【ドラマパート】加速する刻
お待たせいたしました。更新再開します。説明が非常に多いので、少しでも文体を軽くするために一人称にしてみました。
日本に惨敗し、その威信が地に落ちた清の末路は、史実同様悲惨なものでした。
日本と同時期にベトナムで戦っていたフランスをはじめ、イギリス、ドイツ、ポルトガルにも沿岸部の土地を租借させられ、権益を奪取され、不平等条約まで結ばされたのです。
こうした惨状にさすがの清国政府も認識を改め、これまでも実施していた近代化運動「洋務運動」を根本から見直すことになりました。「変法自強運動」というそうです。洋務運動と違って前世の教科書に書いてあった記憶がないのですが、たぶん史実と同じ流れなんでしょう。
従来の「洋務運動」では中国の伝統を保持することに固執したため、近代技術の導入は表面的なものにとどまっていました。ドイツから最新の火砲を導入していたのに、陸軍ドクトリンが旧態依然としていた清国陸軍は、まさに洋務運動の歪さを表すものだったと思います。
そうしたうわべだけの近代化をやめ、哲学的なところも含めた根本的な部分からの近代化を図るようになったのが「変法自強運動」だったそうですが、結局は失敗してしまいました。民衆が受け入れなかったんですね。「電信柱が立っているから、雨が降らなくなったんだ」とか、おまえは何を言ってるんだって感じですが、そんな妄言があの国の大衆の間ではまかり通るのです。いやな国ですね。
そして、急激な西洋化と、それに伴う伝統的価値観の否定や改変を原因とする民衆の不満は、教科書でもおなじみの「義和団事件」として爆発しました。そして案の定、我が国を主力とする8か国連合軍によって蹂躙されたのが、大体4年くらい前のことです。
「まだかな……」
「そう焦らなくても、そのうち降りてくるよ」
そして1893年の今、私は横浜の港で、婚約者の山階宮菊麿殿下のお迎えに来ていました。数年前、大日本帝国憲法の制定に大きく貢献し、一等侍補と宮内大臣を兼務するようになった父、九条道孝も一緒です。
「あ……!」
桟橋をじっと見つめていると、二人の青年がおりてきました。5年間会っていませんでしたが見間違えるわけがありません。左側にいるのが菊麿殿下です。すぐ右に、菊麿殿下と一緒に留学した華頂宮博恭殿下がいらっしゃるのも忘れて、私は無我夢中で両手を大きく振りました。
「みましたか? お父様。菊麿殿下、私に気付いてくれましたよ!」
「そうだね、よかったね」
本当は叫びだしたくてたまらない私とは対照的に、お父様はどうでもよさそうなお返事。まあ男ってそういうものですから、気にはしません。むしろ、他の人の目がある中で、ちゃんと私に手を振り返してくれた菊麿さんが異常に親切なんです。そこもまたあの人の便宜上百としておくが無限にある好きなところの1つなんですが。
「目的は果たしましたから、帰りましょうか」
「あれ、すぐに話しかけにはいかないのかい?」
先ほどそっけない返事をしてはいましたが、お父様も私が菊麿さんとの再会をとても喜んでいることを理解はしています。なので、自分の政治力なら、帰国早々いろんな方面からお声がかかって忙しい菊麿さんにも、挨拶ぐらいはさせてやれるぞと、暗に言ってくれました。
「いえ、殿下は皇族であり、軍人でもあり、発明家で、しかも気象学者でもいらっしゃいますから、今までドイツにいて滞ってた案件が一気に押し寄せてくるに決まっています。一人の女の恋愛感情で、仕事を邪魔してはいけませんよ」
とはいえ、それを邪魔してまで、中身のない挨拶を口頭でする価値はないですし、私自身、気が引けてしまいます。いろいろ落ち着いてから、今までの苦労をねぎらいに行けばいいでしょう。
「……まあ、明後日には結婚式の打ち合わせで顔を合わせるだろうし、その時にゆっくり話せばいいか」
「え、そんなすぐ打合せするんですか?」
「当り前だろう。宮家の後継者の婚姻だぞ? 重要な案件なんだから、高めの優先度で対応してもらうに決まってるだろう」
「あー、まあ、そうですね、ええ……」
九条家の格が高いこと、菊麿さんが進取的で上下関係にうるさくないことからあまり意識してませんでしたが、よくよく考えなくても彼は華族より格の高い皇族のおひとりです。妃を娶り、その血を繋いでいくことは国家に対する義務にも等しいわけですから、海軍における今後の事例とか、気象庁との打ち合わせとかに並んで大切な案件なんでしょう。なにより……
「……それに、相変わらずロシアは満州に居座っている。これ以上我が国に対して挑発的な行動をするなら、戦争になるだろう。菊麿殿下も海軍の軍人だ。有事の際には、戦場に赴くこともあり得る」
「万が一のことを考えると、私との話をさっさと決めてしまった方が良い、ということですね」
「そういうことだ」
はっきりとは言いませんでしたが、要するに、日露戦争で菊麿さんが戦死するかもしれないので、最速で結婚させて私に男子を産ませる必要がある、ってことです。女性を子供を産む機械としか思っていないこの扱い。前世なら文字通り死ぬほど叩かれるでしょうけど、残念ながら今は20世紀ですらありません。
私は運よく何人でも子供を産み育ててあげたい方をお相手にできそうですが、特に一芸もなく良家の娘に生まれてしまった人は、その運命と重圧に振り回されてしまうことも多いのでしょうね。
「そっか、明後日に結婚式の打ち合わせ……今更になって緊張……いや、この感情は、ときめき……? よくわからないですけど、ドキドキしてきました」
どうせ結婚しなければいけないなら菊麿さんがいい、というのは常日頃から主張してきたことではありましたが、いざ本当に結婚するとなると、なんだかうれしいような恥ずかしいような、不思議な気持ちになります。
そんなを私を、結局は人の子なんだなあと他人事のように冷ややかに見つめる自分もいたりする中、世界はいよいよ、私の用意した地獄の中へと、飛び込んでいくのでした。