【ドラマパート】日本海海戦
日露開戦が決定的になると、日本海軍はウラジオストクを緩く包囲し、ロシア極東艦隊が通商破壊などに出撃したところをたたけるように待ち伏せていた。
「これが、英梨子の言っていた地獄……」
装甲巡洋艦「八雲」艦上で、山階宮菊麿はひとり水平線を見つめながらつぶやく。
「陸に残してきた妃様が心配ですか?」
菊麿がたそがれていると、二番砲塔の分隊長である香月輝彦が声をかけてきた。同じ二番砲塔の分隊士である菊麿にとって、彼は直属の上官にあたる。
「まあ、心配でないと言えば噓になりますが……」
「今はお一人だけのお体ではありませんものね」
「それ以上に、昔から英梨子さんがずっと言っていた『地獄』というものに想いをはせていまして」
「地獄……?」
妊娠中の妻よりも気になるものがあると言う菊麿に、香月は首をひねった。
「英梨子さん……妻は、まだ学習院の小学部にいたときから『世界を地獄に導く。そうしないと、ロシアと戦争になったとき、日本は最終的に屈服するしかなくなる』といった旨のことをたまに言っていました。最初は、あの人が開発した兵器の火力が、とんでもない数の兵士を殺すことだと思いましたが、そんなことではなくて……」
「まさか、我が国とロシアの争いが、今のように英仏墺の三か国に飛び火するように工作していたのは……」
「直接手を下したわけではないでしょうが、そうなる様に暗躍していたのでしょうね」
菊麿がじっと水平線の方を見ながら言う。ハワイ問題でアメリカとの関係がよくない以上、イギリスを無理やりにでもロシアとの戦争に引きずり出す必要がある。そのために英梨子はロシアとの関係が悪いオーストリアに接近、フランスの参戦を誘発させるという戦略を計画し、それが実現するように政府をそそのかしたのだろう。
「……恐ろしい方ですね」
「本当はもっと無邪気で、まっすぐな方なんですけどね。時代がそれを許してくれませんでしたね」
「では、奥さんが安心して研究に打ち込まれるように、ロシア艦隊を撃滅しないといけませんね」
「ええ、この艦ならきっと、それができそうですから」
そういって二人は甲板上にそびえる主砲を見やる。日露開戦に備えて日清戦争の賠償金で建造された八雲以下4隻の装甲巡洋艦と4隻の戦艦は、英梨子の提唱した「統制射撃思想」を叩き台にして設計されていた。
八雲型装甲巡洋艦
排水量9000t
全長120m
全幅19m
機関:ベルヴィール式石炭専焼缶24基+三段膨張式四気筒レシプロ2基2軸
最大出力19800shp
速力 全速前進20.5kt 前進一杯22.2kt
航続距離10kt/4000海里
兵装
31.5口径234mm連装砲4基(艦首側2基、艦尾側2基。背負い式配置)
40口径102mm単装砲18基
装甲
舷側:178mm(最厚部)
甲板:25mm+12.7mm
主砲塔前盾:127mm
主砲塔上面:50mm
主砲バーベット:127mm(最厚部)
司令塔:178mm(最厚部)
事態が動いたのは翌朝のことである。防護巡洋艦「千代田」が、ウラジオストクから出航したロシア太平洋艦隊を発見したのだ。直ちに合戦準備が発令され、菊麿たちも八雲の2番主砲塔で配置につく。
「右砲戦! 目標、敵5番艦! 交互撃ち方!」
第1戦隊旗艦「三笠」以下、時代不相応な弩級戦艦4隻が砲戦を開始して暫く後、日露両艦隊の距離が縮まり、八雲も敵巡洋艦との砲撃戦に突入することとなった。
「撃て!」
号令一下、4門の234mm砲が火を噴き、重量172kgの砲弾が初速630m/sまで加速されて飛んでいく。
「……全近!」
「修正、上げ2!」
弾着観測の結果から砲術長が修正を指示する。三笠をはじめとする敷島型戦艦や八雲型装甲巡洋艦は、兵装や船体構造こそ1次大戦のレベルまで到達していたものの、射撃管制装置についてはかろうじて変距率盤が間に合ったぐらいで、本格的な射撃盤については未装備であった。このため、見た目は弩級戦艦のようでも、その射撃精度は砲術科の練度に大きく左右されるものであったのである。とはいえ、片舷に向けられる主砲の門数の差はそのまま火力の差として、そして「試行回数」の差として、日露両艦隊の明暗を分けることとなった。
「近、遠、遠、近、夾叉!」
「宜候! 次斉射より効力射に移行!」
八雲はたった3斉射目から夾叉を出し、全砲門で斉射する効力射に移行する。より遠距離から砲戦を始めていた日本戦艦群はすでに命中弾も出し始めており、数の上では優勢なはずのロシア太平洋艦隊を次第に追い詰めていった。
そして、八雲が6回目の効力射を放った時のこと。
「敵艦橋に命中弾!」
八雲の2番主砲塔が放った通常弾が、ロシアの旧式戦艦「ペレスヴェート」の艦橋に命中したのである。これによりロシア側次席指揮官ヴィトゲフト少将以下ペレスヴェート首脳陣が戦死もしくは昏倒し、指揮不能に陥った。
「装填急げ! このすきにどんどんぶち込むんだ!」
「はい!」
香月分隊長が菊麿以下分隊士を鼓舞し、自分たちより格上の戦艦に対して勝負を決めにかかる。反撃により八雲にも火災が発生し、右舷副砲群は半壊しているが、損害を鑑みずに攻撃を続行した。
さらに悪いことに、あまり間を置かずに三笠の放った305mm主砲弾がロシア艦隊旗艦「ツェサレーヴィチ」の艦橋を直撃。艦隊指揮官マカロフ中将以下首脳陣が戦死し、ロシア側は艦隊を指揮できる人間がいなくなってしまったのである。
「目標変更! 敵小型巡洋艦!」
「宜候!」
ロシア艦隊の戦列が乱れ、大混乱に陥ったことを認識した日本側は、水雷戦隊を突撃させて勝負を決めることを決心。戦艦、装甲巡洋艦には突撃する味方水雷戦隊の援護を下令し、八雲も狙いを敵水雷戦隊に変更した。
「撃て!」
組織的抵抗が不可能となり、撤退すら効率よくできないロシア海軍艦艇群を、日本艦が打ち据えていく。
結局、この海戦でロシア極東艦隊の主力は文字通り全滅。小型艦艇も壊滅的打撃をこうむり、日本海とオホーツク海の制海権は日本海軍にわたった。
皇族では八雲に配属されていた菊麿の他、彼の同期であり、一緒にキールに留学していた伏見宮博恭も三笠の3番砲塔分隊士として参戦している。しかし、三笠、八雲共に大小複数の砲弾を被弾したものの、砲弾の炸薬が下瀬火薬より鈍感で安全なD爆薬になっていたこともあって両殿下にけがはなく、作戦後には無事に日本本土へ凱旋することができた。
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