【ドラマパート】我らの往く道
前回の終わり方が不完全燃焼だったので、2週連続更新です。
「改めまして、留学お疲れさまでした、お父様」
「ありがとう英梨子。やっぱり我が家が一番だね……留学中は味噌と醤油が恋しくて仕方がなかったし、言葉を覚えるのも大変だったし……」
「お父様、帰ってきたとき結構やつれてましたからね……」
九条道孝がドイツから帰国して数日後、英梨子は父から土産話を聞き出そうと書斎を訪れている。
「しかし、改めて憲法というものを学びなおしたわけだが、基本的なところは本当に英梨子の言っていた通りだったぞ。自国の歴史と、憲法を持っている国の歴史を照らし合わせて、一番類似性がある国の憲法を手本にすべきというのは、向こうの教授からも似たようなことを言われたな」
「幼い小娘が考えることですから、偉い先生に思いつけないわけがないですからね」
「ははは。まあ常に謙虚であるのはそれはそれでよいことさ」
実際のところ、英梨子は史実の経緯からそれらしいことを類推して言っただけだったのだが、わざわざ説明するのも面倒だったので適当に謙遜してごまかした。
「それはともかく、明治維新がフランスで起きたような民衆が直接旧支配層を打倒する革命ではなく、朝廷が幕府から政権を奪還する政変であったことを鑑みると、やはりドイツ憲法を範に取ったほうがいいだろうね。これは一緒にドイツ送りにしてもらった煕通や広橋君の意見とも一致している。西園寺君はイギリス式の方が良いと言っていたが……」
広橋賢光、西園寺公望の両名は、史実でも伊藤博文の随員として欧州に行っている。西園寺はドイツに行く前にフランスに留学していたこともあって、割とリベラルな思想の持ち主だったようだ。
「西園寺さんは賢い方だと聞きますから、理想と現実を分けて動ける方だと思いますよ。我が国の民衆がイギリス国民より紳士的でないことぐらい、よくわかっているかと」
「民権主義者があちこちで騒動を起こしているようではなあ……」
ちょうど道孝がドイツへ留学している間、板垣退助を信奉する自由民権主義者が、政府を転覆させようと各地で蜂起しては鎮圧されている。大久保利通が生存していて、引き続き政府を主導しているから、その分不満を抱く国民も多く、史実よりも各反乱の規模が若干大きくなっていた。
「ああ騒動と言えば、それを鎮圧する軍の統制に関して少し意見がございまして」
「また唐突だな」
「今後作る憲法では、政府に軍の実質的な統帥権があることを明記すべきだと思うのです」
「軍の統帥権は主権者たる天皇陛下にあるべきじゃないか?」
英梨子の意見に対し、道孝がこの時代の人間としては至極まっとうな反論を行う。
「正確には、天皇陛下が軍の統帥権を政府に委任できることを明記すべき、ですね。とにかく、軍が『陛下のためを想っての行動である』と騙って、他国を勝手に侵略したり、政府を転覆させたりしないようにしたいのですが……」
「あー……陛下が事前に中止命令を出せればよいが、後の祭りになることも多いだろうからな……」
史実の満州事変のように、事が起こってから侍従武官長が天皇を恫喝して押さえ込むケースもあることを考えると、政府に統帥権を委任させられる方が良いだろうと英梨子は考えていた。
「そういえばプロイセン憲法では、司法権が皇帝から裁判所に委任されていることを明記していたな。あれと似たようなことを、統帥権でもすべき、ということか」
「そうですそうです。『政府は天皇の名において国軍を統帥す』みたいな感じにできないかなと」
父が出してきた事例に対して同意する英梨子。「付け焼刃の知識ではなく、現地できちんと学んできた人間には勝てないな」と彼女は思った。
「なるほどなあ、一理はある。しかし、軍からすれば、軍事的知識のない文官から、軍事行動について横やりを入れられることを良しとしないんじゃないか? 私は奥羽鎮撫総督のとき、東北征伐の具体的な作戦行動について口を出さないように気を付けていたが、同じような立場についたものが功名心に駆られて軍に無茶な注文を付けた例は歴史上数多くあるぞ」
「たしかに……平時は政府が厳しく統制して、いざ戦時となったときは軍にフリーハンドを与えたい……自由に動けるようにしたいですよね。困ったな……」
説得に失敗したか、と英梨子が焦っていると、道孝が助け舟を出す。
「まあ、英梨子の懸念がまっとうなのは理解した。ここから先を考えるために私たちはわざわざ欧州まで行ってきたのだから、まあ任せなさい」
