹はくっついたままその場にへなへなと座りこんだ。