姉妹格差の伯爵令嬢は運命を忌避する。
※『姉妹格差の伯爵令嬢は教会で祈りを捧げる。』
の別サイドのお話です。
シリーズからリンクが繋がっています。
「はじめまして、お嬢さん」
「……はじめまして。司祭様」
「ん」
男の目の前に立つ女性。
服装は平民のような衣服を着ていたが、髪は長く伸び、艶があった。
間違いなく貴族だと見ただけで分かる。
「……もしかして司祭様ではありませんか?」
女性は男の振る舞いや、服装を改めて観察してから、おそるおそるという体で尋ねてきた。
「まぁね。大司教として仕えている身ですよ」
「大司教様! こ、これは失礼を……!」
「いえいえ。お気になさらず。それで。かなりの額を喜捨していただいたと聞いています」
「は、はい……」
「まずは感謝を。貴方に神の加護がありますように」
「感謝致します。神の加護がありますように」
歳の離れた男と女は、互いに祈りを捧げ合うように手を組み、頭を下げた。
少しの間、静かな時間が過ぎた後、改めて男、大司教は女性に尋ねる。
「……貴方は教会に保護を求めて来られたとか」
「は、はい。そのようにお願いしました」
「私が対応させていただきましょう」
「大司教様が? あ、ありがとうございます」
「いえ。理由をお聞かせいただけますか? お辛いならば無理には聞きませんが……」
「理由、ですか。言わねば……修道院へ入れて貰うことは出来ませんか」
「そんな事はありませんよ。神籍へ入ることを望む者を教会は拒みません」
「……ありがとうございます」
女は改めて大司教へと頭を下げる。
「その。まさか大司教様がいらっしゃるとは……」
「偶然ですよ。教区を巡るのも私の務めですから。偶々、ここに居合わせたに過ぎません」
「偶々……」
「ですが、巡り合わせかもしれませんね。神の思し召しか。我々が今日出会ったことも」
「……そうであってくれると嬉しいのですが」
困ったような、ありがたいような表情を浮かべて女は曖昧に微笑んだ。
「聞いていただきたいのですが。すべてを話せば時間が掛かってしまう話です。
ただ、私の望みは変わりません。修道院へ入れていただくことを望んでおります」
「……察するにご令嬢は、市井、平民の方ではありませんね? どこかの貴人であると見受けます」
「あ、はい。申し訳ありません。名乗るのが遅れました」
女は居住いを正してから改めて礼をする。
「私の名はケーネ・カルティス。カルティス伯爵家の長女にございます」
「カルティス伯爵……この地の領主のご令嬢」
「はい。そのカルティスが娘です」
大司教は少しだけ驚いた表情を浮かべるも、すぐに取り直し、穏やかな微笑みをケーネへ向けた。
「そのご令嬢が、修道院入りを希望なされると」
「……はい。ああ、ですが、その。不幸があったワケではありません。
この身が穢されたとか、そういった理由ではないのです」
「そうですか……」
「大司教様。私は、どうあっても修道院へ入るつもりです。
ですが、その上で……私の話を聞いていただけないでしょうか?
私、私は。ある意味で『託宣』を賜ったようなものなのです」
「託宣を?」
「はい。ですが正確に言えば神の声を聞いたワケではございません。……ただ、私は」
「なるほど。落ち着いた場所で話を聞きましょう。時間は気にせずとも良いですよ」
「感謝いたします」
そうしてケーネと大司教は礼拝堂を離れて別の部屋へと移った。
領主の令嬢として扱い、大司教と共に司祭も同行する。
そしてケーネが話し始めたことは、にわかには信じられないことだった。
曰く、ケーネは異なる世界の記憶を有していること。
ただし、その記憶に個人を識別するものは薄く、重要ではないこと……。
「我が伯爵家の、そして私の『未来』を描いた物語……。それを読んだ記憶があるのです。
曖昧な他の記憶とは異なり、その記憶だけが鮮明に」
カルティス伯爵家には2人の姉妹が居る。
歳は一つしか変わらない姉妹だ。
姉の名はケーネ。妹の名はカリス。
妹のカリスは病弱だった。
今も病に伏せっていて伯爵夫妻は彼女のことで手一杯。
「そこまでは現実の私たちと同じです。ですが、私にはその先の未来の記憶、いえ、知識があります」
「……ご令妹の病が悪化すると?」
その質問にケーネは首を横に振った。
「違います。その、逆なのです」
「逆?」
「妹、カリスの病はこれから快方へと向かっていきます」
「……ならば何が」
「お恥ずかしい限りですが。これよりは伯爵家の、私の醜聞となります」
妹のカリスの病は良くなる。