「ありがとうございます……」
「逆に私からも相談があるんだが、良いかな」
軍事については自分より娘の方が詳しいだろうと、道孝はドイツで煕通が収集したとある情報について意見を聞くことにした。
「あ、はい。なんなりと」
「実は、ドイツが清国海軍向けに2隻の戦艦を建造しているらしくてな。あの国とは朝鮮をめぐって関係が悪化しつつあるだろう? 我が国には戦艦がないし、すぐに手に入れるだけの金もないから、どうすれば対抗できるかと思ってな」
普通に考えれば定遠と鎮遠のことである。せっかく軍人である煕通を連れて行ったので、ドイツの軍事技術を探ってもらったところ、意図せずひっかけられた情報であった。
「戦艦……主砲の大きさとか、装甲厚とかはわかりますか?」
「ええと、煕通からもらった手紙には……主砲は12インチ、装甲厚は14インチと書いてあるが、これは尺貫法に直すとどのくらいだ?」
つまり、おおむね史実通りの定遠と鎮遠だということである。英梨子にはこの程度の情報で十分だった。
「12インチはほぼ1尺、14インチは1尺2寸に少し足りないくらいくらいですね。日清開戦までに時間があるなら、今ちょうど海軍主船局長の赤松閣下と議論している構造の船で、撃退ぐらいはできると思いますけど……」
「いつの間にそんな方の知遇を得たんだ?」
「ちょっと大久保さんにお願いして……あ、正月に大久保さんが我が家に来たときに『お父様にもよろしく言っといてほしい』との言伝をいただいています」
「大胆だなあ……」
大人だったらもう少し根回しとかが必要なはずである。子供であることを最大限に利用しつつ、大人と遜色ない判断力と知識量で最速解を突っ走っているような気がして、道孝は娘に少々の恐怖を覚えた。
「それはさておき、我が国で作れる大きさの船では、清国の戦艦を撃退はできても沈めるのは厳しいですね」
「やはり難しいか……」
「ですので、完成する前に宣戦してしまうのも1つの手でしょう。というか、私としてはそちらをお勧めします」
今の日本の工業力では定遠と鎮遠に対抗するのは難しいので、英梨子は完成する前に日清戦争を始めてしまうことを提案した。
「おいおい……いくら腐敗しているとはいえ清は大国だぞ? まだ国内の改革が済んでいない我が国が勝てるとは思えないが?」
「我が国単独では勝てないでしょうけど、あの国は現在欧州列強からその豊かで広大な領土を狙われています。毎年どこかしらともめてますから、そのときに我が国も清に対する戦端を開けば、有利に事を運ぶことができるでしょう」
「……では、どんな大義名分で清と戦争をすればいいんだ? 松方蔵相の緊縮財政で、国民の暮らしは苦しいわけだが、戦争を始めたら、そこにさらに重税をかけることになるぞ?」
欧州列強とうまく連携できたとしても、清より先に日本国民が音を上げたら本末転倒である。
「朝鮮の親日勢力……独立党、でしたっけ? あの人たちを煽ってほかの勢力を粛清させましょう。『清が欧州列強と戦争している今なら、事大党や閔氏を政府から一掃しても清は手出しできない』って。そうすればメンツをつぶされた清は絶対朝鮮に進軍してきますから、『清の暴虐にあらがっている朝鮮の親日派を支援しよう!』といえば、大体の人々はついてくるはずです。この前もそうでしたからね」
史実で壬午軍乱後に独立党が起こしたクーデター「甲申政変」においても、失敗後に日本国内では朝鮮の独立党に対する同情と、清に対する敵愾心が広がった。この結果、松方デフレの中でも、日本国民は増税による軍備増強を許容している。
「……まあ、この前の壬午軍乱のときも、政府は朝鮮への懲罰を求める国民の声に押されて出兵したようだからな。うまく物語を作れば、やってやれないことはないのだろう」
「あとは、ドイツが清へ戦艦を納入するまでの間に、欧州列強のどこかと清が戦争になってくれればいいのですが……だめなら、10年単位で臥薪嘗胆するしかないでしょうね」
「私は、そううまくはいかないと思うがなあ……」
この時の道孝は英梨子の意見を懐疑的な目で見ていた。しかし翌年、早くも清仏戦争が勃発し、これをきっかけに東アジア情勢は一気に動くことになる。英梨子の読み通り、どさくさに紛れて事大党の完全排除をもくろむ独立党をにらみながら、日本政府もまた、決断を迫られることになるのだった。
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