そうして伯爵家は明るさを取り戻していく。
……だが、伯爵夫妻はカリスを甘やかすのを止めなかった。
また姉への関心は薄く、妹がねだるまま……。
「そうしてカリスは私に対する歪んだ執着心を抱いております。
私の持ち物を何でも奪おうとする。
両親はカリスだけを大切にし、私の持ち物すべてを剥ぎ取り、譲らせ、カリスに与えていきます。
また、私の味方をする使用人たちは解雇されます。
そのような家族にすべてを奪われ続ける生活が、これより5年間。継続します」
「……………」
「私の部屋には物がほとんどなくなり、ドレスも新しい物は与えられず。
見窄らしい生活を余儀なくされます。
両親は私に関心などなく『姉だから』の言葉だけを掲げ、いつでもカリスだけを大事にし続ける。
それを私に強要し、反抗することは許されません。
妹が泣き叫べば、両親は必ず彼女の味方をし、私は頬を叩かれます。
また病で私が体調を崩しても看病をしてくれる者は現れず、医者にかけてくれる事もございません。
それで死ねれば私も楽になるのですが……。生憎と丈夫な身体で。
そして、ここからが……問題なのですが」
「問題?」
「はい。あろう事か。両親は私、ケーネと第二王子殿下の婚約を結んでくるのです」
「は……? 第二王子……?」
「はい。私が成長し、学園へと入学する前にその婚約は整います。
今から……2年後でしょうか。
婚約が整った後も変わらず家ではそのような扱いです。
1年間は王子妃教育を課せられることになり、より苦しい時間が続きますが……。
その時点での私は、その婚約に希望を夢見ます。
この家から救ってくださるのではないか、と。ですが」
淡々とケーネは己に訪れるという『未来』を語った。
大司教は黙して、ただ彼女の話に耳を傾け、司祭はオロオロと2人を見比べながら話に相槌を打ち、続きを促す。
「その婚約は第二王子殿下にとっては不本意な婚約なのです。
国内情勢も踏まえて、第一王子殿下の上に立たぬようにと……。
可もなく不可もないと考えている伯爵家の令嬢と政略で結んだに過ぎないこと。
また第二王子殿下の母君、側妃様にとっても不本意な婚約です。
……第二王子殿下からは疎まれ、側妃様からは虐げられます。
そうして、今から5年後。
『物語』が始まります」
「始まる? そこが始まり?」
「……はい。ここまでの話が『前提』に過ぎないのです。私の読んだ物語、与えられた知識は『ここから』が始まりで……」
ケーネはそこで深く溜息を吐いた。
「私の知る『未来』は、その世界の人々にとって『娯楽』に過ぎませんでした」
「娯楽……」
「はい。物語が始まった後、私は……第二王子殿下とは別の男性と知り合います。
そして、その方に恋をします。
婚約者が居ますので、表には出せない恋です。
同時に妹のカリスと第二王子殿下は親密になっていきます。
私の境遇は変わらないままですが……。
ある日、私は第二王子殿下から婚約破棄を突きつけられ、また家から追い出されるのです。
絶望して死を選ぼうとした私の下へ、件の男性が来て助けてくださるのですが……」
「何か問題が?」
「いえ。ここからの話は『娯楽』として消費されるものです。
私はその男性と結ばれ、幸福を掴む……。ですが」
そうして、また深く。
ケーネは溜息を吐いた。
「……『今の私』は心が折れてしまいました。耐え切れそうにありません。
これから5年以上も続く、苦痛の人生。
自尊心も、誇りも、名誉も、何もかも踏み躙り尽くされ……。
ドアマットのように踏みつけられ続ける人生。
本当にその運命の恋は、私の苦痛の時間に見合うものなのでしょうか……。
何より、思うのです。思ったのです」
「何を……?」
「物語の終わり。第二王子殿下、側妃様。そして両親、妹。
すべて『報い』を受ける結末でした。
私は件の男性の下へ嫁ぎ、カルティス家とは縁を切ります。
……カルティス伯爵家は没落。
一家は平民へと落ち、喧嘩ばかりの人生。
そして離散していき、それぞれ落ちぶれ……。
妹のカリスは娼館へ入ります。学がなく、見目だけは良く成長したから。
ですが、その性格は変わらず、逃げ出して……また投獄され、罰された後に遠方の修道院へ改めて入ることになり……そのまま生涯を終えます。
かなり若い内に……生涯を終えます。
第二王子殿下は廃嫡となり、監視されながら不自由な生活を。
側妃様は離宮へ幽閉されます」
「…………」
「……この『未来』は、私が報われるためにあるのでしょうか? 本当に?
妹の性格は、今の内に何とかできるものではないでしょうか。
そうすれば、そんな悲惨な結末を迎えずに済むのではないのか。
カルティス伯爵家が歪む原因は、私のせいです。
私は被害者なのでしょう。ですが、彼らは私が居なくなった後ですぐに後悔し始め、私に追い縋ろうとします。
……奴隷を持つ豊かさに慣れたが故の後悔ですが。
報いを受ける時に至っては皆、『何故、どうしてこんなことに』と心底、後悔する」
ケーネは大司教をまっすぐに見据えた。
「今の内から、私が伯爵家から居なくなれば。
私は辛く苦しい、奪われるだけの時間を過ごさずに済みます。
……まだ現実の、今の私からは消えていない家族への愛も失わずに済みます。
そして。私という『奴隷』にすべてを押し付け、すべてを奪う愉悦を覚えるような、悪心に染まらずに妹が育つかもしれません」
「……だから修道院へ入りたいと」
「はい。そうです」
「伯爵家に留まり、その運命を変えようとは思いませんか? ご令妹も自ら指導する道もあるかと思います」
「……申し訳ございません。私には……無理です。
もう心が折れてしまいました。
私は恐ろしいのです。大司教様。司祭様。
現実の、お父様やお母様がして見せた言葉や態度が、私にこの『未来』を信じさせるきっかけになりました。
たしかに……。この通りの未来に至るのだと。
修道院へ入ることを拒まれるとしたなら。
……私は所詮、生まれ変わった命。
一度は死んだ命です。
ただ苦しいだけの生ならば、神に捧げようと思います」
「命を投げ出すと? 愛する者と出会う未来が待っているのではありませんか」
「……私が何も知らなければ、その愛に希望を抱いたでしょう。
価値を感じたでしょう。
ですが私は、もう他人事のようにその結末を知ってしまいました。
『今から』味わう絶望と、その愛は釣り合わない。
同じく献身し、苦難の道に人生を捧げるのならば……どうか神に祈る道へ進む事をお許し下さい。
そうであれば私は努力できます。
それにその愛は、私の近しい者たちの犠牲の上に成り立つ愛です。
すり切れ、恨み、憎んだ後ならば、その結末に笑いましょう。
ですが『今の私』にとって『まだ』愛する家族なのです。
私にとって大切なものは……まだ、男女の愛よりも家族なのです。
それでも、これから失い、奪われる苦痛には耐えられない……。
この選択は、私の心を守るためのもの。
貴い方々も私と関わらなければ道を踏み外さないかもしれません。
意思強きご令嬢と縁を結んでいれば、第二王子殿下もまた変わるかも。
それは間違いなく私では無理なことです。
そして家族に、妹に、違う未来へ進むための……キッカケになるように。
それもやはり、私の……心です」
そうして長い沈黙が続いた。
「……お話はわかりました」
やがて大司教が、ゆっくりとそう告げる。
「貴方の決意は固いのですね? ケーネ・カルティス」
「はい。どうか私に……運命を変える道を」
「……分かりました。この話は私が預かりましょう。ただし、これだけは言っておきます」
「はい」
「修道院の生活もまた、けして楽な道ではありませんよ。
ご令嬢だった身で耐え切れるか。
一度入れば、3年は出ることも叶いません」
「はい。覚悟はしております。
それに……修道院での生活は、私が見た未来の5年間よりも辛い時間ですか?
私にはそうは思えません……。
その道には、まだ救いがあるように思えます。
日々の喜びもまた、あるのではありませんか?
私の見た未来よりも、ずっと」
「それは……そうかもしれませんね……」
「はい。大司教様までがそう感じられるなら、私も頑張れると思います。
そのような『未来』よりも、ずっと『マシ』な人生だと」
「はは……」
そうして大司教の下でケーネは修道院へ入る手続きを進めた。
数日、そうして彼の下で過ごしたケーネは改めて問う。
「大司教様。どうして私の話を信じてくださったのですか?
とても突拍子もないことだと思うのですが……」
「信じてはいませんでしたよ」
「え」
「ですが」
大司教は困った顔をしたままケーネと向き合った。
「……貴方が来てから5日。カルティス伯爵家からは、誰も貴方を捜そうとした話が入ってきませんでした。
こちらでも、それとなく目を光らせていましたが……動きがないのです。
貴族のご令嬢が連絡もせず、家に帰らず、5日経って、なお。そうなのですよ、あの家は」
「それは……」
「貴方の語る未来が真実であれ、なかれ。
ケーネさん。貴方があの家に居続けることがよくない事であるとは、至らぬこの身にも分かりました。
ですから、きっと神もお許しになるでしょう。
嘘だったとしても、ね。
そして真実ならば、やはり許してくださるでしょう。
貴方の心は守られるべきであり。
かの方たちは、変わるキッカケを与えられるべきなのですから」
「……大司教様。ありがとうございます」
「いいえ。これから大変ですよ。
ケーネさんがどんな道を歩んでいくとしても、ね」
「はい。頑張ってまいります」
そうしてケーネは、さらに数日後になって、ようやく訪れた両親に別れを告げ、修道院へ向かった。
これからの彼女には『物語』とは異なる人生が待っている